自然派SOHOの田舎暮らし快適実践術
メールマガジン「八ヶ岳の里から」バックナンバー
《第7号》2006年1月11日発行
◆ いなかのSOHO(土地との出合い/原村篇その3)
◆ ログハウスのメンテナンス(煙突掃除)
◆ 今週の話題(雪道の必需品スパイクブーツ)
◆いなかのSOHO

今回のお話は前号からの続きで土地との出会い(原村偏その3)です。

 ●八ヶ岳山麓は古代から住みやすいところ

ペンションオーナーは私達の横に座り、ときどき他のお客さんと話しながら、

「ご存じだと思いますが、八ヶ岳の西麓や南麓は風土が良かったので古代から栄えていて、人も多く住んでいたところなんです。」

「あまり良くは知りませんけど、尖石(とがりいし)遺跡は有名ですね。」

「その時代よりもっと後になりますけど、昔は、竪穴式住居に暮らしていて、今よりは暖かかったようですけど、それでも八ヶ岳のこの環境で四季を通して住んでいたんですよね。」

「現代の住宅ならいろいろ便利な設備も整っているし、寒さにも強いつくりなので住みやすい(笑)。」

「世界中には、ここよりもっと高いところで暮らしている人たちも大勢居ますが、標高1000メートル前後が人間が生活するにはちょうどよい高さらしいですよ。」

事実、茅野市蓼科の尖石考古館 には約2万年前ころだといわれる黒曜石の石器が展示してあり、富士見町の井戸尻遺跡の考古館にも有名な縄文土器が展示してあり、遺跡も各地にあります。

また、これは最近聞いた話ですが、地元の人の話によれば、原村や富士見町では、畑や田んぼを掘り起こせば縄文土器のかけらぐらいは今でも出土することがあるといいます。なかには出土しても、史跡の調査が入ると農作業が中断して面倒なので黙っている人もいるということです。

八ヶ岳山麓の恵まれた自然は、豊かな縄文文化を創り出しました。狩りをする動物や採取する木の実も豊富で、水は美味しいし、景色はきれいで、総合的に住み心地が良いところだったのでしょう。だからこそ縄文中期5000年前にはもう八ヶ岳の回りに人々が生活していて、集落を作っていたのだと想像されます。

その風土はいまも引き継がれ、現在も多くの自然を愛でる人たちが住んでいます。都会をはなれたここのペンションオーナーもその1人。

「なんといっても、水はおいしいし、空気がきれい。」
「交通量も少ないし、車の移動は1キロを1分で計算できる。」
「夏は涼しく、冬は寒いけど風が少ないのであまり寒さを感じさせない。」
「土地も安いので、広い土地が手に入る。」
などなど、八ヶ岳賛歌が続き、いろいろと語り合いました。

「それでは、山に土地は買うことが出来ますか?」と聞いたところ
オーナーは腕を組み、天井を見ながら言いました。

 ●すすめられた別荘地

「ここの上はですね、鉢巻道路より上ですけど、ほとんど原村や茅野の人たちの財産区になっていて、部分的には買えないんですよ。コネがあれば別ですけど、土地の取得はたぶん無理でしょうね。でもね、別荘地なら話は別です。すぐに手に入りますよ。ここの下にも村で売っている別荘地があり、借地権で良ければ安い別荘地もすぐそこにありますよ。」

「財産区なんですか。どうりで家が建っていないんですね。でも借地権はね〜。あまり興味ないんです。借地権って期限が来ればまた契約しなければならないんですよね。」と私。

「お金を払ってもいつまでも自分のものにならないのもいやですよね。
それなら、売り出し中の所有権の別荘地がありますよ。」と、勧められたのが、まだ新しい原村の中央高原別荘地でした。なんと明日行くところと同じ所です。

どういうわけか、このペンションにはパンフレットがあり、すぐに持ってきてくれました。きれいに整った、まだ新しい売り出し中の別荘地です。

「そこなら、管理事務所もあり冬も除雪もしてくれるし、所有権で原野だから自作の家でも建てられるでしょ。」と急に熱っぽく語り始めました。
「さっきちょっと見てきたんですけど、もう暗くて様子がわからなかったので
明日行ってみようと思っているんです……。」

