塩井河原の106年ぶりの大洪水
Vol.13 1981年4月号掲載
 昭和34年8月26日の夕方、塩井河原(日坂)を襲った集中豪雨について、塩井河原にお住まいの方々に当時の模様を語っていただきました。

 鈴木さん「伊達方の駐在所のあたりから、逆川の橋のあたりまででしたが、そりゃあもう、すごかったですよ。とにかく初めてのことでしたからびっくりしました。いままで床くらい(床下冠水)は度々ありましたが(しょっちゅなのでそのことは)覚えていません。でも、その時の集中豪雨の時のことだけはよく覚えていますよ。その当時のお年寄りは、あんな洪水がでたのは106年ぶりだって言っていましたから……。道路から首の下くらいまで水が出て、みんな屋根伝いに避難したり、泳いで避難したりしていましたよ。」

高橋さん「二階屋の家の人は二階へ避難したんですが、私の家なんか二階がなかったもんだから、よその家へ避難しました。だからその水害の後に二階を作ったんですが、それから一度も大水は出ませんけどね、アハハハ。曽根川から掛川の方はずっと河川改修工事されて良くなりましたから…。その日の夕方、4時か5時頃、会社へ行って帰ってくると、橋からこっちへ渡れなかったもんね。」

鈴木さん「この辺は水が溜まるのも早いけど、引けるのも早いんで、2〜3時間位ですかね、続いたのは。後がまた、たいへんでした。消防団や青年団や親類の人たちが後かたづけするのに1ヶ月位かかりましたよ。しかたがないから近所の水のつかなかった家に三晩くらい泊まりました。」

高橋さん「その(大水が出る)前の日に、お年寄り衆が、水がでるかもしれんよ、と言うようなことを言っていたですよね。昔から住んでた衆はわかるから…。でも、まさかあんな大水が出るとはなえ。」

田上さん「東山の方の堤防が決壊したみたいだね。それでも、軽いケガをした人は多少いたみたいだけど、死んだ人が出なかったのが不幸中の幸いだったね。その時、市からの補助といえば消毒くらいのものでしたよ。」

鈴木さん「私は50年前に菊川からお嫁にきて、主人と二人で雑貨屋を営んでおりましたが、店の商品を全部流されてしまいました。その当時、塩井河原には商売をしている家が二軒だけありましたがね、全滅でした。泣けてきました。商売を続けようか、どうしようか迷っていたんですが、周りの人たちがいろいろ面倒みてくれましてねえ、それで続ける決心をしたんです。本当にあの大水のおかげで苦労しましたよ、オホホ……。」

 取材感想「天災は忘れた頃にやってくる」河川の改修工事で堤防の決壊はなんとか防げるようになったとは言え、どういう状態で天災がやってくるのか人間の物差しでは計り知れない。東海大地震が騒がれている昨今、最小限度の被害で食い止める方法を考えていかなければならないと思います。