1985

   岡林信康コンサート「ベアナックルレビュー’85」

日時:1985年2月11日(月)
   午後6時開場・6時30分開演
会場:掛川座(掛川市大手町)
料金:前売2,000円/当日2,300円
主催:蒼生舎/ひょうたん島/レターハウス/78%
後援:兵藤楽器

生ギター1本を抱えて旅をする、岡林信康たったひとりの弾き語りコンサート「ベアナックルレビュー’85」

あまりにも機械化されてしまったコンサート
あまりにもシステム化され言わゆる「業界」化されてしまった歌の世界…。
そこにもう一度、血の通った温かい生身の人間の「ぬくもり」「におい」といったようなモノを吹き込んでみたいのです。
1984年6月沖縄那覇をスタートし、10月あたりから本格的に回り始めました。
84年度は12月22日の種子島コンサート45ヶ所目で終了
85年度は最低150ヶ所を目標に燃えております。
「岡林信康からのアピールとお願い」
僕達の身の回りに便利なものが増えました。増えたというより今や溢れているといった方がいいのかもしれない。ほんの数10秒とかからない隣家への伝言も電話ですませてしまえるし、ちょっとそこまでタバコを買いに行くのも車を使ってみたりする。ほんとに体を動かす事が少なくなった。体だけじゃなく頭も使わなくなった様な気もする。子ども達が電卓をいじって遊んでいる。しかしこんな小さな時から電卓に頼る事を覚えてしまったら計算能力など育たないのでないかとつい考えてしまうのだ。便利なモノがなければ何ひとつやれない、頭の中が空っぽの弱い弱い存在にドンドンなってゆくようなイヤーな気分。これではまるで、冷暖房完備のオリの中で超過保護に育てられているパンダじゃないか。音楽の世界も同じだ。複雑でややこしすぎる。便利な電気楽器がやたらと増えた。それも楽器というよりは電気器具に近い。もはや、音楽は歌い手やミュージシャンの手を離れ、電気器具を巧みにあやつるエンジニアのものになってしまったようだ。アンプや電気楽器が山のように積み上げられたステージでは人間がその片スミで小さくなっている。誰もがどこかでイライラしている。主役は誰なのか。機械なのか。人間なのか。機械をつかっているのか。機械に使われているのか。そのイライラの極限で僕はバンドとプレイする事を捨てた。もう一度裸になってみよう。ギター一本だけを頼りに2時間余り汗を流して作るコンサート。そんなコンサートをやってみよう。歌の世界ぐらい、せめて岡林信康の歌の世界ぐらい生身の人間の匂いがしてほしい、そう思ったのです。1983年9月と1984年3月の2度にわたり断食を行いました。1週間水以外は何も取らないというある種の極限の中で生身の人間が持つ生命力の力強さを僕は感じ取る事が出来たように思うのです。その時確信がたったひとりの弾き語りコンサートへと僕を向かわせたとも言えます。ギター1本だけを抱えた旅の何と身軽な事か!これなら大抵の所へ行けるぜ!街から村へ、村から町へ…。さて、全国各地のイベンターの皆さん。いや、イベンターの皆さんだけとは限らない。例えばどこかの町の喫茶店のマスター、旧い造り酒屋の若ダンナ、どこかの村の消防団の若い衆、そしてTV局・ラジオ局にいるであろう、かくれキリシタンならぬ、かくれ岡林ファンのディレクター諸氏、そして、あなた!あなた!あなた!岡林信康のコンサートを企画してみませんか。今、岡林信康を味わっていただきたいのです。カッコ良くはないし、美しくもないけれど、生身の僕の息づかいと鼓動だけは確実に感じてもらえるはずです。
                (1984年5月 岡林信康)
このコンサートを「ベアナックルレビューと名付けます。1865年皮製グローブの着用がルールで定められるまで、ボクサーはむき出しの拳(ベアナックル)で闘っていたとのこと。

