1984

   映画「宮本武蔵・第一部」

日時:1984年3月25日(日)
   午後2時30分〜/6時00分〜(2回上映)
会場:ひょうたん島(掛川市駅通り)
料金:前売1,000円/当日1,200円
主催:蒼生舎/お問い合わせ:ひょうたん島

作家・吉川英治がこの宮本武蔵を書いた1935年は、日本がはっきり軍国主義の体制を固め、世界もファシズムと自由資本主義と共産主義の三つ巴になって力と力で睨み合っていた時期であった。もはや理屈を言ってもはじまらない。生き抜くために勝つだけ、という考えが、広く日本中の人々の心をとらえた時期であった。(文:岡本)


東映(1961年製作/110分)
監督:内田吐夢
原作:吉川英治
脚色:鈴木尚之・成沢昌茂・内田吐夢
撮影:坪井誠・吉田貞次

キャスト
新免武蔵……中村錦之助(萬屋錦之介)
お吟…………風見章子  お甲…小暮実千代
お通…………入江若葉  朱実…丘さとみ
本位田又八…木村功   宗彭沢庵…三國連太郎
お杉…………浪速千栄子 他

《あらすじ》
慶長五年九月、天下を真っ二つにする関ヶ原の合戦で西軍豊臣方は惨敗に終った。作州宮本生れの郷士の伜、赤松一族の足軽である17才の新免武蔵(たけぞう)と本位田又八は野望を抱いて西軍に加わったが傷ついて、もぐさ家のお甲とその養女朱実に救われた。この母娘は戦場荒しを稼業とする盗賊だった。
ある日、お甲の家を野武士辻風典馬の一隊が襲った。武蔵は典馬を殴殺し、又八は手下を追いちらした。そんな二人にお甲の誘惑の手がのびた。
又八は許嫁お通を忘れお甲とともに姿を消した。宮本村に向った武蔵に、豊臣方残党詮議が厳しく、武蔵は人殺しを重ねつつ、故郷に向かった。武蔵召捕りのため姫路役人青木丹左衛門が村の七宝寺を本陣として采配を振っていた。
その頃、お通のもとに又八からの縁切状が届いた。又八の母お杉婆と権六叔父は、又八の出奔を武蔵のせいにして武蔵を恨んでいた。
七宝寺には変わり者の沢庵坊主が居候していた。口は悪いが人間は出来ていて丹左衛門も歯が立たない風来坊主だ。農繁期の盛りに百姓達は武蔵召捕りのためにかりだされた。みかねた沢庵はお通と二人で武蔵を生け捕りにしてきた。村人達は仰天した。同じ捕るなら仏の慈悲という沢庵の言葉に武蔵は剣をすてた。だが、沢庵は境内の千年杉に武蔵を吊るしあげた。そして人間としての道を諄諄と武蔵に説いた。「あわれな奴、智惠の光を知らぬ奴、人間の真の強さとはそんなもんじゃない。」
沢庵の大きな心を知らないお通は武蔵を哀れに思い、一夜、武蔵を助け共に宮本村をのがれた。
武蔵は、囮として捕えられている姉を救出せんと日倉の牢に向ったが、姉は沢庵に救われていた。沢庵は武蔵を、姫路の白鷺城に連れていった。そして天守閣の開かずの間に武蔵を残し沢庵は去っていった。強いだけの武蔵に学問を習わせようというのだ。ここを暗黒蔵として住むのも、光明蔵として暮らすのも武蔵の心にある、という沢庵の言葉に、武蔵は学問にうちこんだ。この一室を母の胎内と思い生れ出る支度にかかろうと決心したのである。
一方、お通は花田橋の竹細工屋喜助の店で武蔵が出てくるのを待つことになった。宮本村では、権六叔父を供に連れたお杉姿がお通成敗の悲願をかけて旅立った。

  (写真・文/eiga.com/TOUEIVIDEO/パンフレットより)

