国際障害者年は終わったけど…
Vol.26 1982年5月号掲載
「国際障害者年のことは一年で終わっちゃあいけないこと。法律が先で人々が後じゃだめなの。人々が法律を作り制度を作るんでしょ。法律ばかり先に来て、中身がガラガラじゃあいけない。やっぱり住んでいる人々がそういう気持ちを持って、制度が出来て法律が出来るのが本当の姿です。スウェーデンの福祉政策が進んでいるとか言われるけど、国民が一人ひとり真剣に考えてるから、そこから制度が出来、法律が出来たんです。人々の動きがなかったら今のスウェーデンはなかったでしょう。今回、掛川のタウン誌で取り上げて下さって、みんなが理解してくれたら素晴らしいですね。」
今回の特集の目的を端的に言い表すなら、ねむの木学園の宮城まりこ園長が言った、この言葉に集約されます。指導員の人達の苦労は大変なものだと思います。学校の教師以上に…。子ども達の明るい笑顔は指導員の人達の努力と子ども達自身によって作られたものです。
International year of disabled persons 1981
障害者の社会生活の保障と社会参加のための国際的努力を促すことを目標とし、テーマを「完全参加と平等」として、国際連合が1981年を「国際障害者年」に指定しました。
 文:やなせかずこ 
東遠学園
東遠地区一市七町精神薄弱児施設組合
菊川町西方4346-1 TEL.05373-5-2753
親と子のふれ合いが一番大切。

東遠学園は東遠地区の掛川市、菊川町、小笠町、浜岡町、大東町、大須賀町、森町、春野町で経営している精神薄弱児施設組合である。

東遠学園の高木俊雄園長は「親は本気でこどもの今と、将来についての考えを持ってほしい。」と訴える。
「学園に子どもを預けているので言いたいことが有っても言えないとか、先生の気を悪くしては損だと考える親がいるが、この考えは以ての外です。それは先生方を信用していないか、または自分の不熱心さを棚に上げた考え方です。親と先生方は対立の関係ではなく、共同で子ども達を良くし、人間らしく育てる義務と責任がある。学園に対して苦情もあるだろうし、希望もあって当然です。それなのに、子ども達との面会の時や帰園の時に、親は先生と話しもせずに帰ってしまう。それでは子どもが可哀想である。本気で子どものことを考え、心配し、もっともっと先生方に注文をつけたり頼んでほしいと思いますね。」

この考え方は学校教育全般にわたって言えることである。父兄の中には熱心な親とそうでない親の二通りがあって、不熱心な親は入園したばかりの時には足繁く通っても、月日が経つにつれ訪れる回数も少なくなるという。離れて暮らしていると情が薄くなるのであろうか。年に2回しか顔をださなかった親も居るという。

私たちが、子どもの中に入っていくと、かわりばんこに甘えてすり寄ってきた。東遠学園では、出来るだけ家庭へ帰る日を多くしている。希望帰宅の土曜日や日曜日以外にも、年4回程、家庭の日を設けて半ば強制的に帰ってもらい、親子、兄妹との接触の時間を少しでも多くとってもらいたいという配慮からである。しかし、中には2週間も休みで帰宅していると、3、4日もすると学園に帰りたいという子も出る。学園には自分の力で作った友達がたくさんいるから楽しいのかもしれない。


過保護も考えもの。幼児期の育て方一つで良くも悪くもなる。


東遠学園の指導員である大石さんが中心となって、障害を持つ親に「障害児の育て方」を呼びかける取り組みを始めた。これは。幼児の時の育て方で、良くも悪くもなるという理論に基づいた運動である。

生まれた時に手をギュッと握っている子は反射神経が発達しているので、成長してからも握る力が強い。その逆に、手を開いている赤ちゃんは成長してから握る力が弱いという。そして、ハイハイをさせないで、そのまま立たせることから始めると、足の骨の発育や筋肉の力が弱くなるので将来のマイナスになる。

