隠れキリシタン(大日寺)

Vol.5 1980年8月号掲載
 今月の「歴史探訪」は昔、徳川幕府がキリストを禁止した時代に、キリスト教への信仰心を燃やした信者たちがひそかに朝、夕礼拝したといわれる隠れキリシタンの紹介をおおまかに説明致します。

 キリシタンは「切支丹」と書きますが、その以前は「吉利支丹」と書き、禁教後は「鬼理切丹」とか、「切死丹」という文字を書いたという。キリシタン禁制後、信仰しているのが見つかると牢獄に入れられた。そのため人々は表面的には棄教しながら隠れて信仰するようになった。

 上張にある大日如来の古仏が祀ってある「大日寺」の境内には、高さ104.5センチの聖母マリアが浮き彫りにしてある石灯籠が今も残っている。この石灯籠は秘像をカムフラージュするためのもので上部には3文字の字が彫ってあり、裏にひっくり返さないと解読できないようになっている。「なんじの父よ」という様な意味らしい。造られた時代も徳川幕府以前の豊臣秀吉時代からではないかという言い伝えもある。密教のため証拠を残さないようにということか、資料が全く残されていない。信者が何人ぐらいいて、いつごろまで続いたのか皆目わからない。