さよなら1980

Vol.9 1980年12月号掲載
近年、忙しく移り変わってきた掛川。
80年代に入り最初の一年が過ぎ去ろうとしている。
一つの分岐点に立たされた今、街づくり、人間関係、地域の多くの問題をかかえながら動きだしている。
その中で今年一年をふりかえって、その印象を一部の人達に語ってもらった。

文責:やなせかずこ
  
竹内さん

竹内さんは静岡新聞掛川支局の新聞記者です。記者になって10年、掛川に来てから2年半になります。掛川周辺で起きた事件や催事を的確により早く、情報をみなさんに伝えるため、夜中だろうが早朝だろうが事件や催し物があれば、すっ飛んで行かなければならない大変な仕事をされています。日頃取材している立場から現状の掛川をのぞいてもらいました。(掛川市役所記者クラブにて、同席者は読売新聞記者。以下敬称略、読売新聞記者は読売と表現。)
竹内:今年一年といってもないんだよな。むずかしいなあ…。まあ、一口に掛川の街を表すと分裂症とでも言うのかなあ。

読売:分裂症か、おもしろいなぁ、それ聞かせてよ。

竹内:分裂症と言うか、ひとつの転換期で、一方は北極星を見つめてさ、一方ではものすごく胆略的に近視眼的な見方しかできないというか…。

78%:表面的にうんと進んで居るけど、内容が伴っていかないということ?

竹内:進んでいるというか、田舎のよさがなくなりつつあるんじゃないかな?農村社会の悪い面が出てきている。それと都市化がスムーズに入れ替わっていかないというか、農村社会があんまりいい方向にでてこないみたいなんだね。典型的な例が駅前通りと駅前広場の問題ね。あそこまできていて、もう見えてきたんだから、もう少しみんなが何か言ってもいいと思うんだけど、誰も何も言わないんだね。で、一方では北極星を見ているわけでしょ。もう少しもんながワアワア言ってもいいんじゃないかと思うわけ。

78%:そうですね。事実そういった意見って何も出てきていないですね。

竹内:何も意見がないっていうのはおかしいと思うですよね。完全にもう見えているんだからね。それで「どうすべいか」っていう意見がなにも出てこないということは、これからもごくありきたりの街になって行くんじゃないかと思うね、今の現状から判断すると…。それでもって一方ではなんか言っているわけでしょ。ちぐはぐだね、非常に…。掛川の悲劇というのは、10年位前は破産した街だったわけですよね。そのツケ届けが今きていると思う。そこからちぐはぐさが出ているんじゃないかと思うね。

読売:破産したってどういうこと?

竹内:借金でそれこそ、市役所の債権係がさ「今日のお金がない、今日支払う金がない」って金融機関を一生懸命走り回っていた時代があるんだよ。その日暮らしの自転車操業を続けていた時代がかなりあったね。だから今こうきちっとしたものがないでしょ、掛川は。公共施設とかいろんなものが。そのツケ届けが今きているわけですよね。公園だとか、市民会館だとか、病院だとか、こんど清掃工場も作くらにゃいかんということで、今一気に吹き出ているわけですよね。やっと今、財政に少しづつ余裕が出てきてはいるけど、財政能力から行けば、今、掛川市政の中で一年の内に小学校、中学校が二校も三校も同時にやるなんて破天荒な事ですよね。そういう意味では良くやっているわけです。

だけど今、そういう問題が集中して起きているわけですから、そうするとかなりみんながワアワア言って考えないとメッタクタになるわけ。で、市役所もこの建物を建て替えなきゃいけない時期でしょ?地震が来てつぶれたりなんかしたら大変な事ですよ。

そういう問題がいっぱい出てきているでしょ。そういうところでひとり生涯学習と叫んだところでしかたないと思うんだけど。逆に街づくりと言っているんだろうけど、即、街づくりになってないわけですよ。駅前通りをどう使うかと言ったようなことをしゃべり合うチャンスがないというか、しゃべろうとしないというか…。

