逆川改修工事で機械が登場
Vol.71 1986.2月号掲載 
 逆川の改修工事は1923年から1930年(大正12年〜昭和5年)までの長期にわたって行われた。それまで水害に悩まされていた掛川の人々にとって、この工事が果たした役割は大きかった。逆川が度々氾濫し水害に見舞われたことは、掛川の地名が懸川あるいは欠川と言われていたことからも容易に推察される。

 改修工事は逆川と原の谷川の合流する曽我から、葛川の馬喰橋までの長い距離であったから、当時としては一大事業であった。そのために工事は内務省(現建設省)の直轄工事で、地元の業者は請負という形で携わっていた。

 この工事によって、掛川では初めてのビサイラスというアメリカ製の機械が導入され、人間の労力は大幅に軽減された。建設現場では「土」を動かすことが一番大変な作業と言われている。そこで、最初に機械と呼べる物が開発されたのはトロッコであった。ただし、トロッコは土を運ぶだけの道具であったが、このビサイラスは掘った土をトロッコにすくい込む、今のショベルカーの様な役割も果たしたという。当時としては画期的なことであった。

 掛川では逆川の改修工事に使われたのが最初であったが、それ以前に佐久間ダムの工事の時にも使われ、建設業者はわざわざその機械を見るために佐久間ダムまで出かけて行ったと言う。機械を見た建設業者は一様に「機械の時代がやってくる」ことを予感したという。当然まだ完璧な物ではなかったが、それでも人々に驚嘆を与えた。一番大変と言われている土を掘り起こす機械が導入されたことによって、建設革命が起こったと言っても過言では無いだろう。

 この機械は、実は内務省の持ち物で、高額な機械は小さな建設業者にはとても手の届くような代物ではなかった。そのために、大がかりな工事以外は、まだまだ人力だけが頼りだった。人海戦術から機械が取って代わるようになったのは、1960年(昭和35年)頃からである。

 ところで、この機械は今のようにガソリンや軽油で動かすのではなく、蒸気機関車と同じ様に石炭で蒸気を起こしてその圧力で動力を得て穴を掘るのである。そのため運転手は、冬の寒い日にも、夜二時半頃に起きて火を熾したという。まずマキに火をつけ、その中にコークスを入れ、コークスから石炭に火を移していくために、なかなか手間の掛かる作業であった。夜二時半から始めて機械が作動する様になるのは朝の七時半頃だったという。(写真は金田組所蔵)