     映画「飢餓海峡」

日時:1985年8月18日(日)
   午後2時00分〜/6時00分〜(2回上映)
会場:ひょうたん島(掛川市駅通り)
料金:前売1,000円(ドリンク付き)
主催:蒼生舎/お問い合わせ:ひょうたん島


東映(1964年製作/182分)
監督:内田吐夢
原作:水上勉
脚色:鈴木尚之

キャスト
犬飼多吉……三國連太郎
敏子…………風見章子  杉戸八重……左幸子
長左衛門……加藤嘉   弓坂吉太郎…伴淳三郎
味村時雄……高倉健   樽見京一郎…三國連太郎


《あらすじ》
昭和二十二年九月二十日十号台風の最中、北海道岩内で質店一家三人が惨殺され、犯人は放火して姿を消した。その直後嵐となった海で、青函連絡船の惨事が起き、船客五百三十名の命が奪われた。死体収容にあたった函館警察の刑事弓坂は、引取り手のない二つの死体に疑惑を感じた。船客名簿にもないこの二死体は、どこか別の場所から流れて来たものと思えた。そして岩内警察からの事件の報告は、弓坂に確信をもたせた。
事件の三日前朝日温泉に出かけた質屋の主人は、この日網走を出所した強盗犯沼田八郎と木島忠吉それに札幌の犬飼多吉と名のる大男と同宿していた。質屋の主人が、自宅に七八万円の金を保管していたことも判明した。弓坂は、犬飼多吉の住所を歩いたが該当者は見あたらず、沼田、木島の複製写真が出来るまで死体の照合は出来なかった。
だが弓坂は漁師から面白い話を聞いた。消防団と名のる大男が、連絡船の死体をひきあげるため、船を借りていったというのだ。弓坂は、直ちに犬飼が渡ったと見られる青森県下北半島に行き、そこで船を焼いた痕跡を発見した。犬飼が上陸したことはまちがいない。
その頃、杉戸八重は貧しい家庭を支えるために芸者になっていたが、一夜を共にした犬飼は、八重に三万四千円の金を手渡し去った。八重はその恩人への感謝に、自分の切ってやった爪を肌身につけて持っていた。そんな時、八重の前に犬飼の件で弓坂が現われたが、八重は犬飼をかばって何も話さなかった。八重は借金を返済すると東京へ発った。
一方写真鑑定の結果死体は沼田、木島であり二人は、事件後逃亡中、金の奪い合いから犬飼に殺害されたと推定された。その犬飼を知っているのは八重だけだ。弓坂の労もむなしく終戦直後の混乱で女は発見出来なかった。
それから十年、八重は舞鶴で心中死体となって発見された。しかしこれは偽装殺人とみなされた。東舞鶴警察の味村刑事は女の懐中から舞鶴の澱紛工場主樽見京一郎が、刑余更生事業資金に三千万寄贈したという新聞の切り抜きを発見した。八重の父に会った味村は、十年前八重が弓坂の追求を受けたと聞き、北海道に飛んだ。樽見が犬飼であるという確証は、彼が刑余者更生に寄附したことだ。弓坂と味村は舞鶴に帰ると、樽見を責めたが、しらをきる樽見の大罪は、八重が純愛の記念に残した犬飼の爪と、三万四千円を包んだ、岩内事件の古新聞から崩れていった。

  (写真・文/eiga.com/TOUEIVIDEO/パンフレットより)

  映画「遠雷」

日時:1985年9月22日(日)
   午後2時30分〜/6時30分〜(2回上映)
会場:ひょうたん島(掛川市駅通り)
料金:前売1,500円(ドリンク付き)
主催:蒼生舎/お問い合わせ:ひょうたん島