40億円というお金をつぎ込んで事業をやっているわけでしょ。それは自分達の税金でやっているわけだから、40億かかれば40億円分楽しまなかったら意味がないと思うんだけど。たとえば、ここに木を植えようかとか、ここにベンチを置こうとか、そういう事をペチャクチャ言って楽しむ、これは一種のレクレーションになると思うんです。非常に楽しいわけですよ。それを実際に実行する人達は苦しいかもしれないけど、計画を立てると言うことは一種の遊びの部分があって楽しんでもいいと思うんだけど。少なくとも何割かの一部の市民が、そうやって雰囲気を楽しんで出てきた街というのが、これからほしいですね。それともう一つは、田舎なんだから、というかローカルなんだからローカル性を持って自分達で考えなければいけないと思いますね。どういう街にしろ個性のある街というのはローカル色が強いと思います。とにかく掛川の街もここ一、二年が勝負じゃないのかな?今が一番大切な時期だと思いますね。
掛川城と掛川市役所
掛川駅前通り
掛川駅前通り(東からの遠望)
掛川駅前にあるお店などの案内看板(上が新幹線と東海道線、二俣線。中央の西に流れる川は逆川、下の道路が国道一号線)
野ヶ山さん

野ヶ山さんは青少年に少林寺拳法を指導されている方です。健全な青少年の育成のために拳法を通じて日夜頑張っているそうです。道場は掛川市初馬にある少林寺拳法掛川道院。入会されたい方は(4)2966後藤様まで。練習日は大人が毎週火曜・水曜・金曜。子どもが毎週火曜・金曜。なお文化センターで毎週月曜・木曜にお子さんを対象に練習を行っています。
78%:1980年を振り返って何か一言お願いします。

野ヶ山:突然言われても困るなあ、そういうことは事前に言ってくれなきゃ。なにを言ってもいいのかなあ?

78%:何でも結構です。

野ヶ山:言ったこと全部書くのか?

78%:当然です。

野ヶ山:(やや緊張した面持ちで)え〜少林寺拳法は今年一年間で、会員が大人が10人くらい、子どもが20人くらい増えたけれど、掛川をよくするために少林寺拳法を習う人を一人でも多く増やして、友誼な青少年を養っていきたいと考えています。ユウギってわかる??(友誼とは友人間のよしみとか友情という意味です。)少林寺拳法に入って身体と心を鍛えようと、誘い風に書いといてくりょ。1981年頑張ろう!
掛川市市街から北に向かうと農村地区が広がる写真は細谷の田園風景
お客さん、や〜い

4〜5年前からくらべるとお客(乗客)の数がぐっと減ってきた二俣線。駅員の方に取材の申し込みに行くと「時間外ならいつでもいいけど、今は勤務中なので…。」と断られてしまった。「そこを何とか」と頼み込み、ようやくOKのサイン。
「もうじき電車が入るので少し待っていて下さい。」と言われ、駅の構内を見渡すと、時間的にも一番利用客の少ない時間のせいか、乗客はたったの二人。一分もっすると電車は駅のホームに到着。駅員さんは姿勢を正し顔もぐっとひきしまっている。
ひととおりの職務が終わった後で「毎日、平々凡々だね。そう世間様にこういうことがあったって言うようなことが、わりあいないですね。」と一言。
二俣線の廃止問題に触れると「わしとしては、このままずっと皆さんに利用してもらえればありがたいと思っているが、お国が決める事だで、わしらがどうのこうの言ってもどうにもならんで…」ふと、見せた寂しげな顔…。ローカル線は地元の利用客の人が、手作りの座布団をもってきてくれたり、老人会の人が駅の周りの草をとってくれたり、そういった暖かさをいつも感じさせてくれる。「ローカル線を廃止させないためにも、来年は今年以上に利用客が増えてほしい」と、ふともらした言葉が印象的だった。
読んでますか?掛川広報

毎日、東に西に飛び回っている市役所の小沢さんは毎月二回発行されている掛川広報の編集者で、いつも忙しいせいか普段の会話まで早口なのです。78%にも情報を提供してもらったり、教えてもらったりでいつもお世話になっています。月に二回の編集は目の回るような忙しさで、あっという間に一日が過ぎてしまうそうです。広報の編集だけではないので、端で見ていても忙しそう。こんな面でも78%と競り合っています。
78%:1980年を振り返って何か一言お願いします。

小沢:う〜ん。「1980年を振り返って」と突然言われても困るなああ。あんた達もそうだと思うけど、こういう仕事をしていると、編集に追われていて、じっくり反省したり、こういうことがしたい、ああいうことがしたいと考えている暇がないんだね。これじゃいけないと思うんだけど…。まっ、強いて言えば、今年はどういうわけか講習会やバレーボール等のスポーツクラブの参加を募ると定員オーバーになるほど申し込みが殺到した。特に英会話なんかの参加者が多くて、うれしい悲鳴を上げているんだけどね。理由としてはユージン市との姉妹都市提携を結んだことによるんじゃないかと思うね。ユージンの人達と話をしたいんだけど話せない、いちいち通訳を通して話すよりも、片言でもいいから直接話をしてみたいという気持ちが、多かれ少なかれあると思うんだけど。これは非常にいいことだと思うね。

