いたずら心は何処へ?
78%KAKEGAWA Vol.37 1983年4月号掲載
子どもは遊びの天才
昔の子ども達っていうのは遊びの天才でした。一日中、外で遊びまくって、しょっちゅう周りの大人達から叱られ通し。それでもくじけずに、次から次へと、いたずらを発明したものでした。

男の子なんかは、身体中スリキズが絶えなくて、着ている物はいつも泥まみれ。女の子だって、男の子に負けず劣らずスカートの下のパンツは真っ黒だった。そして、母親も強く「女は弱し、されど母親は強し」を地でいってたものです。最近の母親は「女は強し、されど母親は弱し」になっちゃったりして。昔の母親って、本当に強かったんですよね。いたずらしたり、言うことを聞かないと、ひっぱたかれたり外におっぽり出されたり、中には物置に閉じ込められたり、電柱に縛られたり…。こんな光景がよく見られたものです。それでも次の日には、子どもは同じ事の繰り返し…。

子どもたちが悪いことをすれば、ちゃんと叱ってくれる人がいて、地域社会は非常に調和が取れていたんですね。子どもたちは何度も何度もいたずらを繰り返して、事の善し悪しを覚えていくわけです。
大人のエゴ
自然を相手に一日中遊びに熱中する。これが本来の子どもの姿であり、自然(ありのまま)でもあるわけです。もちろん個人差はありますが…。

今時の子ども達って、ほとんどの子どもが、毎日勉強に追われ、それ以外の時間でも、家の中でコンピューターゲームに熱中したり、テレビに釘付けになっている。時々するいたずらだってやさしいものです。本当にいい子ぶりっ子が増えちゃって…。

子ども達はこのように本来の姿、自然の姿に逆らっているわけだから、中学生や高校生になって、その歪みが出て来るのも無理のない話。それを責めるのは大人の身勝手で、しまいには、PTAとか父兄代表とか何とか言う人たちが校外でしっかり管理しちゃっているし、時には警察まで出て来ることもある。大多数の大人達がその背景をつくり出したことに気がついてくれないことには、どうにもならないんですよね、この複雑な社会では…。嗚呼、子どもはギセイ者なんですョ!

今月の特集は、昔、子どもだった人達のいたずら話。どんな大人でも、いろんないたずらをしながら成長してきたんですね。
無鉄砲さが無い、今の子どもたち
「自分の子どもを見てて、無鉄砲さがないと思います、」というMさん(39才男性)は、台風で大水が出たときに、いつも泳いでいる川を向こう岸まで泳いで渡ってしまったという経験の持ち主。

「その時は、いつも泳いでいる川だったので自信があったんだろうな。流れが強いもんで、ずうっと川上の方まで歩いて行って、流れに添って川下の向こう岸まで泳いでいったけど、今考えるとゾッとする。」とは言うものの、常に自然を相手に遊んでいるから、わざわざ川上まで歩いて行くところなどは、子どもながらも知恵が働く。

竹馬なども、普通の短いのでは飽き足らず、ついに、屋根の庇から乗らなければならないような竹馬を作ってしまった。

「自分の子どもに無鉄砲さが無いのは、親(私自身)が干渉しすぎているからだと思いますよ。『あれをやっちゃあいかん、これをやっちゃあいかん』って。それと、遊ぶ時間のないこと。可哀想ですね。親のエゴのために縛り過ぎちゃう。僕らの小さい頃は、もう一日中遊んでいた。親に叱られて恐いんだけど、それ以上に遊ぶ方がおもしろかったんだよ。夕方、真っ暗になってから帰ると、必ず親に怒られるんだけど、それでもやめられない、おもしろくて。」

「親からは『勉強しろ、勉強しろ』って言われたけど、そんなこと全然関係なかったですね。親に勉強しなさいって言われると、『やったよ!』って嘘をついたり、うちの社長(Mさんのお兄さん)なんか、『お風呂に入るで…』って2回も3回も風呂に入ったりして…。アハハ…。」(昔の子どもって、神経が図太かったんですね。)

