ハンガリーからきた合唱団 海を越えた音楽交流  
78%KAKEGAWA Vol.76 1986年7月号掲載
音楽で結ばれた国際交流
浜岡少年少女合唱団が、昨年の夏にハンガリーを音楽訪問して交流を深めたのが縁で、今年はハンガリーから「国立ハンガリー少年少女合唱団」と「ベーケスチャバ交響楽団」かやってきた。浜岡を中心に、藤枝、掛川、御前崎の地で美しい歌声を聞かせたくれた。

浜岡少年少女合唱団は、浜岡の「銀の鈴音楽学園」の藤田夫妻が中心となって結成している個人の合唱団である。ハンガリーと国際交流するきっかけとなったのは、4年前にイギリスのアバーディーン国際フェスティバルに参加してことから始まる。

この時に銀の鈴児童合唱団を浜岡少年少女合唱団に改名した。その時に行った合唱団の妹たちが、次は自分達が外国へ行く番だと楽しみに待っていたそうだ。そして2年後「白いもくれんの歌」の作曲者でもある静岡大学の木津教授から「音楽的には世界のトップと言われるハンガリーに行ったらどうか」という話が持ち上がった。

たまたま磐田に来日していたハンガリー合唱団と会えることになり、その場で「一年後にはハンガリーで会いましょう」という約束が出来上がり、一年後の夏に浜岡少年少女合唱団総勢35名がハンガリーに向かった。そして今年はハンガリーから、国立ハンガリー少年少女合唱団が遙々やってきたというわけである。

こうした個人的な交流会は、いろんな問題にぶつかるけれど、それだけに充実した、より深い交流が生まれていく。

掛川市でもアメリカのユージン市と姉妹都市を結んだり、全国でも国際交流の輪が広がっている。しかし「国際交流って何だろう」と考えさせられることもしばしばある。掛川の場合でも、ユージンの人達が掛川にやって来たり、掛川の人達がユージンに行ったというニュースは耳にする。一般市民にしてみたら「私達には関係無い」という人も少なからずいるはずだ。それは、関係無いとか敬遠しているということではなく、私達の知らない所で進められているだけの事である。姉妹都市というのは、残念ながら市民レベルでは行われていないのが現状である。
浜岡町民会館で2回目の演奏会。
オペラの合唱団の制服で歌う子ども達。
ベーケスチャバ交響楽団は合唱を盛り上げる。
ことばは通じなくても…
5月18日(日)に浜岡町民会館で、来日後2度目のコンサートが開かれた。皮肉なことに来日前4月26日にソ連のウクライナでチェルノブイリ原発が爆発事後を起こしたばかりというのに、ここの浜岡町民会館の目の前には浜岡原発が堂々とそびえ立っているのである。

そのことを聞いてみたが、彼女らは「明日からではなく、今日から平和にしたい。まず核兵器や原発の事故とかをなくして、世界中を平和にしたいと思います」と語ってくれた。

コンサートは、地元の浜岡では2回開催されたが1回目から満席で、予備席まで出る程大盛況。ただ残念だったのは、乳幼児の入場を断っているにも関わらず、子ども連れが多くて、会場がガヤガヤしていたことだ。

静かに聞く音楽は小さい子どもには無理である。すぐに飽きて、会場をあっちこっち歩き回る。母親に「もう終わる?」「あとどの位?」とひっきりなしに聞く子、ドアを開けて何回も会場の内と外を出たり入ったりする子ども達。その度にドアがギイギイときしみ、入口近くの人はとてもじっくりとは聞けない。しかもジュースを飲んだりお菓子を食べたり…。

その点、掛川生涯学習センターで行われたときには、開演時間に多少遅れてきた人も居たものの、マナーは良かった。主催者である藤田さんは、「今回の演奏会も各地で聞いたんですが、彼等は繊細で、ことばは全然通じなくても、いろんなことを敏感に感じとるんですね。掛川の場合もそうなんですけど、開演時間に遅れて出て来るんです。日本人はどちらかというと気が短いんですが、そんな時でもあわてないで、ゆったりと構えているんですね。会場が落ち着くまで待っているんです。」という。

