さよなら78% 投書特集  
78%KAKEGAWA Vol.78 1986年9月号(最終号)掲載
※一部の投書は割愛しました。
日坂祭男さん(41才/掛川市日坂)

さよなら78%、必ずもう一度あいたい78%、月が変わるとまず読まないと始まらないくらい愛着があった78%、毎月毎月本当にありがとうございました。小さな本に盛りだくさんの内容でいろんなことを教えてくれました。さみしいです、残念です。必ずもう一度みんなの前に出て来てほしいと思っています。日坂を愛し、掛川を愛し、78%を愛した男です。一日も早く79%になって79号が出る事を祈っています。

病院のアッコチャン(21才/掛川市)

(1枚目)え〜。もう78%もおしまいなんですか?とっても残念でなりませんネ。これからもっともっと書いていこうと思ってたのに。ところで、私はまだ病院での生活ですが、もっと苦しい人がいるんだと思って頑張っています。短いお付き合いでしたが、楽しませて頂くことができて本当にありがとうございました。又、復活する日を期待していますからネ。私も、一日も早く社会復帰できるように努力していきます。何にでも、感謝の心で接して、自分をみがいていきたいです。御苦労様でした。乱筆にて失礼します。
(2枚目)暑中お見舞い申し上げます。毎月楽しみにしていた78%も、もう読めなくなってしまうのかと思うと、とっても残念ですネ。私は、4月からずっと病院での生活です。一日も早く我が家へ帰りたいと必死なんですが、思うようにいかないものです。毎日、点滴と輸血や注射…。イヤになってしまうこともありますけど、家族やみんなのお陰で、こうした治療ができるんだナと感謝しています。もっともっと苦しんでいる人もたくさんいるんですからネ。とにかく頑張らなくては…。77号、78号楽しみにしています。

78%より:本当にね、世の中には原因の分からない病気で苦しんでいる人も大勢いるんですよね。健康であることのありがたさをしみじみ感じます。アッコチャンもしっかり養生して、一日も早く退院できる様頑張ってください。「病は気から」という諺もあります。何か一つ目標を持てたら、精神的にも随分違ってくると思うのです。ぜひ、目標を立ててください。生きることの喜びがあるのとないのでは、世の中の見方がまるっきり違います。お互いに頑張りましょう。

泳子さん(17才/掛川市)

もう78号になるのですね。私が小学校6年生のころからあったのに、でっかく廃刊なんて書いてあってショックでした。おつかれさまでした。今、ハニーコーエイの西におもちゃやさんがあるでしょ?そこって、この本がはじまったころ、空き地だったの。そこで毎日クラスの子たちと、スケボーやローラースケートやってたんだ。その風景が写真と少しの記事で載ったことあったんです。覚えてますか。あと、体操着について、みたいなことで取材されたこともあるんですよ。もう、それも6年前のことになるんですね。今度は違う誌名でお会いできることを楽しみにしております。78%万歳!

78%より:ハニーコーエイ横の空き地で取材したこと、よく覚えています。確か女の子と男の子5〜6人でローラースケートをやってたと思うんですが、6年生だった泳子さんも、もう17才になってしまったんですね。6年前を懐かしく思い出しました。

理大漫研さん(18才/千葉県柏市)

こんにちは。今月号(7月号)にイラストを掲載して下さって、ありがとうございました。さっそくこの78%を大学の友人に見せたところ、スケベエだの、ロリコンだの、土木だの、非難集中真珠湾攻撃てなもんで、散々でした。でもよくよく考えてもみれば、とてもタウン誌の巻頭に載せるような絵じゃないですよねぇ。スミマセンでした。ところで、この78%が78号で廃刊というのは本当ですか。タウン誌の発行というのは中々大変な仕事だと思いますが、やめるなんて言わずに目標の78号が達成できたなら、次は178号目指して頑張って欲しいのです。この小冊子、読んでいると編集の方々の読者に対する気配りや温かさがじかに伝わってくるようで、微笑ましいのです。どうかやめるなんて言わないで、愛読者が一人でもいる限り続けて欲しいというのが私の本音です。こうなったら二俣線と競走です。どっちが長生きするか。二俣線の特集と共にうぶ声を上げたこの78%KAKWGAWA、読み続けたい。遠い柏市で。終わらないで…。

中山克志くん(掛川市倉真)

おもしろいこと(1)修学旅行の時、○君がバスの中でまちがっている歌を一生けん命歌っていた。あまりおもしろくない…そこで(2)同じ修学旅行の時、T君が「かして〜」と、はっきりねごとを言った。それと他のT君がねごとで「Nさ〜ん」と好きな人の名を言ってまくらをだいていた。(3)ある日、自動はんばい機の前で、5才位の子が「へんし〜ん」と言ってどこかへ走って行った。(あれは何だったのだろう)

M・Iくんのこと好きな女の子(18才/掛川市)

今、私とっても幸福なの。みんなみたいに彼氏なんていないけど、私にはとってもステキな友達がたくさんいるんだもん。だから掛川から離れたくないの。それに、掛川には大好きなMくんもいるし。Mくんに振り向いてもらえたら…もう最高だよ、きっと。もし来年、進学して掛川から離れた所に行っても、帰ってきた時はやっぱり「いい街だなあ」って、思えるだろうナ。私、掛川っていい街だと思うョ。みんなはどうかなぁ…。
P・S 今、とってもHappyです。これから暑い夏になりますが、78%もがんばって下さい。応援しています。

さきこちゃん可愛い(19才/掛川市日坂)

僕は気が弱いので、この場をお借りして一言言わせて下さい。7月号の「あれも言いたい」の落合さんの投書に感激してしまいました。見かけ倒しで中身のないフラッパー女が幅をきかせている今の時勢、15才という若さにもかかわらず明解な目標を持っている、そんな彼女に一種の憧れの感情を抱いてしまいました。あの簡潔かつ短い文章の中に、僕は彼女の優しさ、純粋さ、そして可愛らしさを垣間見ることが出来た、そんな気がしました。勿論、僕は彼女にとって赤の他人です。でも同じ市内に住んでいるのだから、いつかどこかで会うことが出来ることを願って…。彼女のような女の子が大好きなんだ!PS7月号の22%コーナーの女の子可愛いです!
北村尚善さん(60才/浜松市遠州浜)

「78%」が78号で終わるなんて、悪い冗談だね。でも本当なんでしょう真面目な雑誌は生きていけないのかナ、今の世の中は。生活便利帳みたいな記事ばかり目立つ昨今のタウン誌の中で、原点を持った「78%」は異色の存在だった。とくに、「今月の特集」は読み応えがあり、掛川を愛する編集者の心情がにじみ出ていたのに…。「78%」よ、よみがえれ…そして濁世(じょくせ)を照らすタイマツとなれ!

