音のない世界

Vol.8 1980年11月号掲載
あなたが音が聞こえる人間であれば
今、聞こえる音が
もし聞こえなかったらという仮定で
これからの社会を考えてほしい。

文責:やなせかずこ
  
鶴田さんは現在、ろうあのお姉さんと一緒に喫茶店「つる」を経営しながら、小笠・掛川を中心に静岡県中部地区における手話通訳活動を行っている。副業に化粧品の販売をしたり、趣味に日本舞踊のおけいこをしたりで多忙な毎日を過ごしている独身女性。ひとりの女性として見たときハッとする美しさに嫉妬さえ感じる。生まれつきの美しさもあるのかもしれないが、それ以上に自分の生き方に信念と自信を持っているから顔が生き生きと輝いている。人間として生きているからには、ただ惰性で生きていくんじゃなくて、自分自身の中に何かを見つけてほしいと思います。
鶴田美子さん(30才)

静岡県手話通訳問題研究会小笠班・静岡県庁障害福祉課属託通訳・静岡県手話通訳派遣事業及び掛川市手話通訳派遣登録通訳・小笠ろうあ者協会役員・手話サークル「太陽の会」役員
  9月21日(日)「手話懇談会」
鶴田さんは東遠地区センター3階の集会室で行われた「手話懇談会」に出席。出席者はろうあ者、手話サークル、一般の人達約30〜40名。私たちが取材で入っていくと、すぐ耳に入ってきたのが東京から来た講師の方の話で、ガス工事の時の問題だった


危険がいっぱい

 東京のある地区でガス工事をしたときに、スピーカーで「何時何分よりガス工事を行います。」とアナウンスした。あるろうあ者の家庭では母親が乳飲み子の離乳食を作るためガスコンロを弱火にして使用していた。その母親にはもちろんスピーカーの声は聞こえない。工事が終わりそのうちに「何時何分よりガスを開けます。」というスピーカーから声が流れたけれど、もちろん聞こえない。だいぶ時が過ぎてから、近所からガス臭いという通報があって、駆けつけたときには親子は瀕死の状態であった。このとはガス工事だけでは無い。ろうあ者だけの問題でも無い。今の世の中、危険なことが蔓延しすぎている。どうしたらよいのか。それは健康な人達の細かい心遣いしかない。


子どもが泣いても聞こえない

 ある健康な主婦が子どもを抱いてろうあ者の母親に「夜中にお子さんが泣くと大変でしょうね。」と言った。別にその奥さんは他意があって言ったのではない。しかし、その母親は耳が聞こえないので子どもが泣いてもわからない。生まれてからただの一度も泣き声を聞いたことがないのでそんな苦労を知るよしもない。母親としてこんな悲しいことがあるだろうか。

 また、親の見栄で障害者の子どもを普通の学校に行かせる。するとその子どもはたとえ高校・大学まで出たとしても社会に出たとき必ず壁にぶつかる時が来る。学校教育は知識だけを得るだけのためであって社会教育まではしてくれない。学校時代は周りの仲間、学友が助けてくれたり、同情してくれたり、本人もそれが当然の事のように思うが、一度社会に出るとそうはいかない。毎日が競争で、強い者しか生き残れない今の社会体制なので、中にはノイローゼになる子どもも出て来るとのこと。親のエゴで大切な子どもの一生を台無しにしている事に気づいてほしいという。


集まる場所がほしい

 現在、いろんな地区で、近所の主婦とろうあ者が集まってコミュニケーションを兼ねて手話教室を行っている。そこで問題になるのが場所の問題。無料で場所を提供してくれる所がないので、各家庭で順番に回ることになる。さあ、たいへん。「あそこのお宅ではあんな料理が出たから、家ではもっとおいしいものを…。」とちょっぴり女の見栄が頭をもたげてくる。だんだんエスカレートし、今度は金銭的な問題がからんできて、結局長続きしない。市や町村が無料で場所を提供してくれたら…。
  9月23日(火)インタビュー(さわやか掛川本店にて)
78%:こんにちは。お忙しいところわざわざ済みませんでした。早速ですが、手話を始められたきっかけからお話しいただけますか。