     映画「宮本武蔵・第二部 般若坂の決斗」

日時:1984年4月29日(日)
   午後2時30分〜/6時00分〜(2回上映)
会場:ひょうたん島(掛川市駅通り)
料金:前売1,000円/当日1,200円
主催:蒼生舎/お問い合わせ:ひょうたん島


東映(1962年製作/106分)
監督:内田吐夢
原作:吉川英治
脚色:鈴木尚之・成沢昌茂・内田吐夢
撮影:坪井誠・吉田貞次

キャスト
宮本武蔵……中村錦之助(萬屋錦之介)
お吟…………風見章子  お甲…小暮実千代
お通…………入江若葉  朱実…丘さとみ
本位田又八…木村功   宗彭沢庵…三國連太郎
お杉…………浪速千栄子 胤舜…黒川弥太郎 他

《あらすじ》
白鷺城の暗黒蔵にこもること三年、武蔵は名を宮本武蔵と改め、沢庵に別れを告げて剣の旅に出た。同行を願うお通が約束の花田橋に駈けつけたとき、武蔵の姿はすでになかった。
三年後、京は祗園の色里で吉岡清十郎がお甲の娘朱実にうつつを抜かしていた。武蔵の幼馴染の本位田又八は、お甲の名ばかりの亭主だ。清十郎が伊勢に旅立った日、吉岡道場に現れた武蔵は門人数名を敗った。清水坂で武蔵に果し合をいどんだのは本位田家のお杉婆と権叔父だが、武蔵は相手にせず逃げ去った。木賃宿で逢った城太郎少年が青木丹左衛門の一子と知り、武蔵は弟子にすると約した。醍醐道で追いついた城太郎は、武蔵に又八からの書状を渡した。吉岡道場千人の門下が意趣をふくみ、武蔵を捜しているという。武蔵は明春一月、道場を訪ねると清十郎に返事を書いた。その手紙を城太郎が大和街道で落したとき、市女笠の旅の女-お通が教えてくれた。一方、奈良奥蔵院裏の畑で、武蔵は鍬を手にした老僧日観師のただならぬ気魄に舌を巻いた。訪ねる宝蔵院の胤舜は不在。どの修業者も高弟阿巌の敵ではなかった。が、武蔵の鋭い木刀に阿巌は血を吐いて息絶えた。その武蔵に「強さをためねばならぬ」と戒しめたのは日観で、武蔵は「敗れた!」と呟いた。
その頃、奈良には素性の知れぬ牢人衆が多く流れ込み、町を荒らし回っていた。そして、武蔵に恨みを抱く牢人たちは宝蔵院の荒法師たちを煽動して、武蔵を囲んだ。武蔵は奮然と斬りまくった。牢人衆に加勢するはずの法師たちは、逃げる牢人衆を片端から突き伏せた。奈良の町を大掃除しようと、日観師が胤舜に策を授けたのであった。武蔵が胤舜に礼を述べると武蔵の味方をしたのではない奈良の大掃除をしたまでと答えた。南無妙法蓮華経の題目を記した供養の小石を武蔵は空に投げた。「殺しておいて何の供養ぞ!」

  (写真・文/eiga.com/TOUEIVIDEO/パンフレットより)

  映画「宮本武蔵 ・第三部 二刀流開眼」

日時:1984年5月27日(日)
   午後2時30分〜/6時00分〜(2回上映)
会場:ひょうたん島(掛川市駅通り)
料金:前売1,000円/当日1,200円
主催:蒼生舎/お問い合わせ:ひょうたん島
東映(1963年製作/104分)
監督:内田吐夢
原作:吉川英治
脚色:鈴木尚之・成沢昌茂・内田吐夢
撮影:坪井誠・吉田貞次

キャスト
宮本武蔵……中村錦之助(萬屋錦之介)
お杉…………浪速千栄子 お甲…小暮実千代
お通…………入江若葉  朱実…丘さとみ
本位田又八…木村功   林吉二郎…河原崎長一郎
吉岡伝七郎……平幹三郎 佐々木小次郎…高倉健 他