78%:真面目な雑誌が生きていけないのではなく、タウン誌78%KAKEGAWAの廃刊は、ただ編集者のわがままからなのです。申し訳ありません。

ふかみどりさん(17才/匿所)

私は掛西の某生徒です。今日ナカザカヤさんでもらってしまった78%をみて、がくぜんとしました。78号でおわってしまうのは本当なのでしょうか。できればもっと続けてほしかったのです。私は78%と知り合って1年足らずですが、去年10月、初めてメガネのマツナガさんでもらい、とってもすてきだと思ったのです。いっぺんでファンになりました。それでもshyな私は店先に「ご自由に…」と置かれている78%を、「ください」と、もらうことができず、かといってお金を払うのはもったいない(ごめんなさい)と、結局3冊しかもっていません。思えば1年もの間が、すぐすぎてしまったんですね。去年は3年生にとっても大好きな人がいたのです。去年1年間、その人中心に日々が過ぎました。2年生になった今年、その人は東京人になってしまいました。文化祭のたのしみ、球技大会、体育祭のたのしみ、細かいことをいえば、美術室付近でさりげなく待つあのスリルもないのです。今は、東京の方をながめてため息をついています。78%への感傷から話がとんでしまいましたが、78%との出あいの号、1985年10月号を手にすると、1年生のあのころをとっても思い出すのです。PS 78%さん、今までごくろうさまでした。

あぶない女子高生さん(15才/掛川市)

私はこの78%にはいろいろ思い出があるんです。おぼえていますか?私は「中学生の本音」のときに出させていただいた中二の女子です。といっても今は高校生!はやいものです。あんときは、78%の方々のやさしい心づかいありがとうございました。本当に中学ってうるさいから…。そいでもって、LOOKの情報を仕入れたのも78%!LOOKの最後のライブを知って、行ってファンになったのです。いろんなことといっても二つぽっちだけど、とにかくいろいろありました。78%様、ありがとうございました。78%を今度は100%にして、復活して!

78%:某お菓子屋さんの2階で取材した時の女の子かな?あの時は思いの丈を私にぶつけてくらましたね。かなり気分がす〜っとしたんじゃないですか?
山崎友子さん(掛川市吉岡)

このところのジメジメ陽気にはホントうんざりしてしまいます。一昨日78%6月号が届きました。本当にありがとうございました。遅くなりましたが、先日のお電話には、お忙しいところていねいにお教え下さり申し訳ありませんでした。日頃、車にしか乗らない私達ですので、キップの買い方にもドキドキしてしまうでしょう。着替えの荷物の重さにうんざりするかもしれません。それでも、あえて、今年の夏は、やなせさん達みたいに、電車の旅を楽しむことに決めました。8月11日出発、78%と逆に回ります。11日は小海線にも乗ることにして、野辺山泊と決めました。2泊目は駒ヶ根泊、帰りに天竜下りを楽しみ、これを飯田線のアクセントとします。そして、二俣線で我が家へ!78%のすばらしいリポートにあこがれて一家四人行ってきます。6月号のとても印象的な特集ありがとう!今年の夏は。又一段と良さそうです。お金のない私たちですので、お教え下さった青春18キップと民宿で、4人2泊3日、経費10万円。それをどれだけ手と足が出るか?ケチケチに、そして楽しくを、数あるめあての一つとして。(駅までお迎えに来てくれる民宿を必死で捜したりして…。)小4の息子は小4なりに、中1の息子は中1なりに、せっせとレポート作成して、夏休みの研究としてくれるでしょう。又、長野からお便りしますね。ありがとう、暑い時です。お体を大切になさって、78%頑張ってください。楽しみにしています。

78%:7月はローカル線の旅についての問い合わせが結構あって、二俣線もこれでかなり赤字解消になるんじゃないでしょうか!?車とはひと味もふた味も違った旅を、多いに楽しんできてください。

大多郎に帰ってやり直そう(20才/浜松市富塚町)

(1枚目)先日、掛川発19:00浜松行きの普通電車に乗ったとき、向かいのシートに座った女の子。とても可愛かった。お顔も可愛かったけど僕がそう思ったのは彼女の仕草でした。彼女は磐田から乗車。多分中学生だろう。セーラー服、うつむきながら座った。発車してしばらくしてからバッグの中からパックの牛乳を取り出した。そして、とってもとっても恥ずかしそうに飲んでいた。電車は全然すいているのに。(僕はジロジロ見てた訳じゃないのに)その後、パンを取り出してまた同じ仕草。これだけでも十分可愛いと思ったのに。この時間の車内は社内は空き缶やゴミで埋まっていたのに、彼女は自分の出したゴミを紙袋に詰め、ていねいにたたんで自分のバッグに入れたんです。普通(?)の女の子(男ならなおさら)なら、周りに人もいないことだし、平気で車内にポイすると思うのですが…。でも僕は、彼女を最初に見たときから、そんなことはしないと思っていました。僕はこういう、つつましくて、かつ誠実な女の子こそ可愛いと思うのですが…。もう一度会えたらなあ。
(2枚目)78%が9月で終了というので、7月は集中的に葉書を出しました。多分この葉書が最後だと思います。これまでに78%には5枚出して、そのすべてが掲載されました。(巻頭イラスト含む)本当に汚い字で編集の方に申し訳なくて。先日大多郎のレターハウス跡を久し振りに見てきました。かすかに昔の面影が残っていました。余談ですが、永倉編集長宅(大多郎)は、うちの親父が建てたんですよ!僕は編集の方とは一度もお会いしたことがないのですが、きっと、皆、素敵な方々でしょうね。(日記や雑記でわかります)出す度にペンネーム変えてたので、松浦秋夫さんや杉本浩司君みたいに常連とは思われなかったみたい。今悔やんでいる事は、もっと早くからこのタウン誌を購読していたらなぁ…ってこと。今、手元には創刊号含めて14冊しかない。全部読んだら、76冊あったのに…。あと少しで終わりですね。僕のイラスト付きの詩、読んでいただけましたか?また新しい企画を期待しつつ、筆を置きます。
ピンク衣の天使より(17才/掛川市)

