茶摘み歌が聞こえる頃。
78%KAKEGAWA Vol.39 1983年6月号掲載
コーヒーを飲む人が増えたとは言え、日本人の生活に日本茶は切り離すことはできない。
世間話に耳を傾けながら、漬け物や甘い物を茶請けに飲む一杯は心和むひとときだ。
機械化され風情のなくなってしまった茶摘み風景だけど、
茶処掛川に生まれた人々は、遠く離れてもお茶の味を忘れない。
八十八夜のころには、どこからか茶摘み歌が聞こえてきそうなそんな街の風景…掛川。
猫の手より人の手がほしい!
サラリーマン家庭では、大型連休といわれている4月29日から5月5日までは、思い思いのレジャーを楽しんでいる。ところがこの時期の茶農家は猫の手も借りたい忙しさ。一年の生活費の大部分を、この時期で稼ぐのだから大変である。

掛川ではお茶工場だけでも、協同、個人などすべて含めて537軒もある。お茶に関する仕事に従事している人は、掛川の総人口の六分の一以上いるそうです。その年のお茶の出来具合によって、掛川中の商店も一年の景気が左右されると言われるくらい、お茶と掛川の経済は切っても切れない仲にある。

今年は霜の被害もなく、芽はすくすくと育っている。品質もなかなか良いようであるが、葉が薄いので例年に較べて収量は少なくなりそうだ。

昔から、八十八夜(だいたい5月2日頃)に摘んだお茶を飲むと長生きすると言われ、掛川周辺ではちょうどその頃、新芽が一斉に出そろう。後継者で悩んでいる農家では、この忙しい時期にもほとんどが40代以降の人達の手で行われていて、機械化が進んで楽になったとはいえ、最盛期の時くらいは若者も手伝ってもいいんじゃないかと思うんだけど…。
機械で刈り取るのでどこの茶畑でもこういう形になっている。
杉山さんの茶畑。この山を越すと向こう側は川根地区。
お茶と気象条件
掛川でもいいお茶が出来ることで有名な東山に行ってみた。お茶は気象条件が多分に影響される。川根や東山のように、冷涼地帯で、昼と夜の温度差が大きいほど、良いお茶が出来る。陽があまり当たりすぎるとお茶の成分である渋味(タンニン)が増え、日照時間の少ないところでは渋味より甘味(カテキン)の勝ったまろやかなお茶が出来る。かといって、陽が全く当たらないのも良くない。そう言った意味では東山は気象条件に非常に恵まれた土地でもある。

ちょうど、茶摘みをしていた杉山さん一家にインタビューしてみた。
杉山さん
杉山さんちの茶摘み風景
杉山さんのお宅では、ご夫婦ともうすぐ70才になるおばあちゃんの3人が中心になって茶摘みをやっている。ご主人は茶摘みをしながら、一日おきに工場へ行ってお茶を揉んでいるということである。おばあちゃんはもう50年近くも茶摘みを経験している大ベテラン。

「今じゃあ、大型の機械で刈るもんだで楽になりましたよ。昔しゃあねえ、暗いいと(朝暗い時)から暗いいと(夕方暗くなるまで)までやっただけんがねえ。今じゃあ、それこそ普通の日と変わらんですよ。早くて朝6時半か7時頃家を出るですけんが…。昔は手ばさみでやってたもんだから、時間も掛かり運ぶにも山の上から下までずっと篭や袋を担いで降りていったdすよ。手から肩が痛くてねえ。30年位前に、協同の工場(東山第一菱東製茶工場)が出来たもんですから、そこへ持っていくんですけんが、昔はどこの家も自分の家でお茶を揉んでたんですよ。」と、おばあちゃん。

大型機械が導入される以前は、親戚中の人やお茶をやっていない近所の人達に頼んで来て貰い、子ども達も少し大きくなればいろいろと手伝わされた。一番茶の時期になると茶畑には大勢の人がいて活気があった。ところが最近では、手摘みから機械刈りに変わる頃には、せいぜい2〜3人位しかいない。機械の音だけは賑やかだけど、人が少ないのはちょっぴり淋しい気がしないでもない。昔は2、3日掛かった所も、今では半日で終わっちゃうそうだから当然といえば当然かも知れない。(機械で摘めばおお茶の子さいさい!)