78%:広報についてはどうですか。

小沢:今年も含めて、今までずっとそうだったんだけど、今の広報はただ情報を流したり、お知らせをするだけにとどまっているんだけど、これは本来の姿ではないと思うな。やはり、広報というものは、市民がみんなで作っていくべきものであるし、市民の声をもっともっと取り入れていかなければいけないんじゃないかと考えるんだけど、予算が許せばもっと紙面を増やして、そういうページを設けていきたいと思っているけど、どうかな。
ユージンの人達との交流会
郊外に山を削った住宅団地が開発されている。これからもこのような住宅団地は増えていくだろう。
郷土新聞の戸塚秀雄さん

掛川・小笠地区で新聞活動を続けながら、掛川市会議員として活躍されている、郷土新聞社の戸塚秀雄さんは、この一年をこう語る。
78%:1980年を振り返って市政や新聞の発行に関して、強く感じたこととか印象など、際だった話題は何かありますか。

戸塚:最近現れた状況で「市役所の出納係長の3500万円の使い込みがあった。公金の横領なんてとんでもない事なのだが、横領した人間も悪いが、それを5年間も見つけ出せなかったという市政の仕組み方だって問題がある。」と言うような内容を度々報道したのだけれど、そしたらそれに対する一部の読者の感想として「そのような暗い話ばかり書かないで、もっと明るい話題を扱ったらどうだ。例えば、無事故無違反の運転者の表彰などを大々的に扱ったり…。」というような声もあった。でもこの事は、全然別な問題だと思う。

78%:そうですね、市民の一人でも多くに問題を知ってもらい、地域をよくしていこうという報道なのですから、その問題に関する意見が出て来るのが当然だと思いますけど…。

戸塚:問題を徹底的に住民の為に、良くしていこうというような事に、熱意を持っている事に対する理解のうすさという感じも見受けられるんだな。横領があったという事は、住民の為に市政をもっと積極的にやっていこうと意欲的な姿勢が薄いから、このような事件が発生するのだから、起こってしまった事はしようがないじゃないかという見方ではなくて、その事実をきわめて明らかにしていくことによって、この事件と類似した事は絶対二度と起こさせない事はもとより、その反省から市政全体を良くしていって、市民がもっと市に活力を入れる意見を出し、それによって魅力有る市政をつくると言うことが大事なことであると思う。そのことを願って新聞を書くのだけれども、反論もあるんですよ。(笑)

78%:郷土新聞とタウン誌78%では読者層が違うと思いますが、今の若い人達を見ていると、何か問題があっても、表面的に見ているという事が多いのじゃないかと思うんです。自分が住んでいる所なら、自分の意見を言うのが当然という感覚すら薄れているように感じるのですが、今の若者を見てどう感じますか。

戸塚:過去の歴史を知らなさすぎるのかわからないが、例えば、労働条件にしても、労働時間の問題やら賃金、休日など以前はもっとひどい状態だったけど、その中で労働者が協力して良くしていこうと努力したものが現在にあって、その結果の中に今の若者が、スッと入ってきちゃっている。過去の状態や苦しみっていうのを知らないから、その上に平気であぐらをかいて、のっかっちゃているという感じがするな。

78%:それが全部だとは思わないけど、中には一生懸命努力している人も見かけますね。やっている人はすごく行動しているけど、一般的には毎日のんびり生活して、趣味を充実させるぐらいで、現在の社会を良くしていこうなんて考えはないみたいですね。

戸塚:掛川の若い人達はおとなしい面もあるけれど、理解もし、おとなしく支えるという面もあるね。

78%:話題を戻して、この一年を振り返ってということで何かありますか?