時々は、お腹を抱えて宙ぶらりんにすることも大切である。恐いという気持ちが働いて、自然に手足を動かすようになるからだ。こういうことを繰り返すことによって、軽度の肢体不自由児なら障害が取り除かれる子もでてくるという。過保護にしてそういうことを怠ると筋肉が固定して余計に悪くなる場合もあるので、早期発見と常に筋肉を動かさせることが大切である。これは子どもを持つ親の義務である。


専任の医師がほしい!派遣医師もダメ、看護婦も配属してくれない。


東遠学園に来ている子ども達は18才までという一番大切な成長期を過ごすことになる。高木園長は「障害を完全に治してあげることはできないが、出来る限りのことをしてあげたい。そのためには毎日の訓練と、それを指導してくれる医師が絶対に必要だ。」と言う。ところが専門の肢体へかかる治療費の予算がないというのが実態である。

「本当は専任として欲しいんだけど…。それが無理ならせめて菊川病院の専門の医師の派遣制度を作って子ども達を診てもらいたいとお願いにいったが、そういうシステムはないと断られた。それなら、専門に保健婦か看護婦を配属してくれと県の教育委員に頼んでも、150人以下の規模ではだめだと言われた。実際には50人しかいなくても病気になる率は高いんです。残念です。それが実現すれば、障害の基本的なものは改善されるのに…。」
なぜかお役所は一番大切なことを忘れているようである。


山積みの諸問題。たとえば…


18才で卒業していく子ども達の将来はどうなのか?働く能力のある中度〜軽度身障者にとってもやはり、見通しは暗い。特に森町や春野町の子ども達にとってはお先真っ暗である。東遠学園には入れるが、小笠町にある草笛共同作業所には入ることができないからだ。森町では厚生議会で決議して「出資するから入れて欲しい」と草笛共同作業所に頼み込んだがシャットアウトされた。草笛共同作業所は地元を中心にしているとの理由からだ。

東遠学園には今年卒業して行く当てのない子が3人いる。共に草笛共同作業所を希望して入れなかった子ども達である。その中の一人、春野町の子は磐田市にある緑ヶ丘学園に行くことが出来た。あとの掛川市の二人については袋井学園に頼んでみたが体よく断られた。ここも地元が中心で他の地区の子は入れないようだ。同じ形態をもつ施設でありながら、いったいどういうことなのだろうか…。

東遠学園では、一応18才までで卒業という規定になっているが、毎年県知事の許可を得れば20才までは居られる。しかし、それ以降については、今の段階ではどうしようもないとの事である。

現在15才の男の子は重度の脳性マヒで肢体不自由児である。つかまって立つこともできない。自分で車椅子を動かすこともできない。しかし、この子が20才になったとき、どこへ行けばいいのか?県立で静岡と浜松に療護園がある。ただしそこに入るには、お尻が拭けて顔も洗える程度の子でなければ入園させてもらえない。高木園長にとっては不満なことだらけである。

以前、こんな話もあった。「将来、掛川市立総合病院が移転したら、看護婦の職員寮がまだ新しいのでそのまま残し、半分を重度障害者のために、あとの半分は精神薄弱者の人達がそこに住んで企業に通える通勤寮を作ろう。」という構想が出た。素晴らしい構想に園長の胸は躍った。

ところが、新しい福祉部長が配属になったため、もう一度念を押した所、「掛川市の4年間の計画には入っていない。4年後に福祉施設の整備をしようという計画はあるが、そういうものを申請する予定は全く無い。」と素気なく言われた。それについて園長は「今度の親の会の総会で問題を投げかけて運動を起こそうと思っている。」と答えて下さった。

