自然派SOHOの田舎暮らし快適実践術
メールマガジン「八ヶ岳の里から」バックナンバー
《第15号》2006年3月8日発行
◆ いなかのSOHO(素人が建てるログハウス 基礎)
◆ 今週の話題(梟:ふくろう)
◆いなかのSOHO
前号からの続き「素人が建てるログハウス」です。
●基礎は地元の業者に
何事でも言えることですが、基礎は、目立ちもせず派手さもありません。
しかし学業にしても、技術にしても、研究にしても、何かを行う場合、その地道な基礎の上に、これから次に何かが備わる土台(ステップ)として、重要になる部分です。家の基礎にしてもその役目は肝心要。構造物として重要度がかなり高い部分です。適当に妥協したり、その本来の役目を甘く見ると、必ずいつかは後悔する部分でもあります。
特に寒冷地では、基礎は最重要視しなければならない構造物になります。例えば、凍結深度。私たちが長年住んでいた暖かい静岡では、地盤の強さの地耐力があれば基礎の深さはまず考えないことですが、寒冷地では地耐力に加え、凍結深度を基準に基礎の深さを考えなければなりません。
凍結深度とは、一番寒いとき地面が凍ってしまう深さです。ただ凍るだけなら問題はないのですが、土には水分があるので困りものです。水は凍ると体積が増えます。一般には1割ほど体積が大きくなるといいます。顕著な例が冬によく見る霜柱です。そのような現象が大地の中でも起きますから浅い基礎だと、家が巨大な霜柱の上に建っているような状態です。均等に凍結して、均等に融けてくれれば良いのですが自然界ではそう上手くはいきません。
凍結深度を無視して基礎を作ると、家が歪んだりしてすべての家の構造にダメージを与えます。一般的に水はけの悪い所では、凍結深度よりかなり深く基礎を作らなければなりません。いつも水が流れている水道管の配管でさえも、防寒しない場合は凍結深度の1.5倍は深く埋めなければなりません。
原村や富士見町の場合、特に高地にある別荘地は凍結深度が120センチ(当時)と決まっていました。北海道では、かなり寒いと思われる地域でもせいぜい100センチ止まりですから、ここはそれ以上の寒冷地だと言えます。しかしながらこういう極寒の地でも、中には凍結深度を無視する業者もいるようです。
でも、冬になるとすぐその結果が見事に明らかになります。家が傾いたり、階段が持ち上がり壊れたり、ベランダが壊れたり、業者の無知か故意かはわかりませんが、ほとんど地元以外の業者の仕業です。設備でも同じようなことが言えます。特に怖いと思ったのがプロパンガスの配管とガスボンベの設置位置です。
ある家で、真冬に突然ガスが使えなくなりました。困り果て、業者を呼んで調べてもらったところ、外のプロパンガスのボンベから出るゴムの配管が折れて切れかかっていたといいます。原因は、プロパンガスのボンベの凍上です。ボンベの配達業者は、そこまで想定していなかったのでしょう。簡単な3〜4センチ厚のコンクリート平板の上にボンベを置いただけでした。設置が夏だから冬のことは頭になかったようです。
地面にそのまま置いてあった平板が、寒さのため凍った地面と共にボンベを押し上げ、ボンベが壁に固定してあった配管バルブに当たり、配管のホースを曲げながら押しつぶしていたのです。ホースは断裁される寸前でした。ガスもこないわけです。ある家とは我が家でした。もう少しでガス漏れです。危ない危ない。
基礎だけは家が建ったらなかなか直せる物ではありません。これはログハウスに限った問題ではなく、全ての構造物に言えることです。ということで私たちは地元の、以前も話に出た、茅野市の知り合いの業者に基礎工事を頼むことになりました。基礎を自分たちで施工することは全く頭にありません。もちろん基礎に関する知識も技術も、時間もなかったのですべてお任せです。
●忙しさが普通だった毎日
基礎を業者に頼むことになってほっと一息、基礎工事まで後2ヶ月。しばらくは落ち着いて仕事が出来ます。肝心な仕事はおろそかには出来ません。でもあと一年以内には、クライアントに長野移住を説明しなければなりません。何時切り出すかが問題です。この話は後にして、当時のこの時期のごく日常的な仕事をふり返ってみます。
事務所の女性スタッフ2人は朝8時から夕方5〜6時まで、妻は朝9時頃から夜11時頃まで、私は出社時間はマイペースながらも夕方の3〜6時ごろから明け方6〜7時頃まで必死に仕事をしていました。ほとんど事務所の電気が消えたことはありませんし、休みも滅多にありません。