戸塚:そうだね。80年代の幕開けということで華々しく言われたけど、それほどの積み重ねが無いように思う。例えば省エネと叫ばれたけど、石油ひとつにしたって、住民が振り回されるだけで、大手のメーカーだけが利益を上げて太ったという事実があるし、政府でさえ、省エネルックなどという、子供じみた発想をしてみたり、もっと行政の仕組みそのものにメスを入れていくという改革が必要だったんじゃないかと思う。個人にしても、すべて節約ではなく、活用できるものは徹底的に活用すべきで、省力化できなくとも、価値のあるものは無駄ということにはならないと思う。
昔、ケチケチ運動みたいなことがあって、食生活までケチって、家を建てたら建前の日に死んでしまったとか、いろいろな話があるけど、そういう節約ではなく、省力化できる範囲でやればいいのに、衣食住が正常に営まれなくなるまでやるから、そんなようになるので、今日の石油の問題もその変形のように思う。

78%:最後に掛川の80年として、駅前の都市計画整備事業について何か一言。

戸塚:いろいろなことが言われているけど、10年位前にも話題に上ったね。その間、高度成長になり、低低成長、安定成長になった今日、市民も大議論が必要になってきたと思う。今では「一方通行をやめて相互通行にしろ」という声や「車を通さない道路にすべきで、そうでなければ本当の掛川の顔ではない」という声も聞かれる。以前7〜8年前には「公園として整備し、車を一切止めてしまい、商店のためには裏側に専用道路を作る」という案や「一般的な通路のように、歩道と車道と中央に緑地を作り防火帯を兼ねたものにする」という案と「徹底的に4車線にし、通信交通路にしたらどうか」という案もあって一部には話題になったこともあった。ここで言えることは、かなり先を見て変化を洞察し対処していなければならないし、市民にも大議論が必要だということじゃないかな。このことは、郷土新聞紙上で話題にしていきたいとも思っている。
掛川駅と駅前広場
連雀・仁藤の商店街用駐車場
掛川駅から少し東にある肴町
掛川駅通りには歩道がまだ無い
  今年をふりかえってなんでもひとこと! 
マイクを向けられびっくりした人が大半。いつあなたにマイクが向けられるかわかりませんよ。        
◆通勤途中の青年:自分達の手で、地域を作っていきたい。それには仲間が必要なんだけど、今年はその第一ステップっていうところかな。仲間も増えたし、まあ来年どのように発展させるか今年の最終課題です。

◆来年進学予定の高校生:テスト・テスト・テスト。ともかく早くこの地獄から脱出したい。

◆駅前交番の警察官:相変わらず掛川駅の付近は、自転車とかオートバイの盗難が多いね。カギをかけ忘れる人にも責任があるので、必ずカギをかけてほしいな。それと交通事故、これも運転する人に一言。もっと老人とか子どもとか交通弱者に気をつかってほしい。私個人からのお願いです。

◆掛工2年・山田耕:今年は映画をいろいろ観た。影武者やスターウォーズ、スーパーマンとか、浜松で予告編特集の上映会に行ったり、掛川でも自主上映された「祭りの準備」とか、ともかく、20本以上は観たかな。来年はそれ以上に観たいのだ!

◆大東町大坂・富田修:80年ねぇ、何も無かったね。あっ!そうそう。お祭りがおもしろかったな。来年は彼女を見つけたいな。今年できなかったのが残念だった。もうそれしかない。

◆岩井:80年を振り返ってみると、ろくな事がなかったよ。もうどうしょうもないね、本当!

◆柴田良行:今年は最悪!天中殺が過ぎたと思ったけど、過ぎたら最悪になった。結婚したのがいけなかったのかなぁ。何か幸福をわけてくださいよ。

◆掛工3年・鈴木:別に無いなぁ。文化祭おもしろくなかったし。先のことも考えてないし、将来の目標なんてものもないし、計画を立てても、実行したこともないし、その日が楽しければそれでいいさ。ともかく早く就職したい。

◆上内田和田・石川:掛川もだんだん都会みたいになってきて、いい感じだね。来年は卒業。もう就職も決まって、いま彼女と2人で散歩するのが最高だね。

◆15才の女子高校生6人組:「そんなこと聞かれてもこまっちゃうなぁ。」(何か不満は?)「不満?いっぱいあるよ」(学校のこと?)「学校のこともいっぱいあるけど。」(先生のこと?)「あんなの相手にしたってどうしょうもないよ。」(今生活していて楽しい?)「なにも楽しかない。」「本当、いいことないよね。」「全然おもしろくない。」(それだったら何か自分でいいことや面白いことを見つける努力している?)「わかんない。そういうふうに毎日過ごしていないもん。」(今が楽しければいいの?)「そうじゃなくて、なんて言っていいのかわかんない。」(これから何かしたいことある?)「したいことはあるけど、障害がいっぱいあってね〜」「規則が厳しすぎる。生徒を信用しちゃいんし、すぐに停学処分するんだから、それで事が済むと思っている先生なんかに生徒がついていくわけないよ!」(掛川について何かある?)「ユニーとジャスコしかないから面白くない。もっと大きなデパートがあれば、なんとかいいんだけどね。」