マジ〜!本当におわっちゃうのぉ。私のユイイツのうっぷんばらしの場がなくなっちゃうなんて、サミシー。では、さいごに、私の今の気持ちをかいちゃいます。私、実はある人が好きなんです。それも中年の人。中年まではいかないけど、とにかくおくさんがいるんですよ。まるで、早春物語みたいに。だから、私、早春物語かかさずみてたんです。さいしょ、やばいカナ〜なんて思ったけど、好きになっちゃったもん、しかたないでしょ。れんあいは自由だもん。さいごにふさわしくなかったけど、いままで、たのしいこといろいろのせてくれてありがとう。

ハピネスさん(?才)

これで終わりということですので派手に言わせて頂きます。私は78%に載るのは数回目ですが、この何冊かの78%。私がこれからの人生で何人の人に出会い、どんな恋をし、どんな社会生活を送るかなど全くわからないわけですが、いつか結婚したとき、私の大切な人にこの78%を見せ、その人にだけペンネームを解き明かそうと思うのです。だから、この78%の78号というのは、私の人生で最も大切な1冊なのです。こうすることによって私は一生78%のことを忘れないつもりです。今までほんとうに御苦労様でした。少しも派手ではありませんでしたね。

78%:「一生78%のことを忘れないつもりです」なんて言われると、くすぐったい気もしますが、こんなうれしい言葉はありませんね。大変だったけど頑張って良かったなと、つくづく思います。

西高野球部応援大好きっ子さん(16才/掛川市)

西高の野球部が2回戦で負けてしまって、ショックを受けている私です。今年こそいいとこまで行けそーって期待していたのに…。すごく残念でたまりません。でも、野球部のみなさん、一生懸命がんばってくれてありがとう。1,2年生のみなさんは、これからの試合に向かってがんばってください。私も心から応援しています。あと、78%とうとう終わりですね。新たにTOWN誌発行してくれる事楽しみに待ってます。6年半おつかれさまですっ!私は中2ぐらいの時から詠み始めたから…約4年目かな。毎月楽しませてもらいました。どうもありがとう。
かもとりごんべい(掛川市)

(1枚目)私は7月18日と21日に78%編集部を訪れた権兵衛と名のる者です。21日に編集室まで行って入手した1981年5月号の「ハイキング特集」読んでみましたが、その特集の最初の頁に小笠山のことが載っていました。私も今年の5月に小笠山に行ったんです。(単独で)小笠池のある所まで行きましたが、あの真っ暗いトンネルを通るときは「懐中電灯を使うように」と書いてありましたが、私はそれを持っていなかったので、そのまま歩きました。本当にコワかった。あんな所は一人で行くことのないよーにしませう。(その2へ続く)
(2枚目)もう一つ、上級者向きの山道がありましたが、あのコンクリートでできたものが、まさか小さいダムだとは思ってもいませんでした。池にかかっているつり橋を渡りました。そこからながめる景色は本当に素晴らしい。他にも菊水の滝、原野谷ダムなどがありましたが、そちらの方にも行ってみたいと思います。追伸1:21日ある78%スタッフに「投書は出していません」と言いましたが、実は3枚だしたんです。すみません陳謝致します。 追伸2:5年前の5月号に小説が載っていたとは思いませんでした。まんぐわを載せればいいのに。

from S・Kさん(17才/掛川市)

M・Kへ、78%が終わっても…僕らは終わらない。【78%への別れの言葉】今まで、色々お世話になりました。ありがとうございました。

横山久江さん(35才/榛原郡榛原町)

私は、18年前に掛川東高の女学生だった。現在二児の母です。78%の方とたまたま知り合いで、初刊より拝見しています。78%を開く時の胸のトキメキは、忘れていた学生時代を取り戻す時間への入り口を開く時に似ています。それがなくなってしまうのは、とても残念です。彼女には、いつも驚きばかりで、とても良き人生の師であるんですョ。私からも一言御苦労様が言いたくて…。今度又、一味違う雑誌が発行されることを心より楽しみにお待ちしております。

坪井 守さん(横浜市瀬谷区)

急に暑くなりました。最終号にむけて制作に励んでいられることと思います。あまりに突然のお知らせでしたのでおどろいております。長い間ご苦労さまでした。情報誌としての役割は十分に果たせましたね。少しさびしい気もします。これからも新しい道でがんばってください。
78%とわたし 戸塚 廉氏(掛川市)

48回連載することになるから、第1回は丸4年前に書いたわけだ。78%は78号で終わると言うから「連茶先生のよもやま話」は半分以上の号数を占領したことになる。最後に何でもいいから自由に書けということなので、それではわたしが掛川にいなかった13年間のこと、わたしの親しい人たちがあまり知っていないことを書くことにした。
わたしは、大正15年の9月から掛川第一小学校につとめて、三原屋の俊ちゃん、三到堂の日支ちゃん、麩屋久の幸一さん、野球選手だった森平の兼治さん、丸玉の牧さんというような人達の受持教師になり、一年勉強をやりなおしに学校へ行って、海野時計店の恵吉さん、魚藤の鈴木新一さんなどを教えているころから、牧沢伊平さんの影響を受けて少し赤くなって、粂田英一、牧沢伊平と私とが一日警察でしらべられた。
桜木の山の学校にとばされ、私だけは一層赤くなって全国的な左翼民主教育運動の静岡支部長になり今度は40日間掛川署に入れられクビになり、東京へ出てからも、もっと悪いことをしたとみえて、足かけ3年刑務所に入った。
最近「廉さんも、おとなしく先生をしていりゃァ、今頃は大校長になって、退職すりゃァ退職金もたくさんもらえるし、恩給ももらって楽々と暮らせたのに、かわいそうな人だ」と、ある退職校長で桜木村の教育長をした人が言ったそうである。また、ある私との友人で小笠掛川の最高レベルの校長になって退職した人と電車で一緒になったら「お前はバカに生き生きしているなァ、おれは学校やめたら淋しくてしょうがない。部下だった教師がたづねてくるわけではないし、教え子が声を掛けてくれるわけでもない。それなのに、お前の新聞を見ると、お前のまわりには、いつも全国の何千人もの子どもや母親、何百人もの教師が何だかだと交流しているらしい。おかしな男だナァお前は」と言う。
小学校では学術優秀品行方正「武勇伝のような本を読みすぎる」と通信簿で叱られた以外には親にも叱られたことがなく、中学校では、死んだ叔父の残した文学書でわりあいに人間性のさまざまな姿を見ながら、叔父が出席日数不足で落第するほど文学青年だったのに、わたしは5カ年皆勤というバカバカしいほどの愚直人間だった。今はいわば自由人間。誰も叱ってくれないが、エンマサマの所へ行ったら「オマエ ナカナカ ヤッタナ。ヨシ ゴクラクヘ イケ。」といってくれるだろうと思っている。
かっちゃん(12才/掛川市倉真)

