それでも逆川の水は流れている
78%KAKEGAWA Vol.72 1986年3月号掲載
川が汚れている。
川で遊ぶ子ども達の姿、洗濯をする主婦の姿、大根を洗う農家の人達の姿は、遠い昔の風景。
コンクリートで固められた川には、人の姿さえ滅多に見かけない。
私達の生活に、川は不必要なものになってしまったのだろうか。
排水を流すだけの、ただの下水になり下がってしまったのだろうか。
あんなに沢山いたメダカは、どこへ行ってしまったのだろうか。
魚でさえも住めなくなってしまった川。
川は本来、生き物が住み、生活に潤いや安らぎを与えてくれるものでなければならない。
逆川が汚れた原因は人口増加にある
今まで、川の汚染は工業廃水や農薬、洗剤などが原因とされてきた。私達もそう信じてきた。しかし、現在掛川に於いて一番の原因は、私達が毎日生活している上で出している生活雑排水だという。川が汚れてしまったのは、私達自身に責任があると言うのだ。特に掛川の「逆川」の場合、川と言うよりも、汚いものを集めて流すだけの「下水」になりつつある。

このまま進むと取り返しのつかないことになる。田子の浦港は製紙工場の汚水によるヘドロ公害で埋め尽くされ、今では完全に死んだ港となった。逆川もこのままでは田子の浦港のようになりかねない。完全に死んだ水系は元に戻しようがないからだ。私達が台所から流す食べかすや洗剤が原因としたら「川が汚れてけしからん」などとは言っていられない。

川にもある程度の栄養は必要であるが、多すぎると栄養過多になってしまう(これを富栄養化という)。また、川には自浄作用という自分できれいにしていく性質がある。植物や魚が栄養を吸収したり、プランクトンが繁殖してきれいにしていくのだが、その量を遙かに超えた場合、越えた分だけヘドロとなって溜まっていく。

このようにして生態系が狂い出すと溜まった汚泥をバクテリアが栄養分にして増殖するために、臭い匂いを出したり毒素を出していく。このようになると魚も住めなくなってしまう。栄養分を吸収してくれるはずの魚が住めなくなった川は、ますます汚れていくのである。

川の富栄養化の原因は、産業化された食品業界の有り余る食品の中で、人々の食事が贅沢になってきたこともあるが、それ以上に人口の増加に起因するという。これから益々人口が増加することを考えると、生活者一人一人が考えを改めていかなければ、長い年月の間には川ばかりではなく海までも汚染で魚が住めなくなってしまう事になりかねない。
大きな排水管からは絶え間なく生活雑排水が流れ出ている。(大池)
ビニール袋やジュースの空き缶が至るところから顔を出している。(金城)
逆川の水を含んで遊んだことも…
葛川に住む主婦Aさんは、子どもの頃の思い出話をするのに、逆川なくしては話は出来ないくらいに、遊びと川は密接な繋がりがあったと言う。

逆川は、以前西山口小学校辺りから、南にぐるっと曲がって、金城の東海道本線のすぐ横(現在は道路になっている)を流れて馬喰橋に通じていたが、今は西山口小学校の裏から馬喰橋まで緩いカーブを描きながら真っ直ぐに延びている。

Aさんが子どもの頃、今から25年程前は、逆川の水もきれいで澄んでいた。「川の水を口に含んで、プーッて吹くと虹が出来るの。それがすごくきれいで、泳ぎながらよくやった。」と言うが、口に含めるくらいだったならそのきれいさも想像ができる(私は菊川の川で泳いだけれど、水を口に含めるほどきれいだはなかった)。

ところが、昨今は、子どもが川に入って遊んでいると「止めなさい!」と言わざるを得ないと言う。

「自分達が子どもの頃を思うと、遊ばせてやりたいという気持ちも有るが、今の濁った川では何が流れているかわからないし、ケガをした時に変なバイ菌が入ると恐いしね。それに昔は、せいぜい陶器の破片ぐらいだったけど、最近は金属やガラスの破片がいっぱいで、足に刺さったら大変。川で遊ぶ楽しさを知らない今の子ども達はかわいそうだと思うね。」