◆掛川に遊びに来た30才くらいの菊川に住んでいる男性:もう最悪の年、全く私的なことだけど、だめな一年だった。仕事柄海外に良く行くんだけど、もう、スリランカ・インドネシア・シンガポール・バンコク・ソ連・イギリス・フランス・台湾・マレーシアなど、旅は好きじゃないけど、仕事だからね。そんな中で掛川を見ると「まち」だなと思うね。海外っていっても、いなか街ばっかりだから。もう仕事も飽きたから静かに住みたいね。

◆大東町の30才男性:長島・王が退団し、現役のユニフォームを脱いだ80年の秋、一つの時代が終わった。それは、戦後の夢と希望のシンボルが消えたという事にとどまらず、80年代の高度管理社会の本格的な訪れを予知するかのような現象に思う。自分も含め、私たちは今新たな時代へどのような姿勢で立ち向かうのか?国家と市民社会のはざまで必ずや苦闘を強いられるだろう。問われるのは、自立から新たなる共同性へ向け、架橋する事ではないだろうか。

◆上垂木K.K:70年代は不確実性の時代として流れ去り、80年代は90年代の前兆として迎えられた。この1年、僕にとってそれ程エネルギッシュな年ではなかった。しかし、世界は大きく揺れ動いている。戦争は後を絶たず、公害は増大し、悪魔の音楽が流れ、真実が嘘で、嘘が真実となる。世の中の狂気は、僕達一人一人の過失で起こっている。その罪が「狂気の世界」を造りだしている。良くなるのも、悪くなるのも僕達次第。いいものはいい、悪いものは悪いと、はっきりした主張と、道筋が要求される時代。それが80年代だ。

◆掛のだ:浜松より単コロにて見参!かの有名なKIDハウス崩壊後、デラシネの如く掛川にも参上、おもしろい事はないかと、僕の目はカメレオンの様になってしまった。掛川の諸君も、セコイ状況を突き破り、僕と出会うことを夢見つつガンバロウ。80年はKIDハウス崩壊の年。来年は元気に好きな事をやるのみ!

◆大東町から来た男より:惰性で生きた1年なので、この変化のない生活を打ち破りたいと思っている。来年こそは何かをやるぞ!

◆袋井の中学生:非常に楽しかった。修学旅行が最高だったよ。来年は高校へ入ることが一番の目的。

◆19才の男子3人組:ガソリンが高すぎるぞ〜!いったい誰のために俺たち車乗っているのかね〜。
連雀通り
女子高校生6人組
掛川駅通り
  78%編集室の今年を振り返って                     掛川タウン誌78%編集長:永倉章
全く多忙な一年でした。実際の話このタウン誌78%掛川を発刊する3年前に「ディザイヤ」というタウン誌を発行する予定で原稿を募集するため走り回ったことがあったのです。その時は100枚ほどポスターをガリ版で印刷し、喫茶店や若い人達が集まる場所を選んで貼ったり、直接話をして原稿をまとめたりしたのですが、反応はゼロに近く失望の日の連続。

同じ頃、数人の友人が桜木地区で新聞を発行していたのです。月刊紙「てんとう虫」という桜木青年団の有志が作る機関紙で、ガリ版(B4)の両面刷り。桜木地区全域に新聞の折り込みにより2年間毎月届けられました。若者が若者なりの立場で意見を発表し、多くの問題提起をし、多くの話し合いの場を持ち、真剣に物事を考えた上での意見の発表の場であったのです。(23号をもって後継者の問題により現在は休刊しています。)でも、何かが足りませんでした。それは、書く側と読む側の意思の伝達不足でした。いわゆる「コミュニケーション」が一方的に終わってしまったのです。「てんとう虫」は多くの反省を残して去って行きました。

そして、今年4月、コミュニティマガジン「78%KAKEGAWA」を創刊し、より多くの人との出会いを求めて現在進行中です。創刊時の反応は様々で、まだ掛川じゃ早いという人や、感動したと言う人、期待していると言う人、まだ続けるのと言う人、もっと批判しろ!と言う人など十人十色。多くの声で、試行錯誤を繰り返しながら、来年も頑張ります。
桜木青年団の村松君(左)と永倉章
中央町の仮事務所は掛川スーパーさんの元事務所だった。