レターハウスのみなさん、78%が78号で終わるそうですが、ぼくは78%のこと、一生忘れないと思います。だって、とてもおもしろかっただもん。できれば、もっとやってほしいのですが、仕方がないようですね。ところで、友人の浩二君から聞いたのですが「だに〜」という言葉、掛川から出て使うとわらわれてしまうそうですね。そんなこと知っていましたか?あの、生きているダニとまちがえられるのでしょうかねえ。話は変えて、78%が終わってしまうのは、本当にかなしいです。78%は永遠に不滅だに〜。

78%:私も先日、4才の姪から「だにいって言っちゃあいかんだにい」って言われてしまいました。だけどね、かっちゃん。日本国中の人がみ〜んな標準語を使ったら、旅行に行ってもつまらないでしょう。東北に行っても京都に行っても、北海道や九州に行っても、みんなその土地のことばを聞いて、ああ京都に来たんだ、東北に来たんだなという実感がわくんですよ。海外旅行に行っても、他の国の人がみんな日本語をしゃべっていたら、海外へ行った気がしないでしょう。長い間引き継がれてきたことばが、そう簡単に変わるわけがないんです。方言って、いわば地方の文化だと私は思っています。ちっとも恥ずかしがることはないし、堂々と使おうね。私は生まれが豊川なので三河弁と静岡弁がミックスされてメチャクチャだにい。

ピーマンさん(掛川市)

76号の「ハンガリーから来た…」の特集記事を読んで私はとてもショックを受けてしまいました。私も3年程前まで、ある団体でコーラスをやってましたので、音楽をする者の感性が、とてもデリケートな事は少なからず知っているつもりです。藤枝の人間がどんな風にどんな言葉で言われたか見当が付きませんが、藤枝の人は言葉の綺麗な都会の人には、理解できない方言混じりの言葉を遣いますし、決して心の底から憎い事を言った様には思えないのです。ある一人のちょっとした言葉で藤枝市民が悪い印象で見られてしまうのは、藤枝に生まれ育った私にとって本当に哀しい事です。
追伸:今、とーる(LOOKの)くんの実家では、夏休み中という事もあり、仕事中に心ないファンの女の子からジャンジャンTELがかかってくるそーです。猫の手も借りたい程忙しいそうですので、ファンの皆さんくれぐれも御家族の方に迷惑をかけないよーにしましょうネ。お兄さんが困ってたョ!

78%:ハンガリーの件は詳細が分かりませんが、言葉遣いの問題とはちょっと違うようです。国際交流のあり方の問題を問うているのです。国際交流を深める目的のコンサートを開くということは、営業を目的としたコンサートを開くのとは大きな違いがあります。その辺の意識の問題と、相手の国によって差別するのはおかしいんじゃないかと言っているわけです。そして、藤枝市民がすべてそうだというわけでもないし、掛川でもどこでも、そう言った問題は起こりうるわけです。ハンガリーの国際交流を通じて、今後の国際交流のあり方をみんなでもう一度考えてみたいというのが、7月号の特集の趣旨でした。ピーマンさんがそれ程気にすることはないと思いますが…。
掛川一市民さん(42才/掛川市)

掛川市長さん、余り何事も御自分本位になさらないでください。たとえば駅前通りの木レンガは、貴方の考えでなさったと聞きます。私達通勤している女性にとっては、あんなに迷惑しているものはありません。ハイヒールの細いカカトが溝に入って皮がささくれてしまいます。凸凹になっている部分も何か意味があるようですが、つまづいて困ります。駅通りを靴の為に通らないようにしてます。何事も、ただ毛色の変わった事をして名を売るだけの市長では掛川市民の恥です。もっともっと何事も市民本位の姿勢で願いますよ。

78%:木は本当はとってもいいと思うんですが、レンガ替わりに使うにはちょっと向いていないようですね。雨の日にはかなり滑る様ですし、車椅子の人達にとってもガタガタしてとても走りづらいと聞いています。ただ、一部凸凹になっているのは、目の不自由な人達のための目印になっている様です。健康な人なら少し気を付けて歩けば見えるけど、目の不自由な人達にとっては、あの凸凹だけが頼りなわけです。これからは道路も建物も、そういった人達が安心して利用できるものにしていってほしいものです。世の中は健康な人のためだけに回っているわけではなく、すべての人間が平等に生活できる様にならなければいけないと思います。そういうわけで、多少の凸凹は理解してあげてほしいと思います。

怒りの男だ!さん(掛川市)

ホントに終わりですか?淋しいですネ。いろんな情報があってよかったのに…。最後だからいいたいほうだい言わせてもらいます。「やい!市職員Y!おまえ態度でかい!入って2年目だかなんだかしらないけど、おまえ、最低だなぁ。おまえなんか市職員なんかよくなれたなぁー。自分に自信持ちすぎなんだよ!もう少し自分をよく見ろ!おまえなんか最低!オレは完ペキにおまえに腹が立ってるゼ。いいか!態度を改めろ!分かったか!」
【78%への別れの言葉】また始めてほしい。掛川の情報がわからなくなっちまうじゃないか…!