《あらすじ》
般若野で不逞の浪人の群を倒した武蔵は城太郎をつれて柳生石舟斎宗厳の城に向い、この剣聖と剣を交えようとしたが果せない。吉岡清十郎の弟伝七郎もまた石舟斎に会おうとするが、お通を通して拒絶されてしまう。
一方、武蔵は柳生四高弟と剣談を交えるところまでこぎつけたが、城太郎が紀州公より賜った柳生家の愛犬を打ち殺したことから、高弟たちと対立した。そのとき、お通の笛の音が流れ、ハッとした武蔵の袖口が相手の真剣に大きく裂けた。瞬間、武蔵は小刀を抜き放って両刀の構えとなっていた。翌日、右舟斎の庵の前に立った武蔵は庵内にお通の姿を認め、お通も武蔵に気付いた。が、次の瞬間、武蔵は逃れるように姿を消した。
そのころ、吉岡の門弟祇園藤次は旅先で燕返しの秘剣を身につけた佐々木小次郎を知り、更にふとしたことから清十郎も彼の太刀さばきを見て、小次郎は吉岡道場の客となった。
さて、伏見城の改修工事に従事していた本位田又八は、小次郎あての免許皆伝の状を偶然手に入れ、小次郎の名を騙って京に出たが、そこで、清十郎に体を奪われた上、母お甲は藤次と逐電、とう悲運に見舞われた朱実に逢い、それがもとで小次郎に化けの皮をはがされる。
一方、清十郎ばついに宿敵武蔵との対決を決意した。「洛北の蓮台寺野で、九日の卯の下刻」五条大橋でこの高札を朱実も、お通も見ていた。そして武蔵も…。が、武蔵の眼は遠く枯柳に寄りかかっている小次郎にそそがれていた。二人は宿命的ななにかを感じたようであった。小次郎に止められたが、清十郎はひくにひけない。その日は来た。吉岡の門弟約四十人のとりかこむ中で、武蔵の一撃は清十郎の肩をくだいた。

 (写真・文/TOUEIVIDEO/eiga.com及びパンフレットより)

  映画「宮本武蔵 ・第四部 一乗寺の決斗」

日時:1984年6月24日(日)
   午後2時30分〜/6時00分〜(2回上映)
会場:ひょうたん島(掛川市駅通り)
料金:前売1,000円/当日1,200円
主催:蒼生舎/お問い合わせ:ひょうたん島


東映(1964年製作/128分)
監督:内田吐夢
原作:吉川英治
脚色:鈴木尚之・成沢昌茂・内田吐夢
撮影:坪井誠・吉田貞次

キャスト
宮本武蔵……中村錦之助(萬屋錦之介)
林吉二郎…河原崎長一郎 城太郎…竹内満
吉岡伝七郎……平幹三郎 吉岡清十郎…江原真二郎
お通…………入江若葉  朱実…丘さとみ
本位田又八…木村功   宗彭沢庵…三國連太郎
お杉…………浪速千栄子 佐々木小次郎…高倉健 他