まだまだ他にも問題がある。ある企業に就職した女の子は、上平川から菊川駅までバスで通っている。ところがバスの定期代がびっくりするほど高い。5万円かそこらの給料の中から定期代を差し引いたらいくらも手元に残らない。東遠学園にいたときは乗車割引券があったのでよかったが、卒園すると同時に恩典がなくなってしまう。「せっかく働いているのに可哀想だ。町へ陳情して、たとえ何割かでも負担してくれるように頼んでみる。」ということである。

そして、東遠学園では、周辺の子ども達が自由に出入りできる遊び場を作った。学園の子ども達との交流の場所にするためにである。しかし、それも思うようにはいかない。たまに遊びに来てくれても、二手に分かれてしまって子ども達との交流が望めない。幼い子ども達の世界から見れば仕方の無いことかもしれないが、何とかして隔たりのない子ども達の世界を作ってやりたいと考える。
高木園長と話をする子ども達。
自分達の部屋では各自が思い思いの時間を過ごす。
広い廊下も時として格好の遊び場になる。
食事後「写真を撮ります。」と言ったら、手前の男の子はVサインでポーズをとってくれた。
園内にある地域の子ども達との交流の場として作られた公園。
ねむの木学園
社会福祉法人肢体不自由児(者)寮護施設
学校法人ねむの木養護学校(小・中・高校)
浜岡町池新田7563-8 
時間の許す限り子ども達と一緒に過ごす。

ねむの木学園は正式名称を、社会福祉法人肢体不自由児(者)寮護施設(者は18才以上)と学校法人ねむの木養護学校と呼び、寮護施設と養護学校を兼ね備えている。

ねむの木には、両親のいない子、片親の子、共稼ぎの家庭であるために育てることが出来ない子で、肢体に不自由をもち、その上知恵の遅れをもつという、三重の障害をもつ子ども達が入園してくる。その中には自閉症の子もいれば、言語障害の子もいる。

肢体、知恵、家庭の三つのハンディキャップを背負っているねむの木の子ども達。静岡県内、名古屋、神奈川、千葉、東京から来ているが、この春休みに家へ帰れたのは15人で、残りの36人は帰る家を持たない子ども達である。しかし、学園内は明るく、子ども達の笑顔が充満している。

定員は75名ということであるが、ギリギリにすると心が行き届かなくなるということで、現在は51名という事である。職員は宮城まり子園長をはじめとして常勤非常勤合わせて50名前後の指導員と教師でまかなっている。

「近頃言われる言葉で、園生という言葉があるけど、そういう言い方はいやですね。一種独特な言い方をされるのは好きじゃないです。収容とか、施設とか、園生とか、そういった言葉を使うと、親はコンプレックスというか、変な意識を持ってしまう。『施設』という哀れな語感を持つ日本語によって、敬遠する親がでる。だから、伸びる可能性のある子でも、そのために不幸になるのね。このことはマスコミの責任だと思います。私たちは、園生とか施設といった言葉は使ったことがありません。私は自分の子どもと思って、育てていますから…。」と宮城園長。

宮城園長のおっしゃる通り、子ども達は「おかあさん、おかあさん」と言って園長に甘える。忙しい時間を縫って帰ってくる園長のそばには、いつも子ども達がまとわりついていて離れようとしない。そして、園長ご自身も、時間の許す限り子ども達と一緒に学び、遊び、寝起きを共にする。


集中感覚教育で、人間の当然あるべき姿を追求しています。


「人間の当然あるべき姿を追求する」というねむの木では、特色ある集中感覚教育というのを行っている。美術、詩、織物で感性を伸ばし、生活に於いても楽しさ、美しいものを美しいと感じる心、いろいろな物を愛して、精神的な自立ができるようにと配慮されている。

そして、教課、生課とがあり、ここでは生課の方が大事なんだとも言う。生活の中から教育が生まれ、そのまとめが教課であるからだ。

野にも山にも春が訪れる。学園にも春がほしいからと、たんぽぽとか菜の花、れんげ草などの自然の物も含めて1600本程の花を植えた。学園内は、緑と色とりどりの花や木が、隙間のないくらい一面に植えられている。すべて指導員と子ども達の手で植えられたものばかりである。