時間よりも会場の雰囲気を大切にしている現れでもある。良い音楽はじっくりと、静かに耳を傾けたいものである。
琴と交響楽団の共演。
浜岡町民会館での交流会。
浜岡町民会館での交流会。
陽気に歌い、気軽に踊る
ハンガリーの民族衣装は、白地の服に原色の糸で刺繍を施してあるのが特長。刺繍が全体に入っているドレスや、部分的に刺繍してあるブラウスまで様々である。合唱団の正式な民族衣装は、ブラウスにフリルの付いた前掛けとネッカチーフには一面に刺繍が施してあり、とっても可愛いらしい衣裳。

自国の歌を唄うときだけ民族衣装を着るが、今回は簡単なブラウスに普通のスカートという出で立ち。正式な民族衣装が見られなかったのは残念…。他国の歌の時は、白のレースが付いた青いドレスを着ているが、これはオペラの合唱団の制服である。

一方の浜岡少年少女合唱団の子ども達は、日本の民族衣装のゆかたで出演。しかし、下駄や草履を履いている子どもはわずかに5〜6人。他の子どもはゆかた姿に運動靴、これはちょっといただけない。

それにしてもみんな実に陽気である。掛川の生涯学習センターで行われたコンサートの時は、控え室で、大人達と子ども達が、出番を待つ間、民族舞踊に興じていた。バイオリンとウッドベースだけの演奏だが、それに合わせて歌いながらハンガリー民族舞踊を踊っていた。実に楽しそうであった。踊りはごく簡単なもので、誰でも気軽に入っていけそうな雰囲気を持っていた。

コンサートはハンガリー少年少女合唱団が、ハンガリー音楽の他に、日本語で「白いもくれんの歌」や「荒城の月」など数曲を披露してくれた。音楽教育の世界トップといわれるだけあって、「さすが…」である。美しい音色は会場いっぱいに響き渡り、久々に良い音楽を堪能させてもらった。
浜岡町民会館での交流会。
ハンガリーの民族衣装を着た合唱団。
音楽学校が1っの町に3校も
出番を待つ間にひと踊り。
1回目のコンサートの後は、会食をしながらの交流会。ハンガリーは社会主義国のため外貨の持ち出しが厳しい。今回の来日は、旅費だけは政府で出してくれたが、その他の経費はコンサートの売上げ金で賄うため、宿泊もホームスティとして一般家庭に振り分けて泊まることになっている。そのため、16日と17日が藤枝の一般家庭に、18日から21日まで浜岡の一般家庭に、それぞれホームスティをしながらスケジュールをこなしていく。

今回の交流会は、受け入れ側の家族と引き合わせの場でもある。この交流会でハンガリーの人達の取材をさせてもらうことになっていたのだが、たった一人の通訳のエバさんは、引き合わせのための通訳とスケジュールの連絡で大忙しで食事をする間もない。

やっとのことで少ない時間だったが、合唱団の指揮者であるボトカ・ワレーリアさんに話を伺った。

・日本以外にも演奏で出掛けることはありますか?
「ヨーロッパはほとんど全部の国…、アメリカにも行きました。」
・日本は今回が初めてですか?
「日本に来るのは今回で8回目です。北海道から鹿児島まで色々なところを回りました。」
・今回来日した合唱団は何名ですか?
「このコーラスはラジオとテレビの合唱団では無くて、オペラの合唱団です。日本へ来られたのは11名だけですが、ハンガリーの合唱団には400名います。」
・合唱団に入るには試験があるのですか?
「たくさんの子ども達がこのコーラスに入りたいと思っています。その中で声の一番良い子ども達しか入れません。」
・公演はすべて民族衣装で行うのですか?
「ハンガリーの衣裳はハンガリーの歌を唄う時だけ着ます。他の歌を唄う時にはオペラの制服を着ます。」
・ハンガリーは音楽教育では世界のトップと言われていますが、学校の中でも音楽の時間はどのくらいあるのですか?
「普通の学校では1週間に2回ありますが、音楽学校では5回、ほとんど毎日あります。」
・音楽学校はどのくらいありますか。
「とってもあります。ハンガリーは小さい国ですけど、音楽学校が140校もあります。日本に比べて少ないけれど、ほんとに小さい国ですから。ひとつの町に3校くらいはあります。」
・日本の食べものはおいしいですか?
「(日本語で)すき焼き、寿司、天ぷら、ベリーグッドね。ジャパニーズ・サケ(日本酒)もベリーグッド。」