鶴田:私は9人兄妹の末っ子で上の姉2人がろうあ者なんです。ちょうど大学の受験に落っこちちゃって浪人生活をしている時に、他の姉が脳腫瘍で入院しました、その時に私が半年間付き添いで看病したんです。半年後にその姉が他界しまして、生活にポッカリ穴があいちゃったんですね。そんな時、たまたま母(福祉関係のお仕事をされている)の所に、手話通訳資格試験の通知が来まして、母のかわりに私が始めたのがきっかけです。もし、姉の看病がなかったら現在の私はなかったかもしれませんね。

78%:手話をやっていていろいろな問題があると思いますが…。

鶴田:ええ、いっぱいあります。私、手話を初めて10年になるんですよね。聞こえない人から通訳たのまれて行くでしょ。聞こえないってこんなに大変なのかって思うことがいっぱいあって…。

今ではね、聞こえないことを一生懸命理解しようと思ってなにかしてあげようと思った。だけど、この頃そうじゃなくて、聞こえない人と関わっている人なら必然的にわかることなんだけど、たとえば狭い道路を車がスピードを上げて走ってくるでしょ。歩行者が居てもクラクションを鳴らすだけでスピードも落とさず、我が物顔に通り過ぎて行くだけ。ところがもし、その人が聞こえない人だったら、わからないわけですよね。

その人が聞こえない人だったらという事を意識もしていないし、同じ社会の中にそういった人達が生きているということも考えていない。聞こえないという人というのは外見だけではわからない。たとえば盲人の人とか肢体不自由者は外見で知ることが出来るですけど、聞こえない人はいくらクラクションを鳴らされてもわからないんですよね、後ろから走ってきた場合。

相手が聞こえない人だとわかっていればスピードを落とすと思うんです。耳の聞こえる人だってクラクションを鳴らされれば嫌な気分がするでしょ?障害者とか耳の聞こえない人に対してする事が、社会全体がわりといい気分で過ごせるというか、そういうことにつながると言うことがこの頃よくわかってきたんです。

手話講習会でも、手話をいっぱい覚えられると思ってくるんですよね。だけどうちの講習会のやり方というのはそうじゃなくって、人間というのはみんなこの社会の中で生きているんだから、お互いに相手に、よりわかってもらえるようにコミュニケーションをするのがあたりまえで、たまたま耳の聞こえない人は相手の言葉がよくわからないので手話でやっいるわけですよね。

だから聞こえる人にしてみれば聞こえない人が異質なものに見えて、はみ出した存在にみえているわけだけど、本当に同じ社会の中で生きて行くにはお互い努力するのは当たり前のことだと私は思う。そのために手話講習会を始めたの。

だから、手話よりもむしろ、筆記でもいいし、口を大きく開けてでもいいから、わからない人に自分の言うことをわかったかどうか確かめながら一生懸命表現をする。それを講習会の中でやってもらう。そうすることが聞こえる人間同士の間でも自然にわかってもらおうと努力するようになるのでその人の人生に必ずプラスになっていくと思う。だから手話だけを教えるということをしていないの。

最初のうちは不満が出て「手話を教えてもらえると思って来た。」と言うんです。だけど、だんだん通じ合える、わかり合えるという事が素晴らしいという事がわかってもらえるようになりました。講習会はそういうことを目的に行っています。初級・中級コースがあって、中級コースでは講演が主になってきます。その中でろうあ者の体験をいっぱい聞かせてもらえます。

手話で自分の生い立ちとか職場でどんな悩みを抱えているかとか、そういう話をいっぱいしてくれるの。私なんかは常にろうあ者と接触しているのでよくわかっているんだけど、一般の人というのはそういった人達との接触がないので、講習会によっての理解が大きい役割をはたしているみたいですね。

