ちょっと気になる野菜たち
78%KAKEGAWA Vol.66 1985年9月号掲載
掛川・小笠の地場野菜の生産に携わっている農家の人達。いつも新鮮な野菜を地元に提供しています。
食生活の変化
欲望のおもむくままの飽食時代。食べたい放題、残したい放題の食生活に、農業生産が振り回されている。若者を中心にしたコメ離れの対策に、全国規模でコメを食べようというキャンペーンが行われたのは記憶に新しい。

飽食と栄養過剰摂取からくる肥満や文明病に悩む大先輩のアメリカでは、現在の日本とは逆に日本の食生活が見直されてきたという。しかし、日本人そのものは、相変わらず生活様式も含め「洋風」の食事がもてはやされていて、特にその傾向は戦後世代に多い。
食卓から旬の野菜が消えた
外食も増加傾向にあるという。ファミリーレストランに行くといえば喜ぶ子ども達の多くは「ボクはじゃがいもの煮付け」とは言わずに「ハンバーグ!」や「ステーキ!」の時代になった。ご飯は「ライス」と呼ぶ。親の生活をもうそのまま引き継いでいる。

スーパーなどでは、共働きなどで食事の調理に時間を掛けることの出来ない家庭が多いためか、手軽さ故にずるい人間が多くなったのか、調理加工品が大手を振っている。合成添加物の多いインスタント食品や加工品が一家の食卓を賑わす。

若い人の居る家庭では、煮物や炊き物などの古くから伝わる「お袋の味」のような手作り料理は見向きされないという話しもよく聞かれる。それとは逆に、生野菜には人気が集まってきた。これもまた洋風野菜だが、その消費量はサラダ料理を中心とした一般に浸透している。

生野菜を食べることは良いことだと思うが、少し気になるのは、四季折々の新鮮でうまい野菜、いわゆる「旬」のものが少なくなってきたと言うことだ。いつでも季節感のない野菜が店頭に並んでいる。

真冬のキュウリ、トマト等々、一年中食べられるから便利で歓迎されている部分も多いが、ハウスで人工的に作り出される野菜の不自然さに首をかしげる所も有る。

現にハウス内での健康被害や農薬の散布による安全性の問題も深刻となっている。これは生産者だけの問題ではあるまい。消費者は欲しがり、市場からは消費者が欲しい時期に大量に安く供給してくれと言われ、また産地同士の競争が絡み合う。この歯車から抜け出す事は出来ないのだろうか。
キュウリ畑とトマト畑。強い日射しにと草の匂いが気持ち良い。後ろに見えるのは小笠山。
昔の野菜と今の野菜
「豊かさ」により、四季の野菜がいつでも食べることが出来、店頭には見た目においしそうな野菜が出回っている。ところで、その中身はどうなのだろうか。

今から5年前に改訂された日本食品標準成分表の予備調査では、真冬のキュウリのビタミンCは真夏の4割程度しかなく、トマトは7割程度だったという。この後の実際の調査ではもっと重大なことがわかった。

それは、緑黄野菜の成分である。22年前の調査に比べ、カロチン(体内でビタミンAに変わる)やビタミンCが激減していたということだ。昔の野菜を知っている人は、ほうれん草やピーマンは今よりもっと濃い色をしていたと言うが、昔を知らない人は、こんなもんだ位にしか感じないだろうし、ましてや栄養価は分析しなければわからない。

それでは、なぜ野菜の品質が低下してきたのだろうか。

飽食の時代と共に、消費者の多くの好みが柔らかいもの、クセやアクの少ないものへと移ってこたこと、それに合わせて品種改良のため、より収量の多い品種、病気が少なく日持ちの良い品種へと野菜が変えられてしまったからだ。これが「豊かさ」である。

しかし、今に生きる人達は、これを当たり前の野菜、今風の野菜としなければならないのではないだろうか。なにしろもう昔の野菜は手に入らなくなってしまったのだから…。
夏から秋にかけて食卓を賑わす茄子。太陽をいっぱい浴びているこの茄子も明日には出荷されるという。
地域に適した改良品種を広める
掛川市の農業協同組合の指導課ではこう語ってくれた。