そして、障子、壁面、テーブルと至る所に、自由にのびのびとした絵が描かれている。壁面の大変なところも園長を始めとする指導員たちの手で塗り替えられていく。「子ども達のためにきれいにしておきたいから…。」と言う。

砂浜に通じる学園前の道路や周りに、花を植えたり、ゴミを拾ったり…。「ねむの木に貸して欲しいと交渉しているんだけど、なかなか貸してもらえない。一部借りている所もありますが。努力してこの道をきれいにしていったら認めてくれるんじゃないかと思ってます。開拓者はしんどいです。」

こういったねむの木の教育方針によって、子ども達は自由にのびのびと感性を養いながら、素直な優しい子に育っている。取材の途中で入ってきた男の子は、ビンに入れたれんげの花を持ってきて「摘んできたんじゃないよ、切れてたから可哀想だから持ってきた…。」と言って、その花を差し出した。


お役所仕事になってしまったら、可哀想なのは子ども達でしょ。


宮城園長は、「障子や壁に絵を描くにしても、国や県でやっていれば、いちいちお伺いを立てなきゃいけないこともあるし、8時に寝るのを9時にするのにもお伺いを立てなきゃいけないでしょ。私立だったら自由になるのよ。」

「国とか何とかがやるべきだと、すぐ日本人は言ってしまうんだけど、お役所仕事になったら子ども達が一番可哀想だと思うんです。だけど、東遠学園のようにいろんな人達の要望で出来たのも必要だし、私のように私の意見と同じくしてくれる人達と一緒にやっているのもいいんじゃないかと思うし、また、県がやるのもいいし、みんなそれぞれに特徴があってもいいんじゃないかしら。」と語った。


福祉は文化です。


そして、「去年のテーマのこと(国際障害者年)は絶対に一年で終わっちゃいけない事です。お祭りやった後っていうのはシーンとするものでしょ。だから私は嫌いよ、そういうお祭りは…。何とか年なんて嫌いです。まあ、やることによって少しでも知らない人に行き渡るという意味では、やらないよりやった方がいいと思うけど…。」

「でも、日本だけでしょ、こんなに大騒ぎしたの。だから、ねむの木では、出来るだけ去年は、何もやらないように心がけました。でも今年は、いろんな事をやろうと計画していますけど。(笑)私自身、世界各国を回ったわけじゃないけど、何カ国か回って見てきて、こんなに大騒ぎしているのは日本ぐらいのものでした。ということは、それだけ日本は福祉が遅れているのよ。私は福祉という言葉の意味がよくわかりません。だけど、福祉というのはなんだろうということを考えると、人間が人間としてちゃんとした自分の能力を発揮できて、幸福にきちんと暮らせること、それが文化なのね。それと全く同じ事が福祉であり、教育であると思うの。だから、福祉は文化であると考えています。」とも言う。


指導員の人達は専門職。皆自負をもって一生懸命やっています。


さらに、「不満?不満なんていっぱいありますよ。施設の子だから『いい服着てるわねえ』とか『施設の子なのに明るいわねえ』って言うのは間違いじゃないかしら。施設というのは、本来、建物のことじゃないの?音楽会館だって施設なんだし。それなのに日本人の言う施設って、収容施設ってことばを使うけど、収容っていうのは、なにか拾い上げるってことばにも、語感から感じますものねえ…。」

「私はそんな気持ち、ひとつも持っていません。だってひとりの人間じゃない。何かの事情で、お母さんお父さんが面倒見られなくなったから預かってるんでしょ。必死になって教育してるでしょ。だから私たちは素敵な仕事しています。誇りを持ってね…。」