くまのく〜ちゃん(17才/掛川市)

会いたくてたまらない人がいます。その人は、私のこと覚えていないかもしれません。きっと名前も知らないでしょう。好きな人がいないと淋しいものだけど、こういう気持ちもつらいものです。毎日神様に祈っています。会わせてください…。知世ちゃんの歌でこんなのがありましたよね ♪逢いたくて 逢いたくて 逢えない時はせめて風に姿をかえてあなたのもとへ… どうか思いが通じますように、応援してください。
【78%への別れの言葉】だれにでも自慢のできる立派なTOWN誌でした!いつの日か復活されることを祈っています。また楽しませてください。今までほんとうに永い間、ありがとう。そして、おつかれさま!です。
女子学生さん(19才/掛川市下俣)

こんにちは、78%の編集部の方、ご苦労さまでした。今回で最後ということなので早速お手紙書きました。私は旅という言葉が大好きなのです。しかし、なかなか旅好きな友達にめぐりあえません。一人旅したいのですが、女一人の旅はちょっと…と考えてしまい、なかなかすばらしい旅ができません。そこで78%の方々に掛川にある旅サークルを紹介してほしいのです。個人的に探す事ができませんので、78%を通じて旅のサークルを教えて下さい。最後の読者のたのみと思い、この願いをかなえて下さい。よろしくお願いします。
【78%への別れの言葉】今度は79%という雑誌名でやってほしいな!掛川もさびしくなるな、TWON誌がなくなって…。

78%:残念ながら、78%では旅のサークルがあるかどうかわかりません。でも、旅は気の合う友達と一緒に行くのが一番楽しいんですよ。地図や時刻表とにらめっこしたり、宿泊先を決めたりと、計画を立てているときが一番楽しい時なのです。お勤めするようになれば、気の合う友達がみつかるんじゃないですか…。

浅羽町のかとりせんこうさん(23才/磐田郡浅羽町)

この頃、少しずつ掛川の事を覚えて、78%を頼りにしていたのに…。残念です。わたし。、5回くらいしか読んでいないんです。これからは、自分の足で掛川を探索してみます。私にとっての掛川は、まだまだ5%位ですが、78%で得た情報を生かして50%、60%…100%に近づけていきたいです。その頃、78%も90%や100%として特別号を出して貰えたら…嬉しいです。おつかれさまでした。
【78%への別れの言葉】90%や100%になって帰ってきてくださいね。さようなら。

グループ名ペル・メル・ガゼット(15才・16才/掛川市)

おちゃめッ!そんな言葉にあこがれた時期があったな。貧乏でスタジオ代もはらえなくて、ふと海を見たくなった時もあった。そんな時、焼きそばの歌をきいてどんなに勇気づけられたことか…。そんな、ちょっと触れただけで、こわれてしまいそうな、ペル・メル・ガゼットが、今、人生というはてしない旅に、2、4,6が出たら一つ進め。みんな!私達に付いてきてくれる!?
【78%への別れの言葉】さよならは言わない。なぜって、78%は永遠に私達の心に残っているから。

原寛子さん(16才/掛川市成滝)

通算3度目の登場になりました。こういうマイナーなタウン誌でも、78%はちがった。なかなかおもしろかった。どっかの人と誌上で議論もしたし、味方になってくれた人もいたりしておもしろい経験だった。A子さんお誕生日おめでとう。これでお○んの名称が一層身近になりましたわね。プレゼントはゆかたよ。そしてT子さん、生傷の絶えない右足の調子はいかが?テニスも良いけど英語の勉強もしましょうね。8日に掛川球場で野球をした静清工のライトの人、声が良かった−。甲子園めざしてがんばってください。あの日の6人のうちの一人は私です。
【78%への別れの言葉】どうしてやめてしまうんの。わたす、それってば反対。こーんな地道なタウン誌のくせに、なかなかおもしろくって、毎月楽しみにしてたんだえ。続刊を楽しみにしてます。(おりんさんの真似だったの…失敗したね)
バンド名大ボシュ〜ウ!
7月10日に結成したばかりのロックバンドです。メンバーの好きな音楽は、アンルイス、モッズ、アハ等々みんなバラバラだけど、高校2年で同じクラスで全員文化部という共通の深い絆でつながっている。しかしです。バンドの名前がない!そこで78%の読者のみなさんへお願いします。私達のバンドの名前を考えて下さい。そして名付け親になって下さい。ということで、(渋い)2・(かわいい)3のバンド名待ってるよ〜ん!
メンバー(写真前列左より)ボーカル:鈴木安代/ギター:八木唯記子/ベース:山本昌子(後列左より)ドラム&リーダー:内藤智香/キーボード:杉田智子
富塚 章さん(33才/掛川市葛ヶ丘)

長い間ご苦労さまでした。人間は自分をいろいろな方法で「表現」しながら生きていくものだと思うのです。78%が終わったあと、編集部の人達がまた新しい「表現」方法を手に入れて、私達の前に再び来てくれる事を楽しみにしています。ついでに、11月16日(日)ファンキー・パロッツ・オーケストラ。11月30日(日)フルート(杉山守)とギターのデュオ・リサイタルを、どちらも生涯学習センターで行いますのでよろしく。

鈴木 篤さん(31才/掛川市下俣)

今年1月より掛川の住民となりました。77号を先日初めて見ましたが、バックナンバーを見たいけれど見られない。掛川市立図書館に全78号をファイルしたものを設置する様望みます。貴重なタウン情報を広く活用できる事を望みます。郷土愛を持つ人々がいるのはよい事です。頑張ってください。

78%:1年前に「図書館にも置いてもらえないか」というお話しがあり、No.1号から全部揃えて置いていただいてます。77号の総目次を見て頂ければ、見たい号がわかる様になっておりますので、掛川の資料として、末永く活用していただけたら幸いです。

オバサンさん(46才/掛川市中央)

時々、楽しみに拝読しておりましたのに、最終号になり残念です。又機会がありましたら、ぜひ、発行してほしいと思います。若い人達のコーナーが多い様に思いますが40才代や50才代の、オバサン、オジサンの意見やインタビューなどもっと聞きたいといつも思っていました。私は生まれは大東町ですが、転勤で掛川に来て4年。78%で色々の事を知りました。6年半、ほんとうに大変だったと思いますが、楽しみに読んでいた人達も多いのですよ。「遠州七ふしぎ」非常に良かったです。掛川のむかし話などもっともっと知りたかったです。次号の出来るのを楽しみにしています。
【78%への別れの言葉】「別れの言葉」は淋しいね。いつの日か又、79号を楽しみにしています。その時は少しは頁をうめますよ!
平岡さん(袋井市上山梨)