まだ聞きたいことがたくさんあったが、次の開演時間が迫ってきたため次回の取材の約束をして別れた。通訳を介して話をすると通常の3倍位の時間が掛かってしまったり、突っ込んだ話ができなかったりで少々もどかしい。言葉が通じないということは何と不便なことだろうとつくづく感じた一日だった。
ハンガリー語(マジャール語)の通訳者エバさん(左)。
ボトカ・ワレーリアさんとご主人のチャーニーさん。
ホームコンサートで盛り上がる
浜岡町では2名ないし1名に分かれホームスティとして4日間を過ごした。ここでも一番の難問は言葉の違いではなかったろうか。ハンガリーの人はマジャール語(ハンガリー語)を話し、学校では主にロシア語を勉強している。今回来日した人の中でも、英語を話せる人はほんの2〜3人。日本人も英語なら多少はわかるが、マジャール語では全くお手上げだ。生活習慣の違い、食べものの違いと、相手が外国人であるがゆえに、受け入れ側もかなり神経を使う。

5月21日に行われた掛川の生涯学習センターでも、通訳のエバさんは大忙しでとても取材どころでは無かった。エバさんは日本人と結婚し3年前から横浜に住んでいる。ハンガリーと日本の違いなども聞きたかったのだけれども残念。結局は学習センターでの取材は諦めて、その夜、ホームスティ先の山本さんのお宅に伺った。

山本さんのお宅には、ヤナイ・スザンナさん(29才)と、ロバーシュ・ユーディットさん(15才)の2人が来ている。ユーディットさんが英語を話せたお陰で「毎日が楽しくてしかたがない」と笑う。外国人が来る前の不安はどこへやらである。

山本さんのお宅は、今回の特集の協力者でもある高橋宏さんの親戚に当たる。毎日泊まり込みで通訳を買ってでてくれたそうで、「もし、宏がいなかったら、沈黙が続いて静かなもんだったと思いますよ。」と、山本さん一家は胸をなで下ろす。

夜は歌を唄ってもらったり、ギターを弾いたり、ピアノの伴奏で合唱したりと、ちょっとしたホームコンサートも開かれた。

スザンナさんは今回が初めての来日であるが、ユーディットさんは2年前に一度来日している。その時は1ヶ月半の長期公演だった。鹿児島から京都、東京と全国を回り、磐田にもやってきた。今回の来日には妹さんも一緒にやってきた。ユーディットさんは英語が好きでハイスクールの音楽学校に通うかたわら、英語の教室にも通っている。日本の高校生と比べるとかなり堪能している。
スザンナさんとユーデットさんのおかげで山本さんのお宅は毎日がホームコンサート。
浜岡少年少女合唱団の山本くん(左)と高橋さん。
タコ、美味しい!
ハンガリーの人達は、日本の食事は口に合わないのか、普段から小食なのか、全体的に食事の量は少ないという。(その割りにはなかなか体格が良い。)そういえば浜岡で会食した時も、すかいらーくで食事をした時も、かなり残してあった。

ユーディットさんの妹もホームスティ先で心配して「何が好きか聞いて欲しい」と言ってきたという。「チキンが好き」というので、そのお宅では早速チキンを料理して出したが、やはり手を付けなかったそうである。

山本さんのお宅出は、スザンナさんは出される料理に何でも挑戦しようとするが、ユーディットさんは余り食べないようだ。ただ、寿司の上にのっている生魚(刺身)と海老フライが「おいしかった」と言っていた。外国人はタコやイカは気味悪がって食べないと聞くが、ユーディットさんは寿司にのっていたタコが特に美味しかったという。

食事に限らず、生活習慣の違いも思わぬ所で出て来る。2人はお風呂は浴槽に入らずシャワーだけで済ませるそうだが、ある家庭ではお風呂の栓が抜かれ、次の人が入ろうと思ったらお湯が何にもなくて大慌てをしたという一幕もあったらしい。
コンサートの前にまずは腹ごしらえ。
ユーデットさん(右)は寿司にのっていたタコの刺身が旨かったそうだ。
いじめ?そんなものはない
ハンガリーの冬は雪が1メートル以上も積もるそうだが、内陸のため季節風の影響が少ないので、それ程寒さは感じないという。夏もあまり暑くなく過ごしやすい。