Mさんが本当に勉強をし出したのは、中学3年の頃から。すれまでは、遊ぶために学校へ行ってたようなものだと言う。
「最近は、すべて枠の中に納めようとしているでしょ。当然、枠からはみ出した子っていうのは、取り残されてっちゃうよな。昔から、あんまり頭の良くない連中もいたけど、今みたいに落ちこぼれなんて言わなかったもんね。いたずらでどうしょうもなかった奴でも、今の社会で立派にやっている人は一杯いるんだもん。何でもかんでも画一化しようとするから、よけい反発しちゃうんだよな。特に高校生位に成ると、やっちゃあいけないことに余計興味があって、タバコを吸っちゃあいけない、酒を飲んじゃいけない、なんて言われると余計魅力を感じちゃうわけ。小学生の服装についても、冬でも子ども達には半袖に半ズボンで通させているけど。先生はしっかり暖かい格好をしている。健康にいいことだとしてやっているんなら先生も同じ格好すべきでしょ。だから、よけいに子ども達が反感を持つだけ…。俺たちの小さい頃は、冬は冬なりの服装をしてたけど、風邪なんかひいたことなかった。そのかわり、外で遊び回って遊んでたから。」
ケンカ両成敗
今の子ども達は、テレビや(漫画)の影響からか、人を傷つけたりすることが平気になってしまってきたようだ。特に自分より弱い者に対して…。

空気銃でおばあさんを撃ってしまった子ども。幼稚園児や下級生を河原で遊ばせておいて、橋の上から棒きれや石ころを命中させるように投げたという小学生。その石も小石だけではなく、漬け物石ぐらい大きな石もあったという。最近も、中学生の集団が浮浪者を殺すという事件が起きたばかり。これらは明らかにいたずらではない。異常事態である。

昔から子ども達のケンカや、上級生が下級生を校舎の裏に連れて行き殴ったりは、日常茶飯事の出来事であった。しかし、ケンカ自体も今よりもっとカラッとしていたし、ユーモアや思いやりみたいなものも含まれていた。

そして一番大きな違いは、小さなケンカに大人がしゃしゃり出なかったこと。親が出て行くと「子どものケンカに親が出る」なんて批判されたものである。ケンカ両成敗、これが至極当然であった。
少年、思わずニャリ!
さて、こちらは同じ河原で遊ぶにしても、ユニークすぎて思わず吹き出してしまう。Oさん(32才男性)は市内本郷で生まれ育ちました。生家の近くに二俣線が走っていて、ちょうど原野谷川を走るところが鉄橋になってた訳でして…。さて、その川の土手の周りには柿がいっぱい生っていまして、少年はつい手が伸びてしまったんですね。ついでにスカートの中もチラリ…。

「昔は、線路沿いに歩く人が多くて、鉄橋の上もよく人が歩いていたんですよね。悪ガキ5〜6人がそこに集まって、盗んだ柿を鉄橋の下で喰いながら上を歩く女の人のスカートを覗きましたよ。向こうの方から女の人が歩いてくると『あっ!女の人が来た!』って誰かが言うと、一斉に隠れて覗くんです。すぐ目の上を歩いているから、よく見えるんですよ。(少年、思わずニヤリ)一緒に下を歩いて行ったりして…。だけど、先輩なんかが原野谷駅で降りると、だいたいいたずらしている所がわかるわけね。柿を盗んで食っていたりなんかすると、上から怒鳴られるわけ。『お前ら、なにやってるんだぁ!』って。」

「それから、線路の近くで遊んでいると、時々水がピューッと来るでしょ。おしっこだか何だかわかんないけど、あれがよくかかったね。熱いやつがピューッとくるもんで、『ワーッ』って逃げ出したりして…。それから、僕らが小学校5〜6年の時には、田舎だったもんだから(遊びで)空気銃を使わせてもらっていました。何か手伝いをすると玉がもらえたので、一生懸命手伝いをしちゃあ、空気銃持って山を走り回っていました。もちろん山の中だけしか使わせてもらえなかったけど…。自分が狩人になったような気分で。腰に百舌(モズ)なんかぶら下げて帰りたいんだけど、なかなか当たらなくてね…。」

最後にOさんから、学校と市に提案。
「中学生なんかにも、勉強勉強じゃなく、もっと周りで身体をう〜んと使うような事をさせてやらないと…。エネルギーが有り余っているんだから。中学生の駅伝なんかもぜひ復活させてもらいたいですね。」
ちょいと気になる栗拾い
昔はまともなおやつがなくて、アケビやグミ、野イチゴなどの自然にある物を採ってきては、おやつ代わりに食べたものである。山の自然は惜しげもなく私たちに食べ物を与えてくれたし、仲間と山に行ったり、木に登ったりすることが、一種の遊びでもあった。