日活:配給:ATG(1981年製作/135分)
監督:根岸吉太郎
原作:立松和平
脚本:荒井晴彦
音楽:井上尭之
キャスト
和田満夫……永島敏行
花村あや子…石田えり 中森広次…ジョニー大倉
カエデ……横山リエ 満夫の母・トミ子…七尾伶子
カエデの亭主……蟹江敬三  和田哲夫…森本レオ
農協職員…江藤潤  満夫の父・松造…ケーシー高峰
チイ………藤田弓子 警官D…内田裕也 他


都市周辺の農村は新しい工業団地と住宅団地によって寝食され、ほんのしばらく前までは水田と栗林と雑木林だった土地が無防備のまま崩壊されつつある。『遠雷』の舞台は、現代日本の風景の典型である、都市と農村がぶつかりあう境界線上の小さな農家であり、都市化の波に自己の生存基盤をおびやかせながら、なおも「農」であり続けたいとして孤軍奮闘する青年の物語です。村はすでに解体され、かつての美田をしのぶよすがもない。そして人間の心も。そんな中で、残された土地にしがみつくようにトマト栽培を続ける青年は、「自分の場所」を失った多くの人間に反発し、意地になり、無念の想いをかみしめながら、やがて一人「自分の場所」を見つけ直し、覚悟し、ようやく新しい時代への自信と喜びを覚えるのである。

《あらすじ》
北関東の農村のビニールハウスでトマト栽培をしている青年・和田満夫。子供の頃からの親友・広次は土方をしていた。満夫が長年住み慣れた農村は田畑を埋め立てて団地が建ち並び、満夫の父・松造も先祖代々の土地を売った金で立派な家を建てた。大金を手にして女遊びを憶えた父は、家を出てバーの女・チイと同棲するようになる。兄の哲夫も百姓を嫌って東京に出て行った。残った家には満夫の仕事を手伝わずに道路工事に出かける母・トミ子と、昔の話を繰り返す祖母がいるだけである。
そんなある時、満夫に見合いの話が舞い込んでくる。あや子という相手は、まんざらでもない女だ。子供をペロリと産みそうだ。二人はその日にも、モーテルで抱き合った。父が帰って来た。世話になった人が立候補するので、選挙の手伝いをするという。母も父の浮気のことなど忘れて、調子に乗っている。
その頃、子供の時からの友人・広次が工業団地に住む人妻、カエデと駆け落ちした。カエデは満夫のビニールハウスにトマトを買いに来たこともあり、関係を結んだこともある。いらだつ満夫に、追いうちをかけるような事件が続いた。トマトが大量発生したアブラムシで全滅してしまった。そして、父も選挙違反で警察にあげられてしまった。
あや子の父の希望で、村一番の盛大な結婚式をあげている晩、広次が帰ってきた。カエデを殺してきたと言う。盛大な宴の歓声が母屋から聞こえてくる。ハウスの中で広次は告白しながら泣いた。そして「稲刈り、頼んだぜや」と言い残して自首した。
警察を出た父はそのままチイとどこかへ行ってしまった。残された満夫とあや子が腐ったトマトを燃していると不動産屋がやってきて土地を売ってくれと言う。満夫は猛烈な勢いで不動産屋を追い返した。はるか遠くで、雷が鳴っている。

(写真・文/蒼生舎/日活データベース/eiga.com/パンフレットより)

  風の旅団掛川公演《六の風》「王國と覊族」

風の旅団掛川公演《六の風》「王國と覊族(ジプシー)」
日時:1985年9月29日(日)
開場:午後6時30分/開演:7時00分
会場:龍華院境内特設大テント(掛川市城内)
料金:前売1,500円/当日1,800円
主催:蒼生舎/お問い合わせ:ひょうたん島・78%編集室


作:桜井大造・池内文平
演出:桜井大造
舞台:花上直人・浜村篤
音楽:Orquesta del Vient
照明:吉原ちあき
衣裳:熊井和恵
制作:中原蒼二・神田十吾
美術:桂観念宮明夫・小野智