学校は7・4制で。8才から14才までが日本の小・中学校にあたり、ハイスクールが15才から18才まで。ハイスクールには音楽学校などもあり、自分の好きな学校を選択できる。夏休みは3ヶ月も有るのにユーディットさんは、「まだ短いくらいだ」という。日本の子ども達が聞いたら羨ましくなるような話しだ。冬休みと春休みは日本とほとんど同じくらいの期間だそうだ。

ハンガリーの学校でもいじめが存在するのか気になるところである。お互い片言の英会話ではなかなか言わんとすることが通じない。しかし、時間を掛けて何とか通じたようである。「小さい頃はケンカをすることもあるけど、そういうこととはちょっと違うようだ。特にハイスクールに上がれば、そんなバカなことはしない。」と、一笑に付された。日本のいじめというのは、資本主義社会の過当な競走が生み出した産物なのかも知れない。

「明日からではなく、今日から平和にしたい」という合唱団員。
世界で一番優しい国からきた合唱団員のひとり。
ゆかいな銀の鈴音楽学園
藤田ご夫妻は銀の鈴音楽学園を経営しているが、浜岡少年少女合唱団に関しては月謝なしで運営している。12〜13年前に5〜6名からスタートして、現在は40名ぐらいの団員を抱えている。

「本当は仕事はあんまり好きじゃないんですけど、合唱団を維持させるために一生懸命働いているようなものなんですよ。子ども達はとっても可愛くてね、みんな自分の子どもみたい。子ども達も遠慮がなくて、冷蔵庫にある物みんな食べちゃったり、イカがあればフライにして食べちゃったり…。その代わり忙しかったり、お客さんが来たときなんかは、『お茶!』って言うと誰かが飛んできて出してくれたりね」と笑う。

月謝をとらない理由は、月に4回練習をするとして、2〜3回休むと「月謝がもったいないから今月は休みなさい」ということになる。たとえ月に1回でも2回でも、いつでも来られる状況を作っておきたかったからだと言う。この子は伸びるなと思ったら、強引に引っ張ってこれるというのも大きな理由の一つ。

ハンガリーの人達も帰国して落ち着いたところで、改めて銀の鈴音楽学園を訪ねた。今回の交流会では藤枝の主催者側ともめたりで、いろいろ問題は有ったが、コンサートはどの会場も大盛況だった。浜岡のホームスティを引き受けてくれた父兄は、来年は自分達が行くと言っているようで、今回の交流で得たものは大きかったようである。
見習いたい文化の高さ (藤田Aご主人 藤田B奥様)
78%:昨年ハンガリーに行ったそうですがその時の感想は?

藤田B「私はその前にもヨーロッパをあちこち回ったんですけど、ハンガリーは一番印象に残っています。物静かで穏やかな国ですね。世界でも一番優しい人達と言われているんですけど、その通りですね。初めはどこの国も同じ様に感じたんですけど、暫く一緒にいると良くわかります。向こうの新聞記者の方に『偽りなく、あなたがパッと感じた印象をおっしゃってください。』って…。インタビューの内容も実に素朴で正直ですね。」

藤田A「今回、僕らは第一印象はどうだったかなんて、とてもじゃないけど聞けませんでしたね。」

藤田B「私達日本人って、文明は確かに発達してるんだけど、文化はうんと低いのに、生活水準が少し高いということで相手をものすごくバカにするんですね。日本人のおごりというか、うんと嫌な面が国際交流会で出て来たのは残念です。その点浜岡や小笠、大東町はちっちゃな町ですけど、違いましたね。ホームスティもそうですけど、彼等は名誉とかでやってるんじゃないですね。自分達の出来る範囲でやってやろうと思っているから素晴らしいですね。藤枝の方は日本語が通じないと思って、凄いことを言うの。向こうの人は言葉は通じないけど、相手の顔をじっと見ているんです。本当にじっと見てたんです。顔の表情とか何かで全部わかるんですね。」

藤田A「浜岡に来たとき、初めはこれを(ひじてつ)を(町から)やられたんです。」

藤田B「帰る時に副町長さんが『いろいろ問題はありましたが』って何回も言うのよ。『だけど良かった』って言うんです(笑う)。私達は社会主義国って聞くと、すぐ生活水準が低いって見ちゃうでしょ。確かに低いんだけど、文化の高さはすごいですね。」

藤田A「ハンガリーって国は歴史を辿ってみると、悲しいことばっかりだったんですね。」

78%:暗いイメージってあるんですか?