本当にそうなんです。陶器の破片でよく足を切ったけど、大体赤チンをつけて直してしまった。ところが錆びた金属やガラスの破片で切ると、キズは陶器より深いし、しかもこの汚れでは破傷風にもなりかねない。逆川のような川に入るときには素足で入るのは危険です。
護岸は栗石でまだ自然界の浄化作用は辛うじて保たれている。(金城)
まだ川らしさが残る風景だが、ここもコンクリートの護岸になるのだろう。(金城)
市街地から出る排水で下流の大池付近はヘドロがいっぱい溜まっている。(大池)
逆川で釣った魚は猫の餌?
実際に逆川がどの位汚れているのか、まずはこの目でしっかり見てみようと、大池橋の所から上流に向かって車を走らせてみた。

季節が冬ということもあって川の水は少なく淀んでいる。大池橋の下の川の中の石は汚泥が周りを覆っている感じで、見るからに汚染されている。目の前の大きな排水管からは水がとうとうと流れ、出口の下のコンクリートは赤茶色に変色していた。

ところが、こんな汚れた川で釣りをしている人がいたのである。釣り人は十九首に住む納本さんという方で、週に2回ぐらいはここで釣りを楽しんでいるそうだ。釣った魚は帰りに全部川に離すそうだ。

「この辺の魚は臭くて食べられませんよ。掛川の人間なら汚水が流れているのを知っているから、とても食べる気にはならないでしょう。私ら絶対に食べたくないね。目の前からも汚水が入ってきているでしょ。川の中をご覧なさい。ヘドロがいっぱいでしょう。私は釣るのが楽しみでね、釣れればいいんです。」

しかし、この汚い逆川を目指して、わざわざ東京から団体でやって来る釣り人もいるという。それも釣れた魚は全部持って帰って食べてしまうと言うのだ。

いくら東京の川よりきれいといっても「何もこんな汚い川の魚を食べなくても…」と思っていたら、納本さんも同じ考えらしく、「ここは汚いから、原野谷川の方へ行ったらどうですか」と言ってあげたが、「ここの方が釣れるから…」と、またここにやって来るのだそうである。地元では猫の餌にするくらいで食べないものを、釣り好きな東京人は好んで食べるようだ。

確かに富栄養でこんな汚い川にも魚は集まってくる。しかし、臭いばかりでなく奇形の魚も多いらしい。納本さん自身は、まだ一度も逆川で釣った魚は食べたことはないそうである。やはり逆川は釣りを楽しむだけにしておいた方が良さそうだ。
魚は良く釣れても、臭くて食べることは出来ない。(大池)
こうなると川へ降りるのは容易ではない。治水の為なのだが情緒がなくなるのが残念である。(城西)
自然の土手を壊し徐々にコンクリートの擁壁が押し寄せる。(新町)
逆川は下水路?
大池橋を後にして、十九首から城西、新町と、街の中を流れる逆川を見ていく。人が気軽に川原に降りられるような所はない。下からコンクリートの壁に遮られ、川らしい景観は全く失われている。

人間から「あなたはもう川ではありません。下水路なんですから下水路らしくしなさい」と新しい役割を担わされ、「それならあんた達は入れない」と、人間が入り込むのを拒否している様にも見える。

昔は口に含めた程澄んでいたという葛川(金城)辺りも、河石の周りが汚泥で覆われている。その上流の伊達方も似たようなものである。ただ、市街地の様に全てがコンクリートで遮られていないのがせめてもの救いである。

ここから上流の日坂ならまだ状況はいいだろうと期待を抱いて行った所、とんでもなかった。日坂の中心地の河原はまるでゴミ溜めと化し、スーパーの袋や空き缶などいろいろな物が散乱している。水面にはオイルのような油が一面に広がっている。雨が降ればこのゴミが一斉に下流へ移動していくのだろう。