さて、栗拾いでこんな話もある。ただし、真似はしないでくださいね。

Oさん(29才)とHさん(29才)は同級生。2人が中学1年か2年生の頃の話である。2人で栗拾いに行く相談がまとまり、当日、H君は長い棒を用意して持ってきたんだけど、なぜかO君はノコギリを持ってきたんですね。不審に思ったH君が、「栗を拾いにいくんだろ?」と聞いたところ、「うん。栗拾いだよ。」と答えたために、H君は不審を抱きながらもO君の後をついていった。

現地に着くとすぐにO君はノコギリで栗の木を根元の所から切り倒してしまった。「こうすれば楽に採れるら!?」とO君。H君は「うん、これなら採れる。」と感心しながら栗を拾ったそうである。

全部拾い終わった時、H君の胸の内は不安でいっぱいになった。「ここの山、お前らん家の山だら?」とH君が恐る恐る聞くと、O君は「ううん、違う。」と答えたそうな。
スイカを割って、ビックリ!
今度は、Tさん(28才)のお話し。子どもの頃は近所でも評判の悪ガキだったようで、家族もだいぶ手を焼いていたようである。おじいさんとおばあさんは、彼の行動を終始監視していた位である。

夏の暑い盛りのある日、彼の家ではスイカが冷やしてあった。しかし、なかなか食べさせてもらえなかったために、彼はスイカをそのままの状態で、どうやったら食べられるかを考えた。

いろいろ考えたあげく、思い浮かんだのがストロー。周囲に誰もいないのを確かめてから、ストローが入る程の小さな穴を開けて、そこからチューチュー吸うことを考え、即実行に移したのである。たとえ小学生でも、いたずらに関しては非常に長けているですね。

「うん、これはいける」と、思ったかどうかは定かでないが、十分満足した後、また元の場所に置いといた。そうとは知らないおばあさん。意外の軽さにちょっぴり不信感を抱いたものの、外観からは何の異常も感じられなかったために、ついにスイカは真っ二つに割られた。彼の運命やいかに!?案の定、直ぐにばれて、彼はまたもや叱られるはめになったのです。
教室の中のいたずら
これは、掛川ではなく最近読んだ雑誌の記事からです。

ある小学校の教室で、流行性感冒で休む子が毎日5人くらいいて、あと2人休むと学級閉鎖になるかもしれないという状況の時、先生が、いつもより空席が目立ったので、数えてみると7人欠席していた。

子ども達は「先生、学級閉鎖?」とたずねる。
「う〜ん、一人は足のケガだから、保健の先生に聞いてみるけど…」と先生が答える。
「ワ〜イ!」と手をたたく子、「学級閉鎖なんてつまらないよ!」「だってきまりだもん」と教室はワイワイガヤガヤ。

「まあ、先生があとで聞いて来るから…。」ということで、一時間目の授業を始めようとすると、入口付近に座って居るY子が、いきなり立ち上がって「もう出てきていいよ!」と叫んだ。みんながドッと笑い、そして窓側の掃除用ロッカーと給食用のロッカーが、ガタガタと音がして扉が開き、中から男の子が二人出てきたのです。

それには先生も大笑い。その後「コラッ、かついだなぁ」と二人の男の子を追いかけて、お尻をパ〜ンとはたいて座らせても、なおも教室は笑いの渦だったそうです。

中には怒り出す先生もいるかもしれないけど、この位のユーモアはやっぱり笑ってほしいですね。
蜂の一刺しにも負けず
蜂の子は食べるだけなら美味しくていいんだけど、取ってくるのが大変。ヘタをすると、巣にいる親蜂に指されてドンぶくれちゃうからね。しかし、昔の子ども達は見事に蜂の子を取ってきたんです。美味しいものを目の前にして引き返す方が勇気の要ることだったんですね。この際、多少の犠牲者が出ても、やむを得ないわけでして…。

小学生だった頃、上垂木に住むKさん達遊び仲間は、蜂の子を取ってきて食べるのが、大得意でありました。

蜂の巣は、主に池の水面すれすれの所に垂れ下がっている木の枝に作ってあることが多いのだそうです。子ども達はこれを「どうやって取るか」で、真剣に議論をしました。その結果、池の中に入って棒で巣をぶっ叩いたあと、すぐに水の中にもぐって戻ってくる、ということで意見が一致し、早速実行に移したのですが…。