藤田B「暗いっていうか、なんて言うのかしら…。でも、スコットランドも同じ様な田舎でとっても良いところ何だけど寒々としていましたね。ハンガリーはすごく温かい感じでした。」

藤田A「日本の昔の風景がここにあるって感じでしたね。」

78%:ところで、交際交流ってどう思います?

藤田B「掛川市もそうなんだけど、三島市でも姉妹都市を結んでもその町だけの交流で終わりなんですね。他の市や町は見向きもしなかったり、とても薄情だって新聞に載っていました。もう、特定の市とか町だけの往き来ではなく、全部取っ払って本当のありのままの姿で受け入れなければいけないって…。」

藤田A「姉妹都市を結ぶことによって、それを土台にして、輪を広げて行くのかと思ったけど…。」

78%:掛川市の場合も関係者だけで、一般市民は立ち入り禁止じゃないけど、ほとんど関係無いって感じですね。文化的な交流もあるとは思えないし…。

藤田B「そうなんですって。市民レベルの国際交流とは、またちょっと違うんですよね。」

78%:市民が誰でも自由に参加出来る場を設けて「皆さんどんどん参加してください」って呼びかけるべきですよね。ユージンを訪問するときも、市の方で人を選んじゃいけないんですよね。ただ一部の人達が行ったりきたりしているだけでは、何の意味もない。

藤田B「掛川の教育長さんも仰ってました。『行ってきて良かった、それもいい。ホームスティもいい。だけど相手の国の文化を理解するっていうところに立っての交流でなかったら意味がないんじゃないか。交流するのもそれはそれで結構だけど、でも何か足りないような気がする。』って仰ってましたけど、本当にそう思いますね。私達は音楽しかないですから、音楽を通じて向こうの人達と親しくなれたらって思うんですけど。本を読んでいろいろ知っているつもりでも、実際にあちらへ行くのと行かないのでは全然違いますからね。そして、大人っていうのはとても偏見を持っているし、黄色人種というコンプレックスもあるんです。でも、子ども達は全然違うんです。白人だろうが黒人だろうが、どんどん仲間に入っていってしまうんです。この前ヨーロッパへ行った時には、子ども達が自分達はあちらでは外国人なのに『あっ、外人がいっぱいいる。』『こっちにもいる。いっぱいいる。』なんてね(笑う)。おかしくって…。」

78%:来年は父兄だけで行くんですって?

藤田A「明日集まるんですが、みなさん本気ですか、うそっ気ですかって聞いてみるつもりです。それによって話を進めるか、進めないか決める。(笑う)」

藤田B「前にも一度、ベルリンの人達を受け入れたんだけど、今回ほど盛り上がらなかったですね。親までで行くとは言いませんでしたもの。」

78%:今回の交流会の感想と反省は?

藤田A「反省はいくらでもあります。第一にスケジュールが過密だったこと。しょっちゅう僕らも謝ってたんだけど、余裕がなくて大失敗でした。他には、出迎えに行ったときの態度ね。」

藤田B「それについては、日本人にもいろいろな考えや物の見方をする人がいるから、同じ考えの方ばかりじゃないと、通訳を通して話したんですけど…。でもすごく大変だったけど良かったですね。音楽ももちろん良かったんだけど、それ以上に人間同士のつき合いというのか、国境を越えて友だちになって、そして来年また合流しようって所までいけたのは、ものすごい成果だったと思いますね。」

藤田A「藤枝もホームスティは良かったと思いますよ。交流会のあり方と心の持ち方については、良い勉強をしたなあって思います。」
藤田さんのご主人
藤田さんの奥様
交響楽団のメンバー。
交響楽団のメンバー。
交響楽団のメンバー。