「どこも同じだけど、ねむの木も貧乏です。だから私たちは白い服着ています。汚れたら目立つように、目立ったら洗うから…。だから貧乏でないようにやってきています。それはお母さんの家庭の遣り繰りじゃないかしら。だから、皆さんの持っている施設という言葉に対する社会的レベルを上げてもらいたいですね。」

「指導員達も、この子が哀れだから身を尽くそうとして来たのではありません。こんな素敵な仕事があった、これこそ自分の仕事だと思って来ている人達ばかりです。可哀想な子ども達のために尽くしましょう、奉仕しましょうていう気持ちで働いているのではないと信じています。そんな気持ちでは長く続きません。」

「指導員の人達が自負をもって一生懸命やっていれば世の中も変わると思います。教師が尊敬されて施設の職員がなぜ尊敬されないの?私は園長としてものすごく不快です。こういう人達のレベルアップをみんなでもっと認めなきゃいけない。そっちの方が先です。ぜひ。専門職として考えてほしいですね。」と語る。

高原チーフ指導員は、次のように話してくれた。

「こういう仕事は本当に大変です。でも、暗いイメージを落ち続ける必要はないんじゃないかと思います。周囲の人は子ども達を暗いイメージで捉えていると思うんですね。だけども実際には、ねむの木学園の子ども達は、周囲からいわれている暗いイメージの子ども達でありながら、才能としては、健康と言われている子ども達以上のものが引き出されています。そのことは、社会的にも評価されつつあります。そういった時にねむの木だけでなく、すべての所がもう少し自負を持って『教育をしている所なんだ』という誇りを持てば変わってくるんじゃないかと思います。仕事の内容としては教師と同じものだと思います。」


子ども達は国際外交をしています。でも新聞はそう書かなかった。


以前、外国から有名なピアニストがねむの木を訪れた。

「その時、報道関係者は一斉に『彼が子ども達に演奏の贈り物をした』と書きたてた。だけど私たちがどれほどの迎え方をしたということは一言も載せてくれなかった。彼は子ども達の絵を見ることで自分の肥やしになるから来たいの。こちらから栄養をもらって帰るわけ…。何かこう、交流みたいなものがあっても、いつも慰問みたいな形でとられてしまう。ねむの木の子ども達は国際外交してるの。それなのに慰問みたいに書かれるのね。子ども達に対する差別みたいなものを、新聞が先頭立って差別してるんだから、一般の人達が差別するのも無理ないかもしれませんが、私たちにとっては本当に悔しいですね。」と語った園長の言葉が私たちの胸に鋭く刺さった。

途中、3、4才の男の子が「おかあたん、クツかって!やぶれちゃったぁ」と宮城園長に甘えていった。身体が不自由のため足を引きずって歩く子ども達の靴はどうしても一カ所だけに力がかかり一ヶ月もしないうちに破れてしまう。「かなえちゃんのお靴はどう?ちょっと持ってきてごらん」と言われて持ってきた靴を見ると、やはり破れている。そのような靴代も毎月では大変である。すべてが母親代わりの園長の肩にかかってくる。
「おかあさん!」と言いながら、子ども達は宮城園長を囲んで嬉しさを表現していた。
子どもが自分の書いたものを見せながら話を始めるとみんなが聞き入っていた。
取材の合間は、他の子の靴を心配する子、タウン誌の表紙のイラストに興味を持つ子、何かの資料をずっと見ている子…それぞれの時間が流れていく。
園内の道には子ども達と職員により草花が植えられ、日差しよけの蔓棚もあった。
子ども達の宿泊施設は、前の庭もきれいに整えられていてとても明るい雰囲気が漂う。
庭に置かれた電車「ねむの木号」。
草笛共同作業所・春日寮
社会福祉法人草笛の会 
精神薄弱者(通所)授産施設
小笠町上平川7-1 
この4月に開設されたばかりの春日寮。

社会福祉法人草笛の会では、障害者の自立を目的として、昭和51年(1976年)2月に「草笛共同作業所」として事業を開始。そして、今年の4月には精神薄弱者更正施設「春日寮」も出来、定員40名のうち34名の入居者が加わり、一段と賑やかになった。

