西郷村の青年団
Vol.64 1985.7月号掲載 
 写真(粂田光雄氏所蔵)は昭和26年9月15日の敬老会で、下西郷の青年団がにわか作りの劇をやったときの記念写真である。当日は西郷村の各青年団が趣向を凝らし、素人芝居等のいろんな芸を披露した。この時、下西郷の青年団は、弥次さん喜多さんの東海道五十三次旅行もたいなものに仕立て上げ、観客の笑いを誘った。
 特定の宿場を特色を出しながら演じていくのだが、今のように何でも手に入る時代ではなかったので、舞台作りも大変であったろうと思われる。大井川の川越の場面では、人足に背負われて渡るという設定。熱海では貫一お宮の情景などを演じた喜劇芝居であった。脚本家も監督もいない全くの素人芝居であったが、素人には素人なりの面白さがあって。なかなか味のあるものだったようである。

 さて、写真前列左側のお宮の役を演じた松浦氏は「もし、貫一さん…」と言うべきところを「もし、お宮さん…」と言ってしまった。観客の方は全く気づかなかったそうであるが、間違えた本人は、劇の間中、笑えて仕方なかったそうである。最後の名場面では、お宮が貫一にすがりついて泣く所がある。この時にも笑いが止まらず、着物の裾で顔を隠しながら、肩を震わせて笑っていたところ、何も知らない観客は、肩を震わせて泣いているものと信じ込み、終わった後で「なかなかの名演だった」と、口々に誉められたというエピソードもある。何が幸いするか世の中解らない。

 最近の青年団は地域の若者が全員が入っているわけではなく、年々減少する傾向にあるようだが、当時は村に残っている若者は、男性も女性もほとんどの人が青年団に入っていたようである。敬老の日がいつ頃設定されたものかわからないが、祝日として正式に決まったのは昭和41年からである。

 私も小さい頃、敬老会に行くという祖母に連れられて「巡礼お鶴」とかいうのを観たことがある。その時は素人劇団ではなくプロの劇団だった様に思う。悲しい物語だったのでこちらももらい泣きをしてしまったが、周りを見渡すと、おじいさんおばあさん達がみんな目頭を押さえていた。「して、かかさまの名は?」「あ〜い、かかさまの名は…」という台詞と節回しだけは今でも良く覚えている。こういった田舎芝居も今では観ることがなくなってしまった。