仔猫物語や世界の珍しい猫展も結構ですが、猫と言えばなんといっても一番良く見かける猫、野良猫が一番と思っている私です。現在、私の家には7月中旬生まれの仔猫が5匹います。茶トラ3匹、キジ猫1匹、まだら猫1匹、雄雌の区別はよくわかりませんが、どなたかほしい方、連絡を待っています。モチ、立派なノラの血統です。たとえ猫でも犬(?)畜生なんて呼ばせない!(日本っていやね)猫としてかわいがって育ててくれる方、お願いします。

掛西のカダフィさん(17才/掛川市)

夏の高校野球静岡県大会で、優勝候補の我が母校、掛川西高がまさかの二回戦負け。(シード校だったから第一戦で敗退)せっかくあの暑い中、応援に行ったのにがっかりした。夏休みに甲子園に行くことを計画に入れようと思っていたのに。県代表となった清商も松山商に大敗し、この時もまたがっかりした。だが、俺にはまだ巨人が残っているのだ。今年は絶好調で、まず優勝はまちがいないだろう。お願いだから、高校野球のように俺の期待を裏切らないでおくれ。…受験生のみんなお互いに頑張ろうぜ。

つつじが丘授産所さん(掛川市板沢)

私達の施設は、心身障害者の通所施設です。現在男子2名、女子10名で元気に作業をしています。このごろでは手作り作品にも、挑戦しています。給食袋、オリジナルバッグ、ティッシュケース、小物入れ、コップ袋、ウエス、雑巾、etc…。私達の手作り作品を、一度見に来てください。所生、職員一同お待ちしております。

ひかるちゃん(17才/掛川市)

この前のFleakOutを見て感激という言葉を思い出しました。あの、ペル・メル・ガゼットというBandの演奏に心はしびれ、放心状態におちいりました。これが日本における、というか、未来を開拓していける奴等じゃないか…と。私はそんな奴等を岩の陰からそっと温かく見守ろうじゃないかと、かたくなに心にちかった。もし、もしという言葉を使うとすれば、デビューの時は、必ずしも、せんぱい。【78%への別れの言葉】この78%をやり遂げたという事は、将来決してデクノボーの様な人間にならないと私は思う。

森崎奈緒さん(浜松市内)

今日、浜松市内での出来事。不快指数は80を突破し冷房車とは言えバスは満員スシ詰め。通路も人でいっぱいで、隣のオジさんの額には脂汗がジリジリと湧いていた。私も含めて乗客は皆、疲れきった不快顔。停留所に停まるたびに増える乗客が無性に憎たらしく思えた。と、その時。近くに立っていた小さな女の子がひとり、銀貨を握りしめた小さな手を、料金箱の上でポンと開いて、いかにも気分悪そうな運転手の顔をのぞきこんでひと言「アリガトウゴザイマシタ!」元気な可愛い笑顔に大きな声が車内に響いたほんの一瞬、苦りきった乗客の間に清々しい雰囲気が。
「さらば78%」-「78%」と「蒼生舎」と「ひょうたん島」 蒼生舎 Oさん(大東町)

「78%」と蒼生舎の関わりは、1980年4月の創刊号に、自主上映のアピールを書いたことから始まった。それから1980年7月の4号に、ATG映画を中心にして、自主上映活動を始めるとの、蒼生舎の旗揚げ宣言を書き、1980年8月23日、第一回自主上映会「祭りの準備」を東遠センターの会議室において行ったのである。これ以降、蒼生舎の活動は78%を宣伝媒体として、密接な関係を維持していくのである。ここで蒼生舎をつくるまでの過程について触れてみたい。

1972年の夏に東京から故郷に戻った私は、当時、いわゆる若者文化の無風地帯であった掛川・小笠地区で、何か刺激的でおもしろいイベントをやりたいと思いつつ、「兵藤楽器」へ、仕事の終わった後、レコードや話題を求めて通い続けていた。そのうちに店のT氏と知り合い、そして彼も、何かイベントをやってみたいという気持ちがある事を知り、同調してくれる人間も一人二人とふえてきたので、それではという事で、1974年秋にロック・コンサート「カルメンマキ&OZ+センチメンタル・シティ・ロマンス」を菊川会館において行った。

その時、グループの名を「天衣無縫」としたのである。「天衣無縫」は、以降1975年から1979年まで5年連続で「浅川マキ・コンサート」を掛川座において行ってきた。この間に78%の編集人であるN氏と知り合ったのである。最初に彼の名前を聞いたのは、T氏からであり、多分「掛川でミニコミ誌を作りたいといっている、おもしろい人がいるよ。」との話しであったと思う。そして彼も「浅川マキ」のコンサートに、顔を見せるようになり、いつとはなしに、話をするようになっていった。

ほぼ同じ頃、N氏とバンドを組んでいた、桜木のK氏とも知り合った。T氏を軸にして、活動的な人間のつながりが広がっていったのである。N氏とK氏は、この頃自分達のバンドで音楽活動をしながら、ライブハウスを掛川につくろうと「積み立て」を他の仲間と共にしていたのである。そして、私も1979年の始めに「積み立て」の仲間に加わる事になるのであった。私も掛川の地に、活動の拠点、話し合いの場を求めていたからである。そして1979年の暮れ「浅川マキコンサートVol.V」を最後に「天衣無縫」は自然解散をすることになった。6年間の活動であった。

1980年に入り、N氏はタウン誌を発刊することになり、私も新たな領域を模索していたが、前からやってみたかった自主上映活動をベースに他のイベントも行う「蒼生舎」をつくり、活動を開始したのであった。ライブハウス建設をも目指しながら。以上が「蒼生舎」に到るまでの歴史である。ところで「蒼生」とは何か。草民、いわゆる民衆、人民、Peopleの意味であり、私はこの事を基本において、活動したいという想いから、この名を付けたのである。

