自然派SOHOの田舎暮らし快適実践術
メールマガジン「八ヶ岳の里から」バックナンバー
《第57号》2008年12月28日発行
◆いろいろな里山の出来事
◆我が家の間伐
◆田舎暮らしと病院(緊急入院の巻)
◆やっと本格的な寒さになりました。今年も残すところあと数日。冬を堪能している暇もなく、何かと忙しい毎日です。「八ヶ岳の里から」は年内の最終号になります。今年は発行出来ないことが多く、月に一回のペースも守れませんでしたが、それでもご購読してくださり大変ありがたく思っております。今年一年間のご愛読頂きありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願い致します。



   ◆続編-いろいろな里山の出来事

《我が家の間伐》

前号で近くの林の皆伐をお伝えしましたが、我が家も木を間伐することに決めました。といっても、借りている山の手入れと間伐です。今年は我が家の西斜面ではなく、南西の道向こうの畑の上の林。

そこは道から続く緩い斜面なのですが途中からやや急な勾配になって、借りている3段目の畑に入り込んでいる約700平米の雑木林です。

北側の半分近くは10数年前地主さんが全て切ってしまってあったので今は木はありません。残りは、約400平米くらいでしょうか。かなり密生しています。

この林のため、3段目の畑は夏でも半日くらいは日陰になります。したがって、ここの畑では一度も作物を作ったことはありません。

間伐の目的はいつも同じで、来年の冬のための暖房用の薪の調達と、きのこのホダ木用です。

木は密生していると上手く育ってくれません。建築資材としての林業の場合、2間(約3.6メートル)の棒を持って林の中を歩き、木々の間を木に触らない様にすり抜けられれば上手く育つということを聞きました。

とりあずそれを手本にさっそく図面を書いてみると、100平米で8本位が良いような状態です。実際に林に入ってみました。

大体で計って木の本数をみると、先の基準値の倍近い立木がありました。樹種は、コナラ、朴の木、山桜、リョウブ、栗などです。隣地境界線上に、大きなクルミの木が1本有りましたが、これは切らずに残すことになりました。この木を基準にして間隔を計り、間伐しようと思います。

その前に行うことがあります。藪切りと枯れ草刈りです。

林の中は手入れがしてないので1〜2メートル太さが2〜3センチくらいの様々な低木だらけ。チェーンソーも入らないぐらい密生しているので、今回、草刈機で全て切ってしまいます。林業用の草刈り機の刃を地主さんから借りてきてバンバン切っていきます。なかなか良い切れ味です。

ここの林の中には、しっかりとした獣道が2本通っています。そこを頼りに進みながら切りはじめ、次第に上下に広げていきます。急斜面は足場が無いので大変ですがなんとか下の畑に切り落としていきます。

この獣道は、主に鹿が利用していますが、夏には猿も行き来していました。藪を刈ってしまったため見通しの良いすっきりした道になりました。動物も隠れる場所もなくなり、いつも利用している鹿は通りにくくなったことと思いますが、一気に駆け抜けてください。ごめんなさいです。

取りあえず、畑に近い下の方の木から間伐を始めました。腕ぐらいの木から15センチくらいの太さのコナラ5本、これは椎茸用です。

次に、朴の木。2本が根本近くで束生している10センチぐらいの太さです。これは、ナメコ用と薪です。

リョウブ、西洋サルスベリとも言います。これも10センチくらいで薪用です。一段上がって切った25センチくらいのコナラは、太い部分が薪用、後りの太い部分はは椎茸用です。

木は次々と豪快に下の畑に倒れていきます。

今、やっと半分くらい切りました。残りは来年になるかどうか、時間が有れば年内に玉切りまで済ませたいと思っています。



   ◆田舎暮らしと病院(緊急入院の巻)

ここ富士見町には、地域の中核となる中規模の病院があります。
隣の山梨県からも通院している人も多くいます。町内唯一の総合病院である長野県厚生農業協同組合連合会の富士見高原病院。ここは農村地帯なので、その経営母体はやはりJA(農協)でした。

創設は大正15年。当時は療養所でしたが、現在は地域に密着した総合病院で、25名の医師と200名以上のスタッフが勤務しており、ベット数149床、町の中心街にあり、我が家から車で20分くらい掛かります。

12月半ば過ぎの深夜、右の肋骨近くの腹部に激痛が走りました。痛さのあまり声も出ず、息を吸うこともうまく出来ません。

胃の痛みは度々あったので多少のことは我慢できましたが、今回は違います。腹部は硬直し、やや膨らんでいます。痛みは数分続き、次第に弱まってきました。
「穿孔?」とも思いましたが、初めてのことなので良くわかりません。

妻は「緊急で今すぐ看て貰おう」と言っていましたが「痛みも薄れてきたので、とりあえず一般外来で朝病院に行く。」と普段では絶対に言わない言葉を不覚にも吐いてしまいました。(病院が大嫌いなので)

妻に予約を取ってきてもらい、朝一番で病院に連れて行ってもらいました。痛さは大分弱まったものの、引き続き大きな波の様に最初より少ない中規模の痛さが押し寄せてきます。

病院に着きました。内科の待合室には、もう50人以上が待っています。この不景気に大盛況です。それでもなお次々と患者が入ってきます。当たり前ですが、私同様皆一応に元気がありません。

診察前に筆記で症状を書き込み、内科の受付に提出しました。25分ぐらいして、やっと私の名前が呼ばれました。取りあえず最初は女医さんの問診と触診です。すぐに血液を採取され、検査です。
「ちょっと、ちくっとしま〜す。」と若い看護婦さんに軽く言われ、ちょっと「むかっ」としましたが、しかたありません。この結果内容で、私の担当医が決まるようです。

その後、エコー検査、CT、レントゲンと続き、担当医の元へ。知人によく似たその男性の医師は、カルテや資料を見ながら痛いのはどこかと腹を押さえます。私は痛さで医師の手を払いのけました。「あ〜これは、入院だな〜」の一言。

後で聞くと、「白血球が19,000個以上!」健常人は4,000〜9,000個くらいなので、体の中のどこかが異常事態です。なんとなく腹部のどこかの炎症性疾患のような気もします。たぶん以前患った十二指腸潰瘍のちょっと酷いのだなとは想像がつきますが、自己判断なので良くわかりません。

有無を言わせず、そのまま車椅子に乗せられ、3階の病室に連れて行かれました。病室は4人部屋。数人の看護婦さん達が手際よく準備をしてくれました。

「絶対安静です」とベットに寝かされ、私は白い天井を見ながら
「なんてこった!」と心の中で叫びました。

(次回は、悲喜こもごも--入院生活初体験)



【編集後記】

自分を取り巻く状況や周囲の変化に対応することは大事なことですが、昨今の社会状況はとても真面とは思えません。「一揆」が起きないのが不思議なくらいです。外的には様々な法律や決まりがあり、内的には学校や社会で培われた道徳規範が作用しているので、そのようなことは起きにくいかもしれません。しかしながら今の閉塞感は政治がもたらしたことは否めません。

これから客観的条件がもっと出そろえば、市民革命や産業革命によって現れてきた今の近代社会が、また新たなステップに移行するかもしれません。来年は、みんなに素晴らしい夢を抱かせるような幸福が訪れることを祈ります。

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