「ここでは品種改良は全然していません。何種類かの品種改良されたものを取り寄せて、ここの地域に適した品種を大々的に広げて行くことはやっていますよ。特にイチゴやレタスそしてサニーレタスですね。たとえばイチゴの場合、昔は酸っぱいイチゴでしたけど、この頃では甘い宝交早生という品種になってきて、また今度は栃木とか九州で新しい品種が出て来たので、その2品種と今までの品種とを比べるために試験植えをするわけで、その結果それが今までよりも数段に収量があって、農家のお金になれば、新しい品種に替えるようになるけど、実際に替えるまでに3年位かかるかな。まあ、良い品種も中々出てこんだけどね。」

78%:良い品種とは?

「イチゴなら、甘味があって、数量性があって、収穫シーズンを通して平均に獲れるものですね。一度に収穫があると、農家では山が多いから、その時期に身体がえらくても困るもんで。だから平均して獲れて、数量があってお金になればいい。農家は、なんしょかんしょお金になる方へ、楽な方へ進んで行くから、こっちもそのように指導していってるし、他にも省力化の機械を入れたり、施設のね、ハウスなんかも省力の施設を導入して農家の身体を楽にさせてやるということも大切だと思って指導している。」

先ほど全国的に野菜の栄養価が落ちていることを書いたが、掛川ではどうなのであろうか。

「栄養価は落ちているじゃないかと思う。昔のものというか、いわゆる露地物で、そのシーズンシーズンの太陽光線を充分あびた作物の方が、たとえばトマトなんか、夏の真っ赤く熟れたトマトの方が、冬場のハウスの中で暖房してやるものより、自然にできた方が当然栄養価が高いでしょうね。」と言っているが、実際のデータはない。
この茄子畑は一代で終わる品種だ。種を取ってもその種からは実は成らない。元首相の田中角栄氏が、日本の農業技術をすべて国外へ売り渡してしまったからだ。来年もこの畑には外国産の茄子が植えられる。
自然の味を忘れた消費者
実際に野菜作りに長年携わっている、市内徳泉の鈴木さんにお話しを伺ってみました。

徳泉では戦前はほとんどの農家が蚕を飼っていた。それが、戦争で食糧が足らなくなってくると、桑の木を抜いてサツマイモを作りだした。ところが、少し食糧が豊かになってくると、サツマイモは売れなくなり、他の野菜を作るようになった。

昭和37年(1962年)頃までは十九首に市場があり、この当時はまだまだ食糧難の時代でもあったため、持っていけばどんな野菜でも売れたという。所が、次第に他の町の野菜などが入ってくるようになり、虫食いがなく、形の良い見た目のきれいな物でないと売れないようになってしまった。

この頃から、生産者は消費者の好みに合わせて作るようになってくる。そして、欲しい時にはいつでも手に入る様に、季節を問わず、いろいろな野菜が一年中食べられるようになってきた。真夏にはほうれん草や大根、キャベツや白菜があり、真冬にはキュウリやトマト、茄子、スイカまでが出回るようになった。

物が豊かになって、消費者はいつも満腹感を感じているから、より美味しい物を求めるようになる。トマトなどもメロンと同じ様に、まだ熟していない内に収穫して、冷蔵庫に入れておく間に糖度が上がり食べ頃になるという物も品種改良されている。

だが、それは一種のまやかしである。鈴木さんは「それは自然の味ではないですね。だけど、自然の味を消費者が忘れてしまったんではないでしょうか。」と言う。人工甘味料に慣らされてしまったように…。
キュウリには多くのトゲが出ている。これは中の種がまだ熟していない状態なのだが、それでもこの方が種も柔らかくて身はかりっとして個人的には美味しく感じる。
低毒性農薬も恐ろしい
鈴木さんは、除草剤や殺虫剤、殺菌剤の恐ろしさを身をもって知っているから、出来るだけそういった農薬を使わないようにしている。しかし、消費者が見た目のきれいな野菜を求めている限り、全く使わないわけにはいかないと言う。

鈴木さんが農業を始めた頃は、殆どの農家でDDT(殺虫剤・農薬)が使われた。殺虫効果が強く、残効性も高く一度かければ20日間位は虫がつかなかった。それだけ毒性が強いと言うことで昭和46年(1971年)には農薬として使うのが禁止された。