出演
香乃カノ子・水野慶子・対馬なつみ・清水浩一郎・いたむこうじ・小間旡允・大谷蛮天門・桜井大造・根岸良一・呉一郎・壬太一・中村敦・水畑功・平田薫

《梗概》
百年の王国が権勢をふるっている帝都の中枢に、不可視の千年の王国も又存在している。近代の日本の核から分裂したかのような累々たる民の列は、帝王の死を前後して、核へと再び融合していくかに視える。
所は、そこかしこにある。容易に洗われない澱んだ運河の辺所である。自ら光を発するがために、外からは眼に映ることのない発光する街が舞台である。この都の光の源に棲む場所である。
芸能民、原発ジプシー、下層労働者、アジアの民族、バックパッカーなど〈あるき筋〉の者たちが、発光する街に散集してくる。彼らは、百年の王国の中にては〈影〉であった。そして千年の王国の中では、光源なのであった。例えば、原子爆弾の光に、石段に焼きつけられた〈影〉は〈光〉となって起ち上がってこなくてはならない。
権力の舞台の上でのエンターテインメントに投影された〈影〉の芸能は〈光〉を放ちながら、権力を照射しなければならない。
石段に焼きついた影が、孕んだ子供たちが居る。彼らは百年王国の終末期に、それぞれの出身を確かめてみる。遺伝子の脈絡を辿ってみると、不可視の千年王国は鮮やかに甦ってくるのであった。(佐藤満夫氏追悼)

   (写真・文/桜井大造著の書籍及びリーフレットより)

    映画「竜馬暗殺」坂本竜馬生誕150年 蒼生舎5周年特別上映
日時:1985年11月24日(日)
   午後2時30分〜/6時00分〜(2回上映)
会場:ひょうたん島(掛川市駅通り)
料金:1,500円(ドリンク付き)
主催:蒼生舎/お問い合わせ:ひょうたん島

製作・配給:ATG 1974年
監督:黒木和雄
脚本:清水邦夫・田辺泰志

キャスト
坂本竜馬……原田芳雄   中岡慎太郎…石橋蓮司
右太…………松田優作   妙……………桃井かおり
幡……………中川梨絵   富田三郎……粟津號
藤吉…………野呂圭介   大久保利通…田村亮
中村半次郎…外波山文明  岩倉具視……山谷初男 他



この映画は竜馬が暗殺されるまでの3日間にスポット当て、幕末の青春と性と政治に、大胆な仮説を提出しようとするものである。坂本竜馬を原田芳雄、中岡慎太郎を石橋蓮司、近江屋の娘を桃井かおり、幡の弟右太を松田優作が演じている。

《あらすじ》

11月13日、氷雨の下、京の街並を走り抜けていく男がいた。「酢屋」から「近江屋」の土蔵へ身を移す。竜馬と呼ばれる男だ。新しい時代を求めて、抗争と内紛の絶えなかったこの頃、身の危険を感じての逃亡だった。しかし、近江屋へ移った竜馬は、意外なほどノンキにかまえていた。彼は、すぐ隣の質屋・叶屋の離れに囲われている女、幡と知り合い、急速に接近する。そんな竜馬を狙わざるを得ない立場に追い込まれたのは、かつての同志、陸援隊隊長の中岡慎太郎である。慎太郎には、酢屋の娘の妙という恋人がある。竜馬のかつての恋人だ。こうした奇妙な関係に、もうひとつの青春が登場する。竜馬を狙うテロリスト、右太である。そして、この少年は幡の弟だった。

11月14日、竜馬は慎太郎に会う必要にかられ、女装して“ええじゃないか”の群れに身を投ずる。そんな竜馬に密着して、殺す機会をうかがう右太。

11月15日、この日、土蔵から近江屋の二階に移った竜馬と慎太郎は、何者かの手にかかって暗殺されるのだ。“竜馬暗殺”を目撃した唯一の証人幡は、折から叶屋になだれ込んだ“ええじゃないか”にまぎれ込んで、二度と姿を現すことがなかった。

(写真/映画画面等より・文/リーフレットより)