《あらすじ》
洛北蓮台寺野で、名門京八流の宗家吉岡の御曹子清十郎の左肩を一撃のもとに打ち砕いた武蔵は、清十郎の弟伝七郎から仇敵とされ、吉岡道場門弟一同から居所を探られる破目となった。武蔵を探しているのは彼等ばかりではない。佐々木小次郎に追われる朱実、お杉婆ア、病床にふけるお通と、城太郎少年も武蔵の行方を追っていた。
或る日、光悦にさそわれ遊廓扇屋に上る途中、伝七郎から果し状をつきつけられた。場所は蓮華王院三十三間堂、雪の中武蔵は伝七郎と相対した。青眼と青眼、二本の刀がひらめいた瞬間、武蔵は伝七郎と吉岡の門弟を薙ぎ倒していた。秘かに扇屋に戻った武蔵を吉野太夫はやさしくさとすのだった。
翌朝、お通の居場所を知った武蔵は総門附近で吉岡一味にかこまれた。が突如佐々木小次郎が現われ、武蔵との決闘を決めた。明後日の朝、寅の下刻、場所は叡山道、一乗寺の麓薮之卿下り松、そして名目人は壬生源左衛門の一子源次郎を立てることに一決した。高札を見た群衆がひしめき、お杉婆アは息子又八の弔合戦といきみ合った。
やがて当日、武蔵が叡山道にかかった時、病身のお通に会った。武蔵が斬り死にすれば自分も生きてはいないつもりというお通の言葉に、剣に生涯をかけた武芸者武蔵の心に、お通に対する恋慕がよぎった。一足先きに着いた武蔵は、松を中心に地形の頂点に立った。やがて吉岩方の姿が現われた。「七十三対一」瞬間、武蔵は相手方の配置を読み、地形を利用した自分の行動をきめた。「しかし勝負は何できめる、敵はおれ一人が目的、その俺の目標は、そうだ本陣だッ、総大将だッ」武蔵の見取図は源次郎少年を中心にひかれた…白鉢巻の間の手裏剣、大小の二刀流の体ごと、下り松に向い疾風逆落しと見事、剣は風を切った。

 (写真・文/TOUEIVIDEO/eiga.com及びパンフレットより)

  映画「宮本武蔵 ・第五部 巌流島の決斗」

日時:1984年7月29日(日)
   午後2時30分〜/6時00分〜(2回上映)
会場:ひょうたん島(掛川市駅通り)
料金:前売1,000円/当日1,200円
主催:蒼生舎/お問い合わせ:ひょうたん島

東映(1965年製作/120分)
監督:内田吐夢
原作:吉川英治
脚色:鈴木尚之・成沢昌茂・内田吐夢
撮影:坪井誠・吉田貞次

キャスト
宮本武蔵……中村錦之助(萬屋錦之介)
林吉二郎…河原崎長一郎 宗彭沢庵…三國連太郎
細川忠利……里見浩太郎 長岡佐渡…片倉千恵蔵
お通…………入江若葉  朱実…丘さとみ
本位田又八……木村功  宗彭沢庵…三國連太郎
お杉…………浪速千栄子 佐々木小次郎…高倉健 他

《あらすじ》
一乗寺下り松に吉岡一門を葬った武蔵は、宿敵・佐々木小次郎との再会を約して、再び修業の旅に出た。その冬、武蔵は生活力のたくましい童子・伊織を知りその厳しい生活態度にうたれて、伊織と共に鍬を持ち荒地に挑んだ。やがて、武蔵の苦労がみのり二俵の米を得た秋、野盗が村を襲った。武蔵の怒りの剣はうなり、野盗は撃退された。
農作期も終り伊織を連れて江戸へ出た武蔵は、計らずも立ち寄った研師厨子野耕介の家で小次郎の愛刀・物干竿を見た。小次郎は、細川藩家老岩間角兵衛に見出され、細川家の指南役にかかえられていたのだ。
一方宿に旅装を解いた武蔵は、彼の腕前にホレこんだ博喰・熊五郎の世話でのどかな日を送っていたが、ある日小次郎から、居所をつきとめたお杉が町奴・半瓦弥次兵衛らを連れて乗りこんできた。が、この騒ぎも、折しも武蔵を迎えにきた将軍家指南役北条安房守の駕篭で難を逃れ、安房守の屋敷に入った。武蔵はそこで柳生但馬守と沢庵に会った。沢庵は柳生の庄で石舟斎の看病をするお通を呼び、将軍家指南として身をたてることを勧めた。だが、閣老会議は武蔵が年端もゆかぬ吉岡源三郎を斬ったことを理由に、これを却下した。
数日後、武蔵は小次郎からの果し状を受け取った。決闘の場は豊前小倉。武蔵は伊織と佐渡宛の別れの書状を沢庵に渡すと京を後にした。一方、お通も沢庵から武蔵の消息を聞き、武蔵の後を追って小倉に向った。そして途中、又八、朱実、さらにお杉にも再会した。今ではお杉も、お通への誤解を解き自らの非を詑びるようになっていた。
潮騒ぐ巌流島。武蔵を待ち受ける小次郎。燃えるような焦慮を押さえ切れぬ小次郎の目に、やがて武蔵を乗せた小舟がうつった。水際に駆ける小次郎、飛び降りる武蔵。武蔵が宙に飛ぶと小次郎の物干竿が一せんした。武蔵野鉢巻きが落ち小次郎は勝った…と思った。が、それよりも一瞬速く、武蔵の剣は小次郎を倒していた。砂の上にうつ伏した小次郎を見下す武蔵の姿は凄まじいばかりの静けさをたたえていた。