主なこの時期の仕事は、商店の販売促進企画に基づいたチラシやポスターの制作、役場や会社、企業の会社案内、イベント企画など。掛川のタウン誌を発行していたので、その企画構成、取材と撮影、編集制作、ライブハウスのイベント企画、ブッキングの窓口、メニュー試作、等々。これらがすべて平行して行われています。ある1〜2日(夕方から次の次の日)を見てみると…
建設会社の新聞広告の版下製作
製茶会社のコピーライト
自動車部品工場の求人チラシ版下製作
楽器会社のコンサート打ち合わせと企画構成
観光協会のポスター校正打ち合わせと制作と製版指定
ブティックの販売促進ラフ制作
ライブハウスでの山谷映画の上映会と討論会
タウン誌のいろいろな取材の原稿起こしと次号の特集企画
ファミリーレストランのディスプレイ
その間にも、ライブ関係で金森幸介、五つの赤い風船の西岡たかし、大塚まさじなどの出演交渉や打ち合わせ等、今思うと殺人的なスケジュールです。妻は取材や、営業、校正と事務所にいることはほとんどありません。よくもまあこんな事を8年間近くスタッフ共々皆やっていたんだと我ながら感心します。今思うと、当時の数日間の仕事量は、現在の1ヶ月分の仕事量よりだいぶ多い気がします。と言うことは、今の20〜30倍(?)もはたらいていたのでしょうか。
そしてどういう訳か、数日後の3月10日には、武道館のボブディラン&トムペティのコンサートにもわざわざ東京まで1日かけて行っていました。そんな暇が有ったとはとても思えません。きっとその時は重大なコンサートだったのでしょう。忙しいスケジュールの中、良い息抜きになったことでしょうが、あまりよく覚えていません。
結局、このような忙しさが長野に移るきっかけとなったことは言うまでもありません。ログハウスが出来るまでは、この忙しさは続いたのでした。
(つづく)
◆ 今週の話題《梟:ふくろう》
ここの裏山の何処かに、フクロウが住んでいるうろ(樹穴)があります。
先日の夜11時過ぎのことです。愛犬の用足しに外に出たところ自宅横のコテージの裏の上の方で「ホッホ〜、ホッホ、ホッホッ」とフクロウが鳴いていました。他に音が少ないので、その鳴き声は山によく響きます。心地よい低い声で「ボウ」と鳴いた後、おなじみのフクロウの鳴き方で、私には「ボウホ、ホッホ〜」と聞こえるように、鳴いていました。
以前は、懐中電灯を持ってその行方を追いかけていた時もありましたが、そこで気が付いたことは、あんなに大きな鳥なのに羽音が無いことです。慣れると、見付けるのは以外と簡単でした。フクロウの鳴き声がしたあと必ず何処かに飛び去り数十〜百メートル移動します。そして、そこで再び鳴き始めます。声が大きいので位置はすぐに特定できます。遠くに行ってしまうこともありますが、2〜3割の確率でまた近くに戻ってきます。
観察していると、だいたいフクロウが飛び廻る中心が絞られてきますので、次の飛来を懐中電灯を上空に照らしながら待機して待ちます。すると、うっすらながら、懐中電灯の明かりのどこかに白い物が横切るのが感じます。人間でも夜中に動く物には暗くてもどうにか判断できます。
もちろんその正体はフクロウです。やはり飛翔音はしません。日本野鳥の会の本に書いてあった通りです。ここでまた気が付きました。飛んでいるときには人間には、少なくとも私には全く羽根の空気を切り裂く音が聞こえません。しかし、木に止まるとき、その大きさ故、葉を翼でたたくからだと思いますが、かなり大きな「バサバサッ〜、ガサガサッ〜」という音がします。
暗闇でもどこにとまったか、すぐわかります。せっかく音を立てずに飛ぶ特技がありながら、とまるときに大きな音を立てたのではあまり意味がありません。音のした木下から光をあてると、けげんそうな黒い目と白い顔。ゆっくり首をくるくる動かし、こちらを警戒しながら見ている様子が観察できます。
またその木から飛び立つときも、音はとまるときよりは小さいですが、同じように葉をざわめかしながら飛び立ちます。実際に獲物を捕るときには、こんな木の茂みからは狙わないで、もっと前方視界の開けた場所、木にとまるなら葉がない枝にとまると思います。なにせ森の賢者という梟ですから。
【編集後記】
先月の終わりくらいから春が待ち遠しくなり家のまわりのどこかに春を探し廻っていた。3月4日にようやく食べられる春を見つけた。フキノトウである。もう十分にふくらんでいる。フキみそを作るにはには数が少ないので天ぷらにした。借りている畑の地主さんがご夫婦で見えたので、妻が採ってきたばかりのものをさしあげると「お〜お〜ぅこりゃ初もんだわ、さっき下を探してたんだが、まだどこもなんもでてねぃ。ありんがとう。なによりじゃわい。こりゃええわ。」と大層な喜び。春の恵みは人を笑顔にさせます。
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