杉山さんのお宅では、息子さんが今年から小笠農業高校の茶業科に進んだ。
「はあ、手伝ってもらわにゃあいかんだけんが、だめだやあ。私らくらいの年代の衆が一番手間で苦労するだよ。もう少し行けば息子も大きくなって、やってもらえるようになるんだけんがねえ。それだけえが、これからの若い衆はどうもあてにならんだよなあ。今までは、何とか恵まれてたもんでやってきたけんが、それこそここへ来て、お茶も下り坂にきてるもんで、若い衆は嫌がるだよ。」

杉山さんのお宅は、ほとんどお茶に頼っている。田圃は自分の家で食べるだけぐらいしか作っていない。お茶が一町歩(約3,000坪)ちょっとで、専業で行うには一町四〜五反以上ないと、春先にちょっと何かで工面しないと苦しいと笑う。
すくすく育った新芽は草刈り機であっという間に刈り取られていく。
刈り取られた茶葉がだんだん袋いっぱいになっていく。
刈り取られた茶葉は、車に積み込まれ製茶工場へ運ばれる。
瑞々しい刈り取られたばかりの茶葉。
農家の後継者不足と社会影響
今年は遅霜がなかったせいか、手摘み新茶収穫の時期に芽が一斉に伸びて、手摘みでは摘みきれなくなり、2、3日で機械摘みに替わってしまった。例年だと5日から1週間位は手摘みが続くそうである。機械摘みの方が労力としては当然楽なんだけど、その分味が落ちるがほとんど問題にならない程度だと言う。特に八十八夜のお茶は、一番味がのっていて美味しいと言うことだ。

ハウス栽培で4月20日頃出回るお茶があるけど、やっぱり露地物のお茶の本当の味は出ない。ただ、八十八夜の頃になると大量に出回るために単価的にどうしても安くなってしまうので、農家にとっては辛いところ。

農家の人達の地道な努力によって掛川の茶産業は支えられている。しかし、年々後継者や専業農家が減りつつある。これらの問題は今の掛川(というより日本全体の問題になっている)に、どのような影響を及ぼしていくのだろうか。政府の農業政策によって、米の減反が叫ばれ、専業農家の人達の多くはその代わりにお茶や、イチゴ、メロンなどの市場価格の高い物に替わりつつある。米は自分の家で食べる程度をつくっているという農家が年々増えている。日本の食生活の中心穀物は米である。私たちにとって、衣食住の中で最も大切である食の部分がないがしろにされつつあることは、今後の日本に大きな影響を及ぼすことになると思われる。
良質のお茶と後継者に恵まれる東山
東山の山東(やまとう)製茶工場の中に一歩入ると、摘み取ったばかりの生葉からお茶の香りがプ〜ンと漂ってくる。柔らかい新芽の鮮やかな緑と、ほのかに漂うお茶の香りを楽しみながら春の季節の感触を思いっ切り味わってみる。あの柔らかい新芽の上に寝転んでみたら最高の贅沢が味わえるのではないかと、ふと思った。

ここ山東製茶では、全国茶品評会の深蒸し部門で農林大臣賞という栄誉ある賞を2回(昭和52年度と55年度)受賞している。毎年全国で130点位が出品され、お茶本来の持つ味、香り、揉み上がった形ともに優れているものだけに与えられる賞である。当然、賞を貰うことによって全体的な評価がかなり違ってくるから、どこのお茶工場でも、最高の芽を最高の技術で仕上げるためにさまざまな研究がなされている。今年も、掛川農協から指定された22の工場が、全国茶品評会に出品した。