78%創刊、蒼生舎活動開始以来、蒼生舎は、78%に全面的にバックアップされた形で、自主上映会、コンサート、テント芝居等を行ってきた。そして、1981年夏には待望のライブハウスを(仲間と)オープンさせ「ひょうたん島」と名付けた。当然の事ながら、蒼生舎もこの「ひょうたん島」を拠点にして、活動を続けていったのである。

ひょうたん島はプロの初ライブとして「南正人」をやって以来、主として1960年代末から1970年代初めに活躍した、いわゆるフォークシンガー達をやってきた。現在はアマチュアのライブ(ロックやジャズ等)も増えてきたが、経営の実情としては、中々厳しいのである。私達は一日でも長く持続させる為に努力しているが、大変でもある。私は、この「ひょうたん島」をもっと多くの若い人達に利用して欲しいと思う。ひょうたん島は、一つの文化活動の拠点であり、情報交換の場であり、楽しく酒を飲む場でもあるのだから。

1986年9月、創刊以来6年半、78号をもって78%は終わろうとしている。蒼生舎も6年、ひょうたん島は5年、なんとか頑張ってきた。でも、いつかはこのような別れの時がくるのは、残念だが仕方がない。しかし、78%のなくなった後も、私達は、78%の残した「何か」を引き継いで行くだろう。最後に蒼生舎から78%に対して、ありがとう、本当にお疲れ様でしたと言いたい。
「サラバ!78%」
万吉&新平&刑事&パトラッシュさん(18才/掛川市内)

僕は今、ツッパリになりたい。かかとを踏んで、腹に手をつっこんでサンダルを“カチャ、カチャ”って音をたててタバコすって、メンタンをきりたい。でもきれないんだ、おっかない兄ちゃんには!中学生の丸坊頭のヤツだったら、なんとかおどせるけど、掛工あたりが相手じゃ足がブルブル震えちゃって、僕こわい!どうしたらいいんだろう。とにかくパパやママに相談してみよっと。ところで78%はもう終わっちゃうけど、「仰げば尊し、我が師の恩、教えの庭にも、はや幾年」を私の言葉として関係者並びに父母の方々ならびに、ペットの刑事とパトラッシュならびに万吉&新平に捧げたい。短いようで長かったようで、長いようで短かった78%!それでは、思えばいととし、この年月、今こそ別れめ、いざさらば!

大一の時の78%No.38を読み返した者さん(東京都板橋区)

暑中お見舞い申し上げます。私、来春大学を卒業するものですが、レターハウスの今年の採用はあったんですか?みなさんの仕事(78%)とてもうらやましいです。まぜてくれませんか?

78%:ザ〜ン念でした。78%は今月号をもっておしまい!もともとレターハウスは細々とやっておりますので、採用なんてもんはありません。これからも細々とデザイン業を続けて行くつもりですが、よかったら事務所に遊びに来てください。
松浦秋夫さん(27才/掛川市柚葉)

前略、LETTER HOUSE殿。びっくりです。本当にびっくりです。7月上旬、お中元で忙しい中、廃刊の記事見ました。大げさかもしれませんが、何んか自分のひとつの何かを無くしていくような気持ちです。本当に残念です。自分のことばっかしで大変申し訳ないんですが、寄せられた便りはすべて載せてくれるそうなので、思いっ切り78%分書きたいと思います。

78%殿には嬉しい程によく載せて頂きました。本当に感謝致します。いつの号か、我が“自書”を書くと書いたのになかなか出せなくて、今回の投書と合わせて書いていきます。

もうじき又、9月11日がき来ます。恥ずかしながら我28歳の誕生日である。と同時に柚葉入居3年目でもある。早いですね。残念ながら我人生まだ独身である。まずは自分についてふれておこう。正直なところ、そのまんまを紹介してみようと思う。あまり読む気にさせないかもしれないけど、顔、悪です。配達先で鏡があったりする時、のぞくと寂しいですよ。頭もそれ程いい方ではないし、応用が効かない所が多い。これといってとりえがあるわけでもない。特技・資格があるわけでもない。経済力もあまり大きなものではない。いいところ無いですね。

住んでいる所、柚葉(ゆずっぱ)自分を含めわずか3世帯。柚葉については78%の去年7月号で載せてもらっていますので詳しくは読んでみてください。早く言えば過疎地に住んでいます。今の世の中本当に至れり尽くせりの時代です。そんな世の中であえて、何一ついいとこの無い男の所に嫁ぐ気のある女性がいるんでしょうか?自分の住んでいる所を、あまりよくは書いていませんが、でも、でもですよ、柚葉が好きな事を書き加えておきます。

色々と話が飛びますが、少し仕事面を書こうかと思います。今、仕事は宅急便のセールスドライバーとしてY運輸(株)掛川営業所に勤めています。いつかは自分がスポンサーの代表になって、78%に協賛なんて考えていたんですよ。運送会社なので帰りが遅いです。しかも通勤時間も重なるから、朝早くて帰りが遅いです。配達でちょっぴりこの話をすると、世の中人の仕事はよく見えると誰もが言うそうです。

この投書が載るのは9月ですが、今書いているのは7月です。7月と言えばお中元で目茶苦茶忙しいです。家に着くのが22時以降の毎日です。私生活が目茶苦茶で、ボロボロです。朝は6時半頃には出ています。自分の時間なんてほとんど無いです。今はこんな生活の繰り返しです。ましてや一人暮らしだから余計にボロボロです。でもこんな時でも、ささやかながら立ち上がる時もあるんですよ。

新聞の三面記事が目に入るんです。世の中本当に様々。自分がいかに甘いか、考えさせられます。ましてやいいとこ何一つ無いと書いている自分ですが、身体が本当に丈夫です。健康がとりえとして、ちょっぴり書けます。非常に健康です。世の中、身体に障害を持つ人がたくさんいるんですから、働けるってことは幸せなことなんだなあ〜って考え直します。

又、考え方を広めて、海外で同じ仕事をしようとも考えたりするんですよ。Y運輸には海外研修制度があります。アメリカ、ヨーロッパ方面の支店へ転勤希望を出せば。でも、柚葉から出るつもりはないので、夢で終わるかもしれません。ひとつの仕事をとってみてもそうですが、いやでいやで仕方が無い時ってありますね。時折、仕事を辞める事を考えるよりも先に、自分の人生をやめようかと真剣に考えたりしてね。何もかも全部がいやになってしまうんですね。この仕事どうしようかな〜って考えるとき、ちょっぴり古いけど、海援隊の“母に捧げるバラード”を思い出すんですよ。テツヤとお袋さんのやりとりを。「そんなときゃあ〜、テツヤッ、死ねッ」世の中を、まだまだ知らない井の中の蛙。気持ちの持ち方を考えなくては。