 (写真・文/TOUEIVIDEO/eiga.com及びパンフレットより)

    映画「けんかえれじい」
日時:1984年11月11日(日)
   午後2時30分〜/6時00分〜(2回上映)
会場:ひょうたん島(掛川市駅通り)
料金:1,000円
主催:蒼生舎/お問い合わせ:ひょうたん島

日活(1966年製作/86分)
監督:鈴木清順
原作:鈴木 隆
脚色:新藤兼人

キャスト
南部麒六 高橋英樹
道子   浅野順子
スッポン 川津祐介
タクアン 片岡光雄
恩田清二郎 宮城千賀子 田畑善彦 夏山愛子 佐野浅夫 
晴海勇三 長弘 福原秀雄 横田陽子 加藤武 野呂圭介 他

《あらすじ》

岡山中学の名物男南部麒六は“喧嘩キロク”として有名だ。キロクに喧嘩のコツを教えるのが、先輩のスッポン。そのスッポンのすすめでキロクは、OSMS団に入団した。OSMS団とは岡山中学五年生タクアンを団長とするガリガリの硬派集団だ。そのOSMS団と関中のカッパ団とが対決した。キロクの暴れぶりは凄まじく、この喧嘩で忽ち副団長となった。
だが、キロクにも悩みはあった。下宿先の娘道子が大好きで、硬派の手前道子とは口もきけないからだ。反対に道子は一向に平気でキロクと口を聞き、野蛮人のケンカ・キロクには情操教育が必要とばかり、彼女の部屋にキロクを引き入れてピアノを練習させる始末だ。そのうえ、夜の散歩には必ずキロクを誘いだした。ケンカに強いが女にゃ弱い。キロクはガタガタふるえるばかり。この二人の道行きをタクアンが見つけたからおさまらない。硬派にあるまじき振舞いとばかり、キロクを殴りつけようとした。それと知ったスッポン先輩がかけつけて、その場は何とか切り抜けたが、キロクの道子病は重くなるばかり。その煩悩をたち切ろうと、学校ではことさら暴れ廻り、配属将校と喧嘩したため、若松の喜多方中学校に追い出されてしまった。
しかし、転校一日目にして、喧嘩キロクの名前は全校にひろまってしまった。会津中学の昭和白虎隊と名乗る三人組をやっつけたからだ。この喧嘩は大喧嘩に発展した。昭和白虎隊がキロクに宣戦布告をしたからだ。キロクには喜多方中学の硬派が続々と集り、決戦の場会津鶴ケ城でしゆうを決することになった。この大喧嘩は町中の評判となり、キロクは停学処分をうけた。
下宿でポツンと一人で居るキロクのところに、珍客が現われた。はるばる岡山から道子が尋ねて来たのだ。感動の面持ちで、じっと道子をみつめるキロクに道子が思いがけないことを告げた。道子は長崎の修道院に入るというのだ。キロクは絶望のどん底にたたきこまれる思いだった。このつらさを忘れるためにも、もっともっと暴れまわらなけりゃならない、喧嘩しなければならないとキロクは思うのだった。