ちなみに、昭和55年度に受賞した山東製茶のお茶には1kg256,780円の高値が付いた。たった1Kgですよ!無茶苦茶にイイ値段なんですね!但し、このお茶は一般に流通することはほとんどありませんが、それでも、工場の作るほかのお茶の評価に影響してくるので、どこのお茶工場でも良いお茶づくりに必死なんです。

山東製茶は、17戸の茶農家が協同で経営し、そのほとんどはお茶を専業にしている農家である。山間地のために、他の作物はほとんど望めない。だから、当然ながらお茶に力が入る。

「今のところ、お茶は希望が持てるじゃないですか。この辺じゃあ、お茶でしか食っちゃいけん、っていう気持ちがあるもんで…。」と、若い後継者の人達も、お茶に賭ける気持ちは強い。

今年もお茶の初取引が4月27日に行われた。
「この前、落札されたのが8,500円(1?当たり)で、掛川で最高の価格でしたよ。その時は若い衆がみんなで行ってくれたんだけんが、市場で最高値がついたもんで、みんな弾みがついたようだ。」と、組合員の人はニコニコ顔で話す。

そして、何と言ってもこの土地で一番恵まれているのは、農業後継者である。どこの土地に行っても一番頭を悩ますのが後継者のこと。ここ東山では、18戸ある農家で他への勤め人は1人だけだという。

お茶工場で機械を操作しているのは若い年代の人ばかりだ。一番年長者で35才くらいだという。昭和55年に新工場が出来て、作業機械はすべて自動化に変わった。そうなると、昔ながらのやりかたでやってきたお年寄りでは手に負えなくなってくる。それならいっそのこと若い者に全部任せてしまおうと言うことになり、工場の方は全て若い衆任せ。幸い、この土地には同じくらいの年代の人達が揃っているので、仕事もやりやすくスムーズにいくと言う。

「工場の中に入って、若い人ばかりというところは他にはないでしょう。お嫁さんやお婿さんに来た人でも、みんな農業を手伝っていますよ。去年は確か五組だか結婚して、みんな夫婦そろって農業やってますよ。どっこにもないんじゃないかね、こんなに後継者に恵まれているところは…。」と、良質のお茶に恵まれ、後継者に恵まれ、山東製茶の前途は明るい。

この広い工場の中にも、お茶の最盛期だというのに機械の音だけが賑やかいが、人の気配は感じられない。ようやく大きな機械の間に2人を見つけた。したがってこの工場の中で働いている人は、案内していただいている伊藤さんと合わせて3人だけ。3人ずつ三交代で一昼夜フル回転。一日で17t〜20tの生葉を加工してしまう。とは言っても、すべてが自動化されているので、人間は機械の調整や途中で葉が詰まったときに手を貸す程度。ほとんど人の手を通らずに出来上がってしまうのである。

茶畑で摘み取られたお茶は、工場に持ち込まれた後コンピュータ制御で計量され、コンベアーで運ばれる。茶葉を蒸す機械に入る量は決まっていて、決められた一定量だけが送り込まれる様になっているため、機械に入るまでの間、新鮮さを失わせないために、下から適宜の空気と湿気が送り込まれている。そして、順番が来ると自動的に二台ある蒸し機に送り込まれていく。

最近、掛川周辺では深蒸し茶が増えている。特に東山地区の茶葉は、葉が厚くて深蒸しに向いているため、今では殆どこの深蒸しに替わってきている。

深蒸し茶は、蒸し時間をほんの数秒長くすることによって、渋味が甘味に変わり、それで味が良くなると言われている。お茶の善し悪しはこの蒸し加減で決まってしまうと言われるほど難しい行程のひとつである。いくら自動化されたからとはいえ、機械の操作次第で味・香り・色の三要素がどの様にも変わってしまう。言い替えれば操作次第で良いお茶にも悪いお茶にもなってしまう。