「明日行くのでしたら、営業の人には、うちから紹介されたと言ってください。そうすれば、丁寧に案内してくれますよ。」とオーナーは、ほっとした表情になりニコニコしながら、他の客の話にまぎれていきました。

話が終わり、部屋に戻り、しばらくするとドアを誰かがノックしました。ドアを開けると「今からゲームしますけど、どうしますか?」とオーナー。

楽しいゲームだからどうぞ、と、さそっていただいたのですが、ここまで来てゲームはかなわないので「疲れていますので、また今度。」と言って、また今度がいつかわからないけれど、きょうのところは辞退させてもらいました。

明日はいよいよ土地の下見です。
(つづく)


◆ ログハウスのメンテナンス《煙突掃除》

冬は薪ストーブが大活躍します。ストーブの使用期間中は煙突掃除が滅多に出来ないので、本来ならば使用前と使用後に、時期で言えば11月初旬と4月初旬頃に煙突の掃除をしなければなりません。

我が家の場合ススで煙突がつまることは有りませんが、煙突の一番上にトップカバーがあり、鳥などが入らないように、大きめの金網がまいてあるのでそこがよく目詰まりします。

燃やす木にもよりますが、以前、ハゼの木をしばらく続けて燃やしていたとき、吸い込みが急に悪くなり、家の中に煙が逆流するようになってしまいました。良く燃えるので気兼ねなく使っていたのが良くなかったのです。そうなるとどんな木を入れても上手く燃えてくれず、火力も出ません。

天気のよい日を選んで屋根に登り、煙突を見たところ、やはり、金網が詰まっていました。灰のような白っぽい繊維状のものが蜘蛛巣状に金網の目にからみついていました。ブラシでもうまくとれないので、掃除機を担ぎ上げて吸い込みながらこそぎとり、ようやく開通です。煙突はススが少しついていたくらいで大丈夫でした。

ハゼの木はロウソクも作れるほどロウの成分が多いのでこうなってしまったのだと思います。そういえば薪にしていたとき、しばらくして切り口から茶色いワックスみたいなものがかなり出ていきました。それがいわゆる木ロウでしょうか。ヤマウルシもこの仲間です。もうこの木は二度と燃やしません。


◆ 今週の話題《雪道の必需品スパイクブーツ》

一口に長野と言っても南北に長く山が多い県なので、気候もだいぶ異なります。同じ富士見町でも下は雨なのに上では雪が降っているような時が多く有ります。以前住んでいた原村では、同じ別荘地内でも、上の方では雪、下はみぞれ混じりの雨ということもしばしば。

比較的暖かい富士見に来てからは、雪の日に履く靴はスノーブーツです。しかし、寒い原村では冬は雪が積もっているときだけしか履きませんでした。ほとんどの場合履くのは靴底に針金が数十本出ているスパイクブーツです。

道路は除雪されていますが、圧雪部分が多くほとんどアイスバーンでした。日の当たる場所は雪が融けていきますが、夜間は融けた部分が凍ります。その繰り返しで路面はアイスバーンになってしまい、厚いところは10センチ以上の厚さの氷になってしまいます。

そんなときには、スノーブーツは不向きです。上りは滑って歩きにくく、下りは下手をすると転倒してしまいます。スケートリンクの上を歩いている様なものです。スパイクブーツでも滑るときはありますが、氷面にスパイクがくいつき、氷を削りなが滑るので、どうにか止まってくれます。

スパイクブーツが無いとき、愛犬の散歩でしょっちゅう転倒していました。腰を打ち数ヶ月痛かったことを思い出します。ほとんどの人が転倒経験があるようで、中には骨を折ったり、足をくじいたりした人も居ました。厳しい冬の原村では、ケガをしないためにも、スパイクブーツは必需品です。


【編集後記】

とてつもない大雪が、日本海側を襲いました。長野県の北部も数十年ぶりの大雪ということですが、ここは同じ長野でも、1ヶ月以上も降っていません。もちろん雨も降らないのでどこもかしこも乾燥していて、強い風が吹くと砂嵐状態です。寒さも例年より寒く、零下の日が続きまるで2月の気温です。原村では朝、マイナス15度から17度が続いていて大変な寒さのようです。凍結被害も多く、近所のコテージでは水道が凍結して泊まり客をすべて断っているそうです。トイレの便槽につながる配管も凍ってしまった家もありました。寒いところにお住まいの方は十分気をつけて下さい。

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