日坂でさらにガッカリして、更に上流の粟が岳の麓のところはどうだろうかと、再び車を走らせた。逆川を横に眺めつつ、少し奥に行ったところで村のおじさんが居たので「この下を流れる川は逆川ですね」と尋ねたら「逆川?なんだねそれは、そんな川は知らん。」と言われてしまった。ところが帰って調べてみると、東山合戸字貝戸の山那橋が起点になっている。東山のまだ奥だから、やっぱりあれは逆川だったのだ。地元では違う名称で呼ばれているのだろうか。見ずに帰って来たので残念ながら様子はわからないが、山に入ってからは少なくとも汚泥で汚れていることはなかったように見えた。
逆川の中でもこの辺が一番水もきれいで川らしい。護岸の一部は玉石が重なっている。(伊達方)
この時期は水は少なく川の右側は竹や植物に覆われていた。(伊達方)
出来ることから始めたい
掛川市連合婦人会では、昭和57年(1982年)より「地域をきれいにする運動」に取り組み。各種の生活排水を検査したところ、掛川市内の河川水の汚れの原因が、やはり生活雑排水であったという結果が出ている。もちろんそれだけではないと思うが…。

市役所の公害課では、「農薬については、散布し終わって余った農薬を川に流したのが原因で魚が浮いたことも有ったが、これは10年か15年に一度位の割合。」だという。

また、工業廃水についても、公害防止条例という法律があって、各工場で規制を守っているし、掛川市内を流れている川の近くは工業廃水を流すような工場も少ないので、こちらも問題はないだろうと言うことであった。

県内の淡水魚類の調査や研究等を行っている静岡淡水魚研究会が調べた結果も、逆川の一番の汚染原因は生活雑排水であった。

生活雑排水というのは、洗濯や食器洗いの洗剤も勿論含まれるが、食べかすや米のとぎ汁、食用油、屎尿浄化槽の排水、風呂の排水など、生活する上で流されるもの全てを指している。

私達がこれから具体的にどうすれば良いのか、どうすれば川の水がきれいになっていくのか。自分達の出来ることから始めたいが、その取り組みを地域で実践したのが西山口地区である。

水が淀み水面には油(白っぽく見える部分)が浮いていた。(日坂)
河川敷にも川にもビニールや空き缶がたくさん有る。すでにここも下水路の感じを受けた。(日坂)
西山口地区の取り組み
(※)川の富栄養化は窒素やリン(栄養塩類)が多くなるためで、急増すると植物性プランクトンが異常に増殖して生態系のバランスが崩れ結果として川が汚れます。無リン洗剤でも界面活性剤や助剤が生態系に悪影響を及ぼすので使用は控えめに。 県地域婦人団体連絡会より、生活雑排水浄化活動のモデル地区として西山口地区が指定され、地域ぐるみの実践活動が行われた。下記の項目の実践内容を各家庭で協力してもらった結果、実践前と後では、明らかに汚濁の量に違いが見られた。

■洗剤は無リン合成洗剤を必要以上使わない様にする。できれば天然油脂を使った粉石けんが良い。LAS(界面活性剤)、リン酸塩、漂白剤、酵素、蛍光剤を使っていない石けんも出ている。(※)

■食べかすの付いた食器の汚れは、洗う前に布や紙、ヘラ、野菜クズである程度落としてから洗う。(毎回紙を使うのは資源の無駄にもなるのでゴムべらが使いやすくて便利。専用のゴムべらを一本用意しておくと良い。)

■流し台nに三角コーナーを置き中に水切り紙袋をセットすると目が細かいのでカスが流れにくい。スーパーや金物店で30枚入りが200円位で売っている。

■米のとぎ汁を植木や野菜畑にかける。

■食用油は最後まで使い切るか、紙などに染み込ませてゴミと一緒に出す。(この場合牛乳パックの中に紙か布を入れて流し込むと良い)後は土に埋めたり、廃油石けんを作るのも良い。