春日寮では、集団生活や自立をするために必要な教育をしながら、社会に送り出していくシステムになっている。年齢も下が15才から、上は56才と様々であるが、毎日の寝食を共にし、働きながら仲間との人間関係を作りだしながら、お互いの成長を目指している。ここには年功序列もなければ、過当競争もない。


働くことを通じてお互いの成長をめざしたい。


草笛共同作業所では、朝の9時30分から作業が開始され、途中に昼食、休憩、おやつの時間があり、午後3時15分で一日の労働が終了する。仕事の内容は、指導員と共に自主製品のせんたくばさみ、ふとんばさみ、ハンガー、お茶の袋詰め、手芸品制作などの他に、印刷やオートバイ部品の加工などの仕事を行っている。売上金は作業所で働く仲間達の給料になるため、みんな意欲的に働いている。

草笛共同作業所内には「若草の会」という自治会制度があって、仲間の中から、会長や副会長の役員を選挙方式で決めていく。この自治会役員や指導員の人達の「一生懸命働けば、給料が多くなるんだよ」ということを知らせて協力を求める活動のおかげで、どこかへ販売に行っても「買って下さい、買って下さい!」と声を大にして呼びかける程の意欲を見せている。しかし、春日寮へ入った34名の人達は、まだ日も浅く新しい生活に慣れるだけで精一杯の状態であるので、売上金は給料の代わりに厚生費とか買い物教室に当てられている。

草笛の仲間達にとって、年2回の社会見学は楽しみのひとつである。昨年の春は日帰りで長島温泉に行き、石川さゆりショーを見てきた。秋には東尋坊と金沢の兼六園に一泊二日の旅行に行った。こうした社会見学の他に、ひな祭りや節分、七夕、キャンプやクリスマス会、スキー教室と、楽しみな年間行事がいっぱいある。


私たちの作った製品を皆さん買って下さい。


草笛にとって一番の悩みは商品の販路である。作られた商品は、企業の労働組合や婦人会の人達の協力で斡旋してもらいながら売りさばかれていくが、現実はなかなか厳しいようである。食料品などの日常的に消費されるものと違って、一度買えば長く持つものだし、婦人会の中にもいろいろあって「販売のために組織されているのではないから…」と拒否されたり「忙しいから」と真剣に取り組んでもらえなかったりで、販路には苦労するという。

せっかくみんなが意欲的に働いても、商品が売れなければ何にもならない。こんなところにも周囲の人達の理解が欠けているのかもしれない。


社会復帰と就職。


「一般の人達の理解ももちろん必要です。しかし、父兄に対しても『大きなハンディを持っている』などと考えずに、胸を張っていくべきだと思いますね。家族の理解がなかったら一般の人達だって付いてきませんよ。『施設で預かってもらえばいい。家に帰ってこられるとどうも…』という考えでは困る。家族の思いやりと暖かい交流が必要なんです。世間体のことばかり考える家庭がありますが、家族の者がこんな考えでは、いつの時代が来ても実りはありません。」と草笛の赤堀定夫所長は語る。

一般企業への就職は難しいといわれているが、卒業生の中から浜松のある養豚場へ2名が就職して行った。ここでは他に4名の身障者がいて、豚の飼育をしたり豚舎の掃除をしたりで忙しい毎日をすごしている。養豚場の主人からは、真面目に一生懸命働いてくれると感謝されているということである。

「仕事の内容は限られてはくるが仕事によっては健常者よりも向いている仕事があるはず…。」と赤堀所長。草笛では、完全に社会復帰出来るようにならなければ社会に送り出さないシステムになっている。現在では、3、4名の人達が社会復帰できる可能性を持っているが人と人とのお付き合いというか、人間関係をもう少し養成してから送り出したいと言っている。