さすがの蜂も水の中までは追いかけてきませんでした。ところが、一見成功したかに思えたんだけれども、蜂も然る者。水の中を泳いでいた子が浮かび上がる所のあたりで待ち伏せしているんです。水面から顔をあげた途端、一瞬の間に蜂の餌食になってしまうのです。

ある子は、それがひどく刺されて、顔面がふくれあがってしまったため、「蜂の子なんていらない!」って、泣きながら帰って行ったそうです。後に残った子ども達で、蜂の子を炒って食べたんだけど、分け前が増えたのと美味しいのと両方で「よかった」「よかった」と口々に言い合ったそうです。

さて、Kさん達グループは、蜂の子だけでは飽き足らず、夏になると池の側の畑から、トマトまで取ってきてしまいました。当然、暑い盛りだったから、トマトも生温かくておいしくないんですね。ない知恵を出し合っていろいろ考えたあげく、池の中で一番深い所に埋めることに決まりました。水深5〜6メートル、下が沼になっていて、そこに埋めてくるのです。そして、そこには必ず長い棒を突き刺して目印を付けてくるのです。これがとっても冷えるんですって。時々棒を刺してくるのを忘れて、仲間揉めなんかもあったそうです。

Kさん曰く、「今は自然から学ぶ知識とか冒険心を、親や学校が取り上げてしまっている。子どもには子どものルールが有り、いたずらをするにも段階があるんです。ままごと遊びのおもしろい時期、物をくすねて盗るのがおもしろい時期、冒険心の旺盛な時期。そして、ちょっと大人っぽくなると、自分の小遣いで何かを買ってきて、下級生らに分けてやる。それだけで、何かリーダーシップを取ったような得意な気分になったりして…。そういう過程を経ながら少しずつ大人になっていくんだと思います。都内では缶けり、馬乗り、ドッジボールを禁止した所もあるそうです。みんなひ弱になってきたので、すぐ骨折してしまうからだそうです。また、ナイフで鉛筆を削ることも出来ない子が多いそうで、僕らの時は、男の子ならほとんどの子が刃物を肌身離さず持っていました。これは人を傷つけるためのものではなく、遊び道具を自分達で作る為の物だったんです。」
授業はそっちのけ、学校は楽しいいたずら会場!
22才位まで、いたずら(と言うべきかどうか、悩んじゃうんだけど…)をして歩いたというTさん(39才)の高校時代は、酒は呑むは、タバコは吸うは、とまあひどいもんだったそうです。今は、青年会議所のメンバーにもなっていて、一見善良な市民そのものです。


その1:「胡椒をふりまくと…」

「高校時代は、映画館の全盛期で、よく映画館に行ったんだけど、行く前にラーメン屋に寄ってラーメンを一杯食べてから行くんです。そこのラーメン屋で胡椒を一本盗んできて、映画館の二階の席へ行って、二階から下へ向けてパラパラ胡椒をまく。そうすると、下でクシュン、クションやっている。それが面白くて…。」

その2:「人の弁当食うのは昼めし前」

「高校の時、弁当なんか持ってかない時の方が多かったけど、持ってたときには朝から食べちゃう。みんなが集まる溜まり場があって、そこで全部食べちゃって、授業中になると、他の奴らの弁当まで食べちゃって…。女の子の弁当まで食って泣かれたこともあったけど…。(実はその女の子がTさんに好意を寄せていたんだけど、その事件以来、逆に恨まれて後で後悔したんだって…。)それから、昼休みになると学校を抜け出して、近くの屋台に酒を飲みに行った。帰って来て、午後の授業は酒臭い臭いをプンプンさせて受けるんだけど、バレちゃあいかんもんで、先生が横を通るときは息を止めていた。」

その3:「授業中におならの出しっこ」

「浅羽町の方から来ている農家の息子が、弁当を持ってこずに、よく芋切り干しをカバンの中にいっぱい詰め込んで持ってきた。それをみんなで分け合って食って、授業中におならの出しっこをした。」

その4:「ざくろと蜂の巣を間違えて…」

「近くのお寺にざくろの木があって、うまそうに熟れていたので、夜中にこっそり盗りにいったら、間違えて蜂の巣を掴んだもんで、そこいら中、蜂にさされちゃった。」

その5:「捕虜になると…」

「缶けりだとか、鬼ごっこを一日中やってて、一回鬼になると一日中鬼をやらされて、泣いて帰った奴もいるし、二班に分かれて戦争ごっこなんかもやってて、捕まえられるでしょ。そうすると、捕虜になった奴は、松の木に縛られて、みんなにションベンをかけられたりした。」