これらのことを実践しただけで、随分違ってくると言う。米のとぎ汁は意外に汚染度が高いそうだ。
廃油を利用した手作り石けん
食用油の廃油処分については頭を悩ましている方も多いと思います。廃油を利用して家庭でも簡単に出来る、石けん作りに挑戦してみてはいかがですか。油は流せば汚染になるが再利用すればこれはもう立派な資源。しかも廃油一升ぐらいで6倍ぐらいの石けんが出来る。

とにかくこの廃油石けんはよく落ちます。換気扇の頑固な汚れも、タバコのヤニで黄色くなった壁も、きれいに落ちてしまいます。昨年の暮れの大掃除ではこの石けんが大活躍でした。型に入れて日影干ししておけば多分固形石けんになるのではないかと思いますが、こちらも実験してみようと思います。

用意するもの

・天ぷら油の廃油 一升(1800cc かなり汚れていても大丈夫)
・苛性ソーダ 500g(薬局で売っています。要印鑑)
・残ったご飯か茹でたうどん どんぶり一杯
・オイル缶か大きめのバケツ
(オイル缶はガソリンスタンドに行けば大体貰える。中を良く洗って油分を取り除いてから使用。)
・かき回す棒(その辺にある木か竹で良い。長い方がやりやすい。)
・熱湯9,000cc(1,800ccずつを5回に分けて入れるので一度に必要はない。)
・作った後の石けんの容器(プララスチック製が良い。)

作り方

(1)中華鍋に廃油を入れ火にかけ、90度ぐらいにまで熱する。
(2)熱した廃油をオイル缶に移し、その中にそおっと苛性ソーダをを入れ、次にご飯を入れて、人肌ぐらいになるまでかき回す。ごはんは段々と溶けて行きます。
(3)人肌ぐらいになるまで冷めたら、沸かして用意しておいた熱湯を1,800cc入れてかき回します。ややねっとりしてきたらまた熱湯を入れます。これを回数分繰り返すと出来上がり。

この状態ではまだ固まっていないので、錆びない容器(出来れば蓋付き)に移し替え2週間ぐらいそのまま放置しておくと廃油石けんの完成です。少し柔らかいですがヘラなどですくって小さな容器に移せば使いやすくなります。
90度に熱した廃油に苛性ソーダとご飯をを入れてかき混ぜる。
次に熱湯を入れかき混ぜる。熱湯を入れる度に白くなっていく。
あとがき


逆川の水の汚れは私達の出す生活雑排水が主な原因だという。「郷土の川を美しく」とか「川にゴミをすてないで」などの看板を見かけるが、当たり前の文章すぎて空々しい。又、生態系がどのくらいまで汚染に耐えられるかの数字で、きれいだ、汚れているのどの判断も首をかしげる。そのような知識も必要なことはわかるが、それ以前の問題として、なぜそのようになったのかを問い、これからどうするのかを示さなければ意味がない。これは逆川だけの問題ではないはずだ。

全国的に見ても、無秩序に大工場が建ち、無計画に物が生産されている現実。すざましいまでの工業化と化学至上主義の農業活動の国策は、すべての河川、海を死に一歩ずつ近づけている。そういう大企業に限って、「自然を大切に」だとか「地球を守ろう」だとかのスローガンを掲げているが、本当にそう思っているならば、計画的に科学的に行動をしているはずである。いったい元凶はどこだったのか。

「海洋を、略奪的な搾取から、文明の廃棄物による不合理な今世紀まで前例のなかった汚染から守ることである。人類は、もし今後も生き続けることを願うなら、社会・経済体制の相違はあっても、この面で団結しなければならない。」これはある国の学者が魚類資源も含めて言った言葉である。

資源の浪費、人間性への安全無視を推し進めている日本には耳の痛い言葉だろう。最後にもう一つ引用させてもらう。「人類には、自然との合理的で、均衡のとれた健全な共存を確保することで多すぎるほどの心配事がある。とても軍拡競争に力を割いている余裕はない。すでに人間は生物圏を破壊する能力を持っている。しかし、人間が技術手段によって再生できる自然の機能は一つたりともない。」