会社の仕事に縛られ過ぎ。ぐっすり眠りたい。私生活が乱れっぱなしの毎日だけど、それでも今を生きているんです。福沢諭吉の人生訓のなかに「世の中で一番醜いことは他人の生活を羨むことである」というのがあります。時折、人のこと羨ましいなって思うとき、この訓えを思い出すんですよ。

話し変わって、柚葉総合計画を立てています。柚葉に住んでいく上で、少しでも住みやすくする為の自分の計画です。その中には各種園芸計画、ゆり、コスモス、フヨウ、ムクゲ、かいどう、バラ等、いこいの広場・柚の間(ゆうのま)作り。我家民宿計画、我家の増改築、野菜園、果実園作り、葛布勉強会、キャンプ場作り、芝生計画、花道作り、柚葉ふるさと村作り等、まだまだ各種あるんですが、柚葉の小さな区域にこれ以上のことをやるんだから大変ですよね。

そしておおらかなお嫁さんを求めることは、我“柚葉総合計画”の中で最大高点である。別書“おおらかなお嫁さん計画”。緑のボールペンで毎年11日の総書には、こう書きしるしているんです。柚葉総合計画も、自分は身体を仕事に取られているから、休みの時に少しずつと思っているんですが、今は一人暮らしだから。休日は自分の身のまわりのことで精一杯で、なかなか進みませんね。それが現状です。

こんなに長く書いたのは初めてですね。15年目にもなる総書は、ず〜っと続きます。いつになることやら、ず〜っと未定なんですが、我結婚について、柚葉の地でささやかながら人前結婚式をやり、78%殿に取材してもらいたいと思っていました。

最後に78%殿へ。自分が事務所へは取材の時に一回だけ行っただけですが、またより一層盛り上がって、掛川市のタウン誌として、再び登場することを待ち望んでいます。是非又、柚葉にも遊びに来て下さい。何もありませんが、綺麗な空気を吸いに来るだけでも。長い間、本当にご苦労さまでした。


78%:松浦さん、長い長いお手紙ありがとうございました。ページの関係で、途中省略させていただいた部分もありますがご了解下さい。松浦さんも徐々に柚葉に根を下ろしつつある様子で、うれしいですね。個人でやるにはなかなか遠大な、柚葉総合計画。あせらずに少しずつ実行に移していってもらいたいものです。応援します!
小沢江里子さん(16才/掛川市城西)
え〜ん。ウソでしょ−?やだやだ78%が終わっちゃうなんて。横浜や熊本にいるいとこにはイナカ掛川のユイイツの自慢だったのよぉ!ウチの近くの古い元工場だった所にタヌキが住みついているの。で、最近2匹赤ちゃんが生まれたから、全部で4匹になったの。とってもカワイイの。いとこにそう言ったら「やっぱ掛川だなー!」と納得してるの。だけどこの78%を見せて「掛川にはこういうものだってあるんだから!」と言ってやったら。驚きのあまり声が出ないみたいでした。いとこたちには78%が終わるということは言いませんから、続78%をぜひ出して!

78%:今度、いとこさんに会ったら、「掛川にだって電気が来てるんだぞう、車だって走っているし、8階建てのビルだってあるんだから」って、自慢してみたらどうですか。「やっぱり、掛川は都会だ」って納得するかもしれない、ね。

村松寛通さん(35才/榛原郡切山)
新幹線、生涯学習都市、掛川城、こんなものが映画の書き割りのように立ち並ぶ市、掛川。そのうすっぺらな書き割りの後ろで、その広がりを失って蠢く、ひょうたん島、78%、龍華院、並木画廊、面白い人たち。これで何が文化の市か。ただみごとに文化行政の恥部をさらけだしているだけだ。これが世にも恐ろしい、全国に蔓延している文化行政のていたらく現象だ。こんな市、見捨ててもちっともおしくない。78%廃刊おおいにけっこう。

小澤 南さん(掛川市掛川)
第1号からつき合わせて頂いて、早78号。この6年半の間、数多くの情報提供、ほんとうにご苦労さまでした。掛川にタウン誌が無くなってしまうことは、とても残念な事ですが、きっと又、何らかの形での活ヤクを期待しています。

78%:おりがみのマスターには最初から最後までお世話になりました。ありがとうございました。そして、最後までお付き合いいただいたスポンサーの方々には、誌上よりお礼申しあげます。78%もスポンサーがあったから、みなさんに無料で配布できたわけです。お買い物、飲食は今後とも78%会員店でお願い致します。

露永劫一さん

きみの悲しみを いっぱい湛えて 地球は いま 帰らぬ青い瞳…


呼び止めれば意識の闇を サーチライトのように香気が浮かぶ
彼の航路を慕ってゆこう 旅立ちに あなたの向側の孤独な海
さあ、いよいよ最後の投書です。と言ってもこれは78%からの勝手な投書です。
ちょっと宣伝みたいになりますがおゆるし下さい。蒼生舎のO氏も投書で一部触れていましたが、ライブハウスひょうたん島の事です。

今から10年前、掛川に文化の発表と発展の場を作ろうということでK氏と立案し、多くの仲間と手づくりで完成させた店で、現在も多くの若者たちの音楽の発表、交流の場となっています。若者たちにとって、音楽は切っても切り離せない生活の一部。好きな音楽を聴いて、安いコーヒーを飲んで、友達とさわぐ…という楽しい場なのですが、こんなひょうたん島にも最大の悩みがあります。

個性が強いのか、音楽の思想性が無骨すぎるのか、価格が安すぎるのか、毎月赤字に近い線なのです。とは言うものの値上げはしたくありません。そこでお願いです。ひょうたん島を、コンサート、映画、演劇(可能な限り)など、若者のメッセージがつぶやきに退化してしまわないうちに、多方面に、もっと利用してほしいのです。そしてひょうたん島のイベントに参加してほしいのです。何かやりたい企画があれば持って来てください。きっと新しい展開があります。