国際障害者年が終わったけど…。


「国際障害者年も、完全参加と平等というテーマでやって、ある程度のPRにはなったが、一年だけのお祭り騒ぎで終わってしまいそうだ。障害者と健常者が解け合うまでは、前途多難であるような気がします。言葉ばっかりいいこと言って飾ってみても。結局は表面的なものだけで終わってしまったようだ。」と赤堀所長は語る。

昨年のクリスマスパーティには、地域の子供会に呼びかけたにも関わらず、ほとんど参加が得られなかったそうだ。こういった行事に関わらず、もっと親達が積極的に参加させるべきではないだろうか。普段の自然な交流の中から思いやりのある優しい子ども達が育ってくれることを望みたい。塾やなんとか教室からは、人間への思いやりや優しさは生まれてこないと思うのだが…。
自家製品のふとんばさみを皆で協力しながら作り上げて行く。作業分担もスムーズだ。
他にもハンガーや手芸品などや部品の加工組み立てなども行う。
印刷も行っていて、印刷用の版をひとつひとつ小さな活字を拾いながら組んでいく。
せんたくばさみ20個入り ¥120
ふとんばさみ2個入り ¥110
ハンガー1本 ¥120
掛川市つつじが丘愛育園
心身障害児通園センター
掛川市板沢2051(掛川市総合福祉センター内) 
心身障害児が通う、つつじが丘愛育園。2才から13才の12名の子ども達は、毎日保母さんが運転するマイクロバスに乗り込んで通園してくる。愛育園の裏からは、掛川市内が一望できる素晴らしい景色が広がる。その隣は掛川市の総合福祉センターである。しかし、ここのつつじが丘愛育園の建物自体は小さく、子ども達の部屋は機能回復訓練室が一部屋だけというお粗末さ。ここで食事も遊びも訓練もすべておこなわれるという。定員が20名だから、満杯になったら本当に訓練するために動き回れるのか疑問にさえ感じる。重度の人達のためには、在宅制度というのがあって、2名の保母さんが家庭を訪問しながら指導や訓練にあたっている。


本当の意味の福祉とは。


「今の福祉は『与える福祉』で、本当の意味での福祉とは思えません。その子はもちろん家族にも恩典があって、税金の免除とか障害者年金とか、車税免除とかあって、それはそれでいいんだけど、家族の人がそれに甘んじて『もらって当たり前、与えられて当たり前、だからもっと与えてよ』っていう考え方の人が少なからずいると思います。」

「もちろん全部の人ではありませんよ。だけど私たちはその子に歩ける訓練が必要なら、歩ける訓練のための援助をしてあげたい。お金や物で与えてそれで良しとしている福祉は、本当の意味での福祉ではありません。確かに障害者を持つ家族は大変だし、悩みは計り知れないものが有ると思うけど、与えてもらって当然ではなく、その子のための福祉でなければいけないと思います。だから、家族の姿勢も大事だと思いますね。」ある保母さんはこんな風に不満を話してくれた。


私たちは一生懸命やってますが、行政サイドの設備は不満ばかり…


「ここの施設は行政サイドで、ただ作ればいいという感じで作っただけだから、障害者のための建物じゃないんです。トイレも子どものサイズじゃなかったり、手摺りも太くて大人でもつかめないようなのが付けてあるんです。『作ってやったぞ、作ればいいや』という市の姿勢がよく出ていますね。」

「対外的には、掛川は総合福祉センターもあるし、障害児のための通園施設もあるし、今度ここの下方に小規模授産施設(草笛と同じ形態のもの)も出来ると言いたいんだろうけど、授産施設なんて本当に小さいんです。どこで仕事が出来るのかって言いたい。敷地見ればわかるけど…。それでも作ればいいって感じで作っている。あれを見れば市の姿勢がよくわかります。」

