ある武士の最後
 Vol.29 1982年8月号掲載
 徳川幕府の末期、幕末から明治維新(19世紀後半、江戸幕藩体制を崩壊させ、中央集権統一国家の建設と日本資本主義形成の起点となった政治的・社会的変革の過程。1866年の薩長連合に始まり、1867年の大政奉還・王政復古宣言、1868年の戊辰(ぼしん)戦争を経て明治政府の成立に至る政権交代とそれに起因する諸政治改革をいう。三省堂 『大辞林』)にかけての変革ほど、殺伐とした時代も少なかっただろう。

300年続いた幕府が崩壊し、不安と危惧と暗殺と闘争と、あらゆる忌まわしい空気が日本全国にみなぎっていた。そして明治5年の四民(士農工商)平等により、武士は多年にわたる身分的特権を失ってしまった。

 城下町として栄えた掛川には武士も数多くいた。ひまを出された武士達は、掛川に定住する者、故郷へ帰る者、東京に移る者とさまざまであった。

 その中の一人、旧藩主太田候に仕えて家老職までになった「太田竹城」という人は、掛川の地に留まり家塾を開いて書道を教えることとなった。その門人は数百名に及んだといわれている。

 今回はこの太田竹城という人のその後の生活を、大手町に住んでいらっしゃる松浦ちぇさんに語っていただきました。



「昔の掛川のご城主が改易(武士の身分が剥奪されて、家禄や屋敷を没収されること)になられた後のことでしょうね。大手町の東組から中央を北側に通じる道があってその細道の片側に、掛川城主よりお暇を出されたと思われる竹城様といわれる方がご生活なされておられ、お金や収入のこともどうなるかわからない矢先、親切な人にすすめられて、書道の先生をなさることになりました。

 しかし、いくらいただいたらよいか分からず、先方がくださるままに、今で言うおぼし召しのような形にて教えておられたということです。それだけでは生活も苦しいのに、冬の寒い日に百姓が炭を売りにくると、お金の価値などわからない先生は、自分の財布を投げ出されて「よいように、この中から出していけ」と、言われたということでした。

 ところが、財布の中身を見れば、炭の値段ほどの金は無く、その人も困ってしまったが、ごりっぱな先生が、悪気があってすることではないので、むしろ不びんに思ったと、その人が話されたそうです。

 その後しばらくして、竹城様は郷里に引き上げて行かれたということです。昔は腰に大小二本の刀を差して、金の苦労も知らずに通った方の、あまりにもお気の毒な哀れな武士の最後を聞かされた思いがしました。」

語り:松浦ちえさん(大手町)