その後にエンドリン乳剤、アルドリン粉剤も使っていたが、これも残留性があると言うことで昭和50年(1975年)に使用禁止になった。ドリン剤は低毒性だったということで、鈴木さんのお宅でも茄子やキュウリに使ったそうである。

自然界の法則で、野菜に虫がつけばアマガエルが来て虫を食べてくれる。アマガエルを食べにヘビが来る。ところが、農薬を掛けた野菜を虫が食べて死に、その虫を食べたアマガエルが死に、そのアマガエルを食べたヘビが死んでいく。エンドリンでアマガエルやヘビが死んで行くのを目のあたりに見た鈴木さんは「恐ろしくなった」と言う。そう思い始めた頃に、残効性があって何年も土の中に残るという理由で使用禁止になった。

しかし、農家の側からすれば、最近の農薬だと何回も使用しなければならず、一度掛けたら何日も持つほうが、生産コストも安くつくし、労働力も楽な方がいいということになる。

家の周囲にある何カ所にもある畑では順次夏野菜が出荷されたり、次の作物が植えられていく。
輸入野菜は農薬漬け!?
このドリン剤、日本では使用禁止になっているのに、日本の農薬会社が外国へどんどん輸出しているという。そして、外国から安くて一見うまそうな農産物となって、日本にどんどん輸入されてくる。アメリカでは国内消費の農産物と輸出するものでは農薬を使う基準が全く違うという。輸出するものについてはコストを下げて少しぐらい農薬がかかってもいいというやり方をしているそうである。

また、九州のあるミカン農家では、韓国へ行って日本で使用禁止になっている農薬を買ってきて、それを使っているという話しを聞いたという。

昭和28年〜29年(1953年〜1954年)には農薬による急性中毒事故が年間2,000人弱、死亡者70人(自殺者除く)にも達したという。そして、低毒性殺虫剤への切替によって、急性中毒事故は減少したが、最近は慢性の中毒患者が増えている。

ベトナム戦争(狭義では1964年〜1975年)でアメリカが枯葉剤作戦(空から枯葉剤を散布した)を展開したが、この時の除草剤の影響で、今も奇形児が次から次へと産まれている。

低毒性の農薬は直接死に至ることはないが、徐々に身体の中に残留していくから恐いのである。鈴木さん自身も肝臓が少し悪くなっているそうで、医者から「農薬が少しずつ身体に入っているのが原因じゃないか」と、注意を受けたと言う。

収穫の終わったトマト畑で、出荷されなかったトマトを食べた。外側は割れていたが中身は変わりない、もぎたて最高!
一石二鳥の野菜作り
鈴木さんの畑では、最近野菜の苗を植える前に燻蒸(くんじょう)という方法を用いている。害虫などを有毒ガスで窒息させて駆除するという方法だ。これだとビニールを植える部分に被せて外に漏れないようにすると、土の中の虫が死んで土の養分になり、燻蒸したところは殆ど虫がつかない。だから殺虫剤を撒かなくて済む。この方法の薬剤は空気中に拡散してしまい土壌には他の成分になるので残留することはないという。(安全というわけではなく土壌には臭化物の残留がある。)

ところが、土はミミズなどの生物によって肥えてくるので、害虫や卵がいなくなるのは良いが、虫のいなくなった土地はどんどん痩せていってしまう。そこで鈴木さんは畑全体に藁を敷いている。

そうすることでまた虫が来てくれるから土地が痩せることはないし、藁で覆われているところは草も生えにくいので除草剤を使う必要も無い。それで虫の食っていない露地物の美味しい野菜が出来るのだから一石二鳥である。それでも農薬や化学肥料も使わないと言うわけにはいかないという。

「消費者が、多少値段が高くても、虫が食っていても安全な物を求めてくれるようにならないと、このまま行ったら本当に危険だと思うね。自分達にも生活があるから、危険だと思いつつやっぱり消費者が求める物を作ってしまう。だけど、何年か経ったら、わけのわからない恐い病気が出て来るんじゃないかと、それが心配だ。」と、これは鈴木さんに限らず、たぶん農業に携わっている人皆が願っていることではないだろうか。