78%:一般の人達が障害者と接触する機会というのは少ないと思うんです。たとえば電車やバスの中でそういう人達がいても、お互いに孤立している感じでその中に入り込んでいけない部分ってあるんですね。どうしたらその中に溶け込んでいけるんでしょうか。

鶴田:溶け込むと行ったら難しいんだけど、聞こえる人達はもっと音を意識してほしいですね。今まであたりまえに聞いていた音を、すごい大切に考えてほしいと思うのね。そうすると逆にこの音が聞こえなかったら、耳に入らなかったらどうなんだって考えてもらえば聞こえない人の置かれて居る立場がわかると思うの。

たとえば、この間の24時間テレビね。私、すごく強く感じている事が2つあるの。24時間テレビって身体障害者のために電動イスとリフト付きバス(寝たきりの人たちのリフト付き風呂)それとカンボジアの難民にというテーマ(※1)でチャリティをやってお金をあつめたでしょ。

24時間全部見ていたわけではないけれど、見ていた中で手話通訳をつけたのが東京と高知からの放送だけだったのね。かわいそうな人のためにとか障害者のためにとかいいながら、現実その中で聞こえない人が見ているなんてことは全く頭にないわけですよね。普通の人だったらそのことさえ気がつかないわけですよね。障害者のためにというテーマでやっていながら障害者のひとりである聞こえない人のための手立てが何もされてないの。そのことに怒りを感じたし…。

それともうひとつはカンボジアの難民の問題で「難民のために」とやっているけど、なぜそういう難民が出ているのかという問いかけが何もなかったんですよね。お涙ちょうだいみたいにお金を集めてカンボジアに送れば、もしかしたら一日一食しか食べられなかったものが二食食べられるようになるかもしれない。たしかにお金を集めたことによって助かるかもしれない。だからお金を集めること自体はいいと思うの。

それと同時にどうしてそういうことが起こっているのか、その問題を解決するにはどうしたらいいのかという事を、テレビを見ている人と一緒に考えて行こうとしなかったらあの24時間テレビをやった意味がないと思うんだけど…。

話がそれちゃったけど、わたしにはその内容がわかったからそういった疑問が持てるわけだけど、音の聞こえない人には、そういった疑問すらももてないわけですよ。だから、いつも聞こえない人もいるんだという意識をもってもらえれば関わりがない限り、特別に話しかけていく事もないと思うんですよ。

今までは聞こえない人が聞こえる人に気軽にものを頼んだり声を掛けたりということができない世の中だったんですね。いつも異質な目で見られているから…。まわりの人が意識しすぎているんですよね。特別なことをしなくても、とにかくみんなにもっともっと聞こえるという事を大切に考えて、もし、この音が聞こえなかったらどうなるんだろうかということを、うんと考えてほしいと思う。

78%:(毎日忙しそうですが)ご自身の生活状態はどうですか?

鶴田:正直言って苦しい。昨年なんかね、中部地域の中の通訳の中で、私、最高なんですよね、お金が。もちろんそれだけ働いたという事なんだけど。それで年間24万円なんです。交通費もすべて含めて。それで通訳にかかわることで毎日のように出ているんです。実際言って商売(喫茶店を姉と一緒にやっている)にも影響してくるんですね、私がいないと…。

それに、最近はカラオケがないと夜は(お客が)入らないんですね。うちの場合は(お客に)ろうあ者が多いからカラオケを入れてないんです。カラオケはろうあ者が楽しめないからね。そうするとどうしてもお客が減りますね。

それに手話が飛び交っていると聞こえる人から見ると手話でどんな話が飛び交っているのかがわからないのでおもしろくないんですよね。そういう意味でも手話と商売を成り立たせるということはむずかしいなあと思う。

手話活動で生活が成り立たないとなると何か手段を考えなきゃぁ。喫茶店と化粧品のセールスもやっているんですがどれも中途半端になっちゃって…。生活の基盤がないと手話もやっていかれないしね。