蒸し機を通ったお茶は、揉む、乾燥する工程を経て貯蔵タンクに入るまで一切人の手を通ることなく送り込まれていく。この行程にはおよそ2時間半を要する。(ここで仕上がったお茶はまだ荒茶の段階なので、これから市内の各お茶問屋に運ばれ、仕上げられていく。)

後継者が減っていく分、機械化が進んでいく。後継者に悩む農家にとっては喜ばしく楽なんだけれども、これ以上進むと人間の働く場所が段々なくなってしまうのではないかと不安になってくる。
新緑の中で一際目立つ山東製茶工場には地元の多くの農家から刈り取ったばかりの茶葉が運び込まれる。
持ち込まれた茶葉は農家ごとに計量された後、ここから工場内に次々と送り込まれる。
寺田式生葉自動搬入装置
工場内に搬入された生葉は、自動的に振り分けられながら積み上げられていく。
中央奥が深蒸し茶の機械。生葉が自動的に送り込まれる。
昼も夜もフル稼働する工場内。三交代で機械を見ている。
工場を案内していただいた伊藤さん(右)
日本で初のお茶のサービスセンター
上内田にある佐々木製茶(カネジョウ)で、今年の4月末に、日本でも唯一のお茶のサービスセンターがオープンした。全国的に見ても、販売だけを目的としたサービスセンターはあるが、実際の製造工程を展示してあるのはここだけ。

茶処の地元にいながら、お茶がどのようにして出来るのか知らない人も多い。消費地(主に関東方面)からの見学者も後を絶たない。どこのお茶工場でもお茶を揉んでいるので、お茶の粉などで工場の中が汚れるが、これだけはどうにもならない。

「地元の人はもちろん、遠方から着てくれた人達に、きれいな印象を残して返ってもらいたい。」ということで、実際のお茶の出来るまでを展示してある。展示場ではお茶の製造は行われていないが、各工程ごとの機械は外から中が見えるようになっていて、茶葉の加工の様子が見えるように工夫されている特注品。

佐々木製茶の佐々木さんが、長年暖めてきた夢がここに実現したわけである。6月から1月まですでに一万人余りの見学申し込みがあり、嬉しい悲鳴をあげている。その殆どが関東方面の消費地からの見学者で、その他に地元の小中学校などからも校外学習で社会科の勉強にやってくる。掛川茶全体の70%位が関東地方で消費されている。関西は10%以下で、どうも深蒸し茶は東京の水に合うようである。

お茶サービスセンターに入ると、入口の真正面にロビーがあって、左側にはお茶の接待所が設けてある。来客者にはここで一人一人にお茶の接待をしてくれる。水はカルキが残る水道水は一切使わず、山から湧き出てくる自然水を使っていて、美味しいお茶を飲んで貰うために細かい所にまで気を配っている。時には、申し込みがあった団体には、お茶菓子までサービスする。帰りには、パック入りのお茶のサンプルが貰え、茶摘みのシーズンには茶園で茶摘みを体験出来たりと、至れり尽くせりのサービス。

お茶サービスセンターの裏側には5アール(150坪位)の面積に「有機栽培モデル園」と称する茶園がある。まだ茶の樹は小さいが、2、3年後には一人前に成長する。今後は、この茶園で見学に来た人達が自由に摘めるシステムになる。現在は近くの茶園と契約をして、そこで摘んでもらっている。見学者は家に持ち帰った茶葉を天ぷらにしたり茶飯にして食べているようである。

これらの経費だけで、年間約2千万円がかかる。

「現在は、当然赤字経営ですが、2〜10年は覚悟しています。やはり、長い目で見ていかなければ…。県や市ではなかなかこのようなサービスセンターは作ってくれないので、個人的に始めたんですが、掛川茶のPRともちろん、カネジョウ製茶のPRも兼ねていますが、若い層の人達に、お茶というものを理解されるようになれば成功したと思っています。そういった意味では、先日の連休にも、若い家族ずれの方達が大勢来てくれましたし、遠方からのお客さんも、お茶がこんなに美味しいものだと思わなかったと、喜んで帰っていただきましたので、一応成功したと言えます。それから、加茂菖蒲園とも連携をしていて、観光客の方達に、こちらにも寄るように呼びかけたりして、少しでも多くの人に掛川茶の理解を深めてもらうように努力しています。」