「殴られたら、殴り返して来い!」

Tさんによると、昔はおだてに乗せると、いろんなことをやったりしてユニークな人が多かったし、知能テストをやるとうんと良いんだけど、勉強をなんにもしなくて成績が悪い人も一杯いたそうである。今の子は、表面はぶりっ子でいるけど、陰にこもっているように見えるという。

「昔は、街の中も、もっと自然がいっぱいあって、遊びと自然が密着していた。だから、今の子を見てると気の毒だと思うよ。もっと自然の環境を作ってやるとかなんとかして、のびのびとさせてやらなきゃなあ。家へ帰って来ても、自分の気に入った友だち2〜3人で、こそこそ遊んでいるだけだからね。それに、今みたいに何かやるとすぐPTAが『どうの、こうの』と言ってくるような、せせこましい世の中じゃあなかった。親同士も見て見ぬ振りしてたし…。いじめられた方の親も『こんなんじゃ困る』なんて、いちいち言ってくる親もなかった。逆に子どもに『殴られたら殴り返してこい!』なんて言う親もいたりして…。」

「俺の親なんかも、普段のいたずらに関しては何も言わなかった。その代わり、飯なんか食ってて、肘をついていたりなんかして言ってもきかない時には、親父がパシーンって殴ったもんね。それから、ケンカしても、とことんやるってことはなかったな。どこかで手加減してたし…。今同じ事してたら、すぐ問題になっちゃう。昔は人さまに迷惑さえ掛けなけりゃあ、どんな子でもいいという育て方だったのが、今は、人を押しのけていかにゃあいかんていう感じでさ…。」
ガキ大将の条件は厳しい
「テレビの影響で、ガキ大将になりそこなって損をした」と言うのは、今年35才になるSさん。ガキ大将には、当然上級生にならないと成れない。

昔は何をするにも集落や部落単位か村や町単位で遊ぶのが常であった。みんな、弟や妹を連れて来たから、本当に小さい子から大きな子までが一緒になって遊ぶのである。部落対部落の子どものケンカや、戦争ごっこをするときは、直ぐ下の者は、泥をこねて丸める役とかやられる役ばかり。江戸時代ならさしずめ足軽的な存在である。

どこかへ行く時には荷物を持たされたり、マラソン大会をやるときには、下の者だけ走らせておいて、最後まで走りきらないと「お前は根性がない!」と怒鳴る。それでも、ガキ大将や上級生の言うことを聞かないと遊んでもらえないために、何でも言うことを聞く。

しかし、ガキ大将になるには、ただ勉強だけではダメ。それ相応の器がないとなれないのである。もちろん腕力も強くなければならないし、機転が利いて統率力があって、下の子ども達の面倒見がよく、なにか事があればかばってくれる優しさや思いやりがないとなれないのである。

なかなか条件が厳しいが、昔は必ず一人や二人はそういう子どもがいて、皆をまとめていた。だから、ガキ大将から学んできたものは大きく、もしかしたらそれは、親や先生以上かもしれない。

しかし今は、テレビなどの普及で、だんだん外で遊ぶことも少なくなり、いつの間にか、ガキ大将と呼ばれる子どももいなくなってしまった。先出のSさんが上級生になろうとする頃には、村の中でも何軒かテレビが入るようになり、「あと3年位テレビの普及が遅れていたら、俺もガキ大将になれたのに…。」と悔しがる。

そして、「今の子ども達は、学校内だけのつき合いしかないから、自然と同級生だけと遊ぶようになる。同級生同士というのは、腕力が強ければそれだけで、ガキ大将とか番長と呼ばれるようになるんですね。だから、思いやりにも欠けていくのではないか。」と言う。
あとがき

菊川町のある小学校では、子ども達の穿くパンツにまで、学校から文句が来たという。下着にまで学校側が管理しだしたのである。子どもの人権はますます奪われていく一方にあるが、大人達はもっと自分達の昔を思い出してほしい。物質的には恵まれなかったかもしれないが、みんないたずらをしながら、今よりはのびのびと育ってきたはずである。いたずらを善か悪か判断した場合、決して善とはいえない。けれども、子どもが成長していくための一つの過程である。こんな特集を編集すれば、また批判の声も上がると思うけど、批判する前に、今一度、本当の子どもの人権というものを考えて欲しい。子どもには子どもの世界があると言うことも含めて。