「掛川はこういう事に力の入れ方が少ないから福祉が遅れているなあって思いますね。生涯学習センターには随分お金掛けているようだけど…。だいたい市長が、ここのこういう施設があることを知らなかったし、どういう施設かも知らなかったんで、私たちみんな呆れています。袋井や菊川はもっと進んでいるし、磐田はそれ以上に力を入れています。」と保母さん達。

しかし、市長のみならず一般市民の関心度も低い。総合福祉センターは知っていても、障害者のための施設を知っている人は少ないのでは。もっともっと福祉に対してレベルアップするべきだ。


いつも去年のように積極的にやってくれればいいのに。


「去年は障害者年ということがあって、いろいろやってもらいましたよ。普段ですと予算がないからと削られちゃう。私たちは子ども達のことを思うと少しでもいろんなことをしてあげたいのに…。だけど、去年はやりやすかったですね。行政にしてみれば、あれもやったこれもやったって宣伝したいわけでしょ。だから私たちが計画した事に便乗していろいろやってくれたけど、ただお金出してくれただけって気もしますけど…。」

「でも、居尻のキャンプ場にも行かせてもらえたし。芋掘りは毎年細々とやってたけど、去年はNHKが取材に来てテレビに流したり、やるぞやるぞってうんと宣伝したみたい。あっちこっちから来て盛大にやってましたよ。(全員笑う)本当にお祭り騒ぎ…。いつもあのくらい積極的にやってくれればいいけど、どうかしらね。(笑)今年は新年度が始まったばかりで、これからどうなるかわからないけど、これからもずっと続かなければ意味ありません。」全員口を揃えて「続くことを期待しています。」


通園で家庭の味は育てられるけど、家に帰った時の問題点も多い。


つつじが丘愛育園は生活の自立に必要な知識や技能を教育している。自分で食事のできない子にはフォーク(さす)からスプーン(すくう)に、そして出来れば箸(はさむ)が使えるように訓練される。機能回復訓練には穴の開いたものに糸を通したり、穴の中に物を差し込んでいったりして、指先の訓練をさせている。歩ける子はマラソン(ランニング)をしたり、山に登ったりする。そして外食に出たり、街に出かけて買い物訓練などもして、日常生活の自立を図っている。

ここの保母さん達も通園であるため、子ども達が家庭に帰ったとき、親の過保護と「面倒くさいから」と、親が子どもに全部手を貸してしまうことには問題があると指摘する。

「お母さん方に、こういう風に育てて下さいとお願いしても、それを素直に受け取ってもらえない。それが子ども達に反映しちゃって、子どもがやろうという気持ちをみんな摘み取られてしまう。本来ならもっと伸びる子でもダメになってしまうんです。」

「たとえば、ここでは食事をするにも自分で食べられるように訓練しているのに、家へ帰ればお母さんが忙しいということもあるのかもしれませんが、面倒くさいからと、お母さんが食べさせてしまう。子ども達の将来のために、ぜひ協力して頂きたいですね。そして、早期発見も大切なことです。少しおかしいなと思っても、自分の子に限ってと思う親が多くて、どうしても発見が遅れてしまうんです。おかしいと思ったら直ぐに相談に来て頂きたいですね。その子の将来のために…。」
庭には遊具が置かれ一面に芝が張られていた。
訓練や教育などが行われる機能回復訓練室は食堂や遊ぶ室も兼ねている。
窓側と部屋の奥にはフローリングの上にそのまま寝そべっていた子が3人いた。
取材を終えて

東遠学園にしろ、つくしが丘愛育園にしろ、確かに自然環境はいいかもしれないけれど、なぜ山のてっぺんなのか。東遠学園などは全く世間から疎外されたような形でひっそりと建っている。周辺の子ども達との交流を求めて遊び場まで作っても、山の上では子ども達も気軽には遊びに行かないだろう。なぜ普通の学校と同じ様に街の中ではいけないのか。同じ人間同士である。今の日本の歯車に合わないから特別視するという考えがある限りこの差別はなくならない。