以前は奉仕でやっていればいい、自分の生活なんか親元にいるからそんなに考えなかったね。だけどそれは間違っていることに気がついたの。自分の生活の保障もないのに、人の生活を守ってあげられるわけがないんですよね。権利を守る運動ができるわけがないって、この頃考えるようになりました。今までは自分の権利を主張するなんて恥ずかしいと思っていたけど考えを改めて頑張ります。
※1 タイトル:24時間テレビ「愛は地球を救う」
第一回は1978年8月26-27日第二回は1979年8月25-26日いずれもテーマは「寝たきり老人にお風呂を!身障者にリフト付きバスと車椅子を!」第三回は1980年8月30-31日テーマは「カンボジア・ベトナム・ラオスの難民のために!」
  9月27日(土)私にも通じた(喫茶店つるにて)
「こんばんは」鶴田さんの経営する喫茶「つる」(菊川町半済)のドアを開けると土曜日の夜のせいか店内は満席。「今日は忙しくて。相手をしているとこちらの仕事がおろそかになるので取材はまたにして下さい、ごめんなさい。」と断られてしまった。ちょっぴりショックを受けたが、たまには日頃の忙しさから解放されてもイイナ、コーヒーでも飲んでいこうと、ボックス席に相席させてもらう。カウンターでは手話での会話がさかんに行われている。耳の聞こえる人も、手話の出来る人は手話で、手話の出来ない人は筆記で…。みんなが笑っている。音のない世界にもちゃんと笑いがある、感激…。店中がなごやかな雰囲気に包まれている。それに比べて他の喫茶店のなんと冷たいことだろう、みんな耳が聞こえて口がきけるのに知らない同士が背を向け合って…。

ろうあ者が私たちの席に来て一生懸命に筆記で話しかけてくる。タウン誌の発行者のところを指さして「あなたが、やなせかずこさんですか?」と問いかけてくる。「そうそう」とうなずくと、カウンターの席に戻って他の人に教えている。これで通じるんなら私も外国に行けそうだ。英語ができなくたって話が出来そうだ。ちょっと休憩のつもりが閉店まで居てしまった。
  手話サークル「太陽の会」に参加して
手話サークル「太陽の会」は今から6年前に菊川で発足し、掛川は4年前から菊川と協力して活動をしている。現在会員は87名。掛川では主に東遠地区センターで毎月第一火曜日に役員会を、第二・第四金曜日に定例会を行っている。活動としては、レクリエーションなども交えて健聴者とろうあ者との交流会や、ろうあ者を理解してもらったり、通訳者を育てたり、現存する多くの問題を解決しようと運動を進めている会です。

多くの問題の中に手話通訳者と会合場所の問題があります。
まず最初に、掛川市も菊川町も専任の手話通訳者を職員として配置してほしいということです。同じ県内でも沼津や浜松には専任の方がいます。京都には、小さな町にでさえ一人は居るという事実を見ても(これは全国的な問題ですが)掛川市が生涯学習都市であるなら、なおさら一日も早く専任の手話通訳者を配置してほしい。

現在手話派遣通訳者は9名います。みんなそれぞれの仕事を持っていて、忙しい中で通訳をしているのが現状で、ろうあ者が通訳をたのむと(出かけなければならないので)通訳の人達の生活まで影響してしまう。そして一年中(そのような)通訳活動をしているのでその負担が大きすぎる。専任手話通訳が一人も居ないということをみても、市や町がいかにろうあ者を理解していないかがうかがえると思います。

そしてもうひとつは、ろうあ者の会合の場所を設けてほしいということです。
現在は時間制限があったり、会場費が高かったりで満足な活動も出来ないし、交流会などの会場を決めるだけでも大変な作業なのです。実際、会員には4才くらいの子どもから60才以上の高齢者も居ます。いつでも使える情報交換の場所があれば、協力し合って様々なことを知ることもできるし、(そこを基点に)活動もできるのです。ろうあ者の生活の権利を守るためにも、健聴者が理解・交流するためにも必要なものです。(編集室 永倉章)