「まだまだ、お茶に関してやりたいことはいっぱい有る。」と佐々木さんの夢はさらに大きく広がる。せっかくの美味しいお茶も、入れ方次第では随分と味が変わってしまう。「茶室を設けて、煎茶の入れ方教室を開いたり、お茶に関する資料館も、ゆくゆくは作っていきたい。」と言う。

お茶の入れ方は、本当に大切なことだと思う。昔から「生産家はいいお茶を飲んでいない」と言われてきたけど(最近では大分かわってきたそうですが)、やはり良いお茶を作くって、お茶を広めていくためには、生産者自体が良いお茶を飲み、美味しく入れるコツを研究して広めていくことも大切です。
完成したお茶のサービスセンター
i入口から入って直ぐのロビーにはお茶の接待所も完備。
お茶の接待所で美味しいお茶を入れて貰いました。
一目でわかる製茶行程の見学コース。
出来たての有機栽培モデル園。今後はここで茶摘み体験が出来る。
5月の新茶よりも、口切り新茶
お茶工場で製造された荒茶の殆どは、市内の各茶問屋に「運ばれる。茶問屋では粉茶や茎茶などの選別が行われ再製されるのである。

新茶の時期は、茶問屋にとっても、仕入れから再製、出荷と目の回るような忙しさを余儀なくされる。この時期に一年分の仕入れをして、出荷分の再製・梱包をしなければならないからである。新茶は早ければ早いほど値打ちがあり、消費者に珍しがられる。

中には5月に飲む新茶よりも「口切り新茶」と言って、10月か11月頃に飲む方が美味しいという人もいる。口切り新茶というのは、荒茶として加工された新茶を、涼しいところに寝かせて置く。(最近では常時零度という一定の温度の大型冷蔵庫の中で保存されている)そうすることによって、夏を越す間に茶葉が熟成して、深みのある味と香りが生まれるからなのです。
見学コースの最後の方には、出来上がったお茶の製缶詰や袋詰めのデモンストレーションが行われている。
夏バテにはお茶が一番
これから夏に向かって、やたらと水分を取る量が多くなる。水分を多く取ったらその分排泄しなければ手足がむくんできたり、身体がだるくなってくる。特に最近はどこへ行っても冷房が効いていて、汗を流すことが少なくなってきましたよね。かといって水分を取らないようにすると、新陳代謝が鈍くなりこれも身体のためによくないのです。尿には身体の疲労素(老廃物・電解質・栄養素など)がたまる働きがあるので、これを早く排泄しないと再び体内に吸収されてさらに疲労感が高まることもあります。お茶の中に含まれるタンニンには利尿作用があるので、「疲れた」と思ったらお茶をガブガブ飲むといいそうです。

茶産地のある地元でも、夏は麦茶を飲む人が大勢いるけど、麦茶の成分には澱粉質が多く含まれているので、余り飲むと胃がもたれることがあります。日本茶にはビタミンCも含まれているし、胃はもたれない最高の飲み物なのです。特に、番茶やほうじ茶は、刺激性がなくカラッとした軽い味なので、たくさん飲んで下さい。冷やして飲めば夏の飲み物にピッタリです。(値段も安いですよ。)

書くきたいことはまだまだいっぱいあるんだけど、ページ数の関係で一応おしまいにします。最後に、掛川には日本一大きな製茶工場「五明茶業組合」があることを付け加えておきます。何が一番かというと、設備が大きいから生産能力が日本一なのです。やっぱり、掛川はお茶の町と言えそうですね。
茶問屋で再製される新茶。(大井茶店)
注文別に袋詰めしていく。(大井茶店)