鉄砲かついで猪狩り
Vol.57 1984.12月号掲載 
 写真は昭和32年頃の、イノシシの親子を仕留めた小笠猟友会の面々。当時も掛川の山にイノシシが多くいて、近隣の村に出てきては、田んぼや畑を荒らし回った。稲は全部食べられてしまうし、芋畑はブルドーザーで掘り起こしたごとく荒らされ、芋はきれいに食べていってしまう。また、身体に泥を塗る習慣があるため、田んぼに入ってはゴロゴロ転がり、稲はメチャメチャにされてしまったと言う。
 ところが、国有林に逃げられてしまうと、村人では入ることがままならず、そこで入山許可を受けている小笠猟友会の人達に、猪狩りを依頼した。竹笛を使って、お互いに合図を送りながら狩りをやる。当時は村田銃という、明治初期に発明された古い型の銃だったため、一発しか出てこない。危険も大きかった。不発だったなんてこともあり、すぐそこまで来ているイノシシと押しくらまんじゅうして、鉄砲が曲がってしまったという人もいた。牙で傷をつけられた人もいる。

 小笠猟友会には農業や林業に従事している人