土の燻蒸が行われた畑(右)と何もしなかった畑(中央から左側)
省力化による野菜の安全性
このように、野菜の生産も自由競争の経済社会の中にあっては、単なる商品作りと同じで、お金になるようにいかに利益を上げるかという対象になっている。そのために、付加価値を高めるための様々な農業技術の開発が消費者の知らないうちに推し進められている。

冬場の夏野菜が身近な良い例だ。品種交換も「他産地」に負けないように努力が続けられている。しかし、生産関係者の人々はその中身までは問題にしていないようだ。また消費者もいちいち気にしている人は少ない。

その中身は、今盛んに言われている「農薬の残留問題」である。農薬は野菜に限らず殆どの農作物に使用されている。無農薬野菜が叫ばれているが、これは一部の消費者にしか渡らない。地域も地産地消で鮮度の落ちないごく近くに限られている。

農薬は、国の安全使用基準により使用されているという。農薬散布後は雨や風によって落されたり、収穫後は出荷前に水洗いされて消費者の手に渡る。消費者はさらに洗い流して調理し食卓に上がるが、ゼロにはならない。ごく微量だから急性の毒性はないというが…気がかりである。

慢性毒性や発がん性、催奇形性、体内残留毒性はどうなのだろうか。また流れてしまうということは、結果として土の中や川、そして海に行き着く。その経路には生物が棲み、水道の水源があり、魚貝もいる。ここには書き切れない多くの問題が山積みされている。

畑一面が藁で覆われているので、雑草も少ないし泥跳ねもなく水の蒸散も少ない。収穫が終わればすべて土にすき込まれる。
安定供給の危険な罠
それでは、安全性を疑われる農薬をなぜ使用するのだろか。

複雑なからくりはどこにでもあるが、その結果農薬を使わなければならなくなってしまった原因の多くは農業政策に行き着く。そして、これまで何の関心も示さなかった消費者にも責任が残る。

先ほどの鈴木さんの話にも出たが、「無農薬では収量の安定が計れないし、結果としては増収しないし、また病気や虫がついて食べ荒らされた農作物では市場では買いたたかれ、消費者も買おうとしない。すなわちお金にならない。」だから、農家は農薬を使う。

このことは、消費者と生産者の関係が縮まらない限り、政府の農業政策を変えない限りなくならない問題である。農業の近代化と言われながら、その背景には工業が環境を破壊しているのと同じ様に、農業もまた省力化や合理化路線を進みながら「安定供給」の中で人間と自然を破壊してくのではないのだろうか。

キュウリ畑で鈴木さんのおばあさん(79才)が葉の手入れをしていた。良い運動になるという。
生産者から消費者へ
安定供給がなされている野菜の流通面はどのようになっているのだろう。

交通手段が発達したのは良いが、そのため長距離輸送の野菜が多くなった。産地では輸送時間の長さや低温で運ぶかどうかを含めて、野菜が完熟する前に収穫し出荷されるという。この場合野菜に含まれるビタミンCは時間が経てば経つほど減ってしまう。さらに味覚や鮮度も品質からすると「劣った野菜」なのである。

掛川市内で生産されている野菜でも。様々な流通経路が見られる。たとえば農協の場合はこうだ。

「ここでは、農家からの荷を一度集荷場へ集めて検査をする。それを等級分けをして、入荷量が多ければ市場を3つなり4つなりに分けて、東京や大阪、名古屋などの大きな市場へ送る。」

78%:地元で消費されないのですか?

「それはないです。やらない。」

78%:掛川のAコープが有りますけど…。

「Aコープは浜松の市場から買ってきたりするんだけんがねえ。もちろん掛川の市場から浜松へも送っているけど、直接(掛川のAコープに)入ることはない。」

78%:他のスーパーや大型店はどうなんですか?

「ほとんど浜松とか豊橋とか大きな市場から入れているみたいだね。」

78%:掛川に青果市場がありますけど、なぜ利用しないのですか?

「掛川は小口が多い。小さい店の八百屋の衆だけが入っているもんで、なかなか高い値が出んわけじゃんね。僕らもたまには行くんだけんが、たとえば農協で集めているものをドサッとやったとしても、それなりの値が出やへんしさぁ。買い手も、荷が揃っていんもんでね。地場のものはあるけえが、箱に入ってちゃんと等級分けしたものがないんだよね。」

このように、農協に集まる荷はすべて大都市へ行ってしまう。また大きなスーパーは掛川の市場以外から仕入れをしている。農家の人と話をすると、細かい等級分けは多くの労力がいると言う。中間業者にとっては扱いやすいが、消費者にとってみればコストが掛かるだけで、あまり意味の無い事のように思う。

また、「転送品」という問題も有る。

大都市へ過剰に荷が集まると、もう一度地方の市場へ送り返されるという。このことは鮮度や経費を考えると無駄なことのように思えるが、需要と供給のバランスを取るために各市場同士で行われる。野菜は収穫時期が同じな時が多いため一度に流通する。そこで余った野菜は足りない市場に回される。このような転送品は掛川青果市場では夏が一番多く、5割ぐらいは各市場からの転送品だそうだ。

また、例えば夏場のほうれん草は産地が高冷地だから露地でとれる。これを掛川のような温かいところで設備投資して行うと3倍ぐらいの値になってしまうといい、地場ではとれない野菜に関しては値が安い物が多いそうだ。受給調整のための転送品でも価格が安ければ消費者は喜ぶのであろう。
農協で集荷した野菜は地元にはおろさずに、値段の良い大都市の市場に回っていく。ここの掛川中央青果でも農協の作物は入って来ることは殆ど無いという。
入荷する野菜を待つ、東遠青果流通センターの内部。利用する人達は地元の小規模業者が殆どだと言う。
新鮮で安い地場野菜
先に登場した鈴木さんの収穫した野菜は掛川青果市場に出荷している。市場の人は「鮮度の良い野菜をもっと消費者に食べてもらいたい。」と話す。さらに「遠方から来る物だと経費もかかっていて、割と高い物につく。同じ物なら地場の物の方が、新鮮で安い。」と言う。

ここの青果市場では、多品目、約150種類の農作物を取扱っている。農家も少量生産者が多く、地場生産者がほとんどだ。買い手も小笠地区の1市6町の八百屋や小規模スーパーなど全体の5〜6割位の商店が利用していて、地場野菜の集荷、出荷に大いに役立っている。

生産者にとっては「荷作り簡単、手軽に出荷」で、消費者には「地元の新鮮野菜」というメリットがある。しかし、その取扱金額は年間20億円を目標にしているが、現在はそれにはほど遠いと言う。

地場野菜といっても、実際には消費者はどれが地場野菜だかわからな。その対策はどうなっているのだろうか。

「今年の9月からですけど、地場野菜に限ってシールを貼るようになるんです。他産地との差別化ですね。野菜は表面から見たんじゃどこの産地の野菜だかわかりませんからね。それと同時に、ポスターを各小売店に貼って、地場野菜の消費拡大振興を図るようになります。このことで、消費者が一つの目安にしてもらうのと、取り扱ってくれる店が増えれば、より多くの消費者に食べていただけるので…。」
地場野菜のポスター
地場野菜シール
消費者の意識が野菜を変える
取材中に、有機栽培とか無農薬野菜の話はよく出た。

「我々も、有機栽培や無農薬で、虫も食べてくれる野菜は非常に身体にいいんだということは感じています。だけど現実には消費者が買ってくれない。農家だってわざわざ身体を壊してまで農薬を使いたくはありませんからね。農薬を使えばお金になるものが出来るし、消費者も買ってくれる。その危険性に気が付いて、消費者が、虫の食った野菜を見て『ああ、これは安全な野菜だ』って食べてくれたらそんなに嬉しいことはない。農家の人達も一生懸命に安全な野菜を作ってくれるでしょう。」

消費者は、やはり生産者の「顔」が見えなければいけないと思う。野菜の流通にしても、どのようにして自分達の食べるものが食卓に上がるのか、もう一度考え直す時期にきている。今までの季節性に富んだ地場産の野菜をもっと活用すべきだし、生産者と消費者の「顔」がわかる距離で、お互いの立場を理解し認め合えば、より安全で「豊かな」農作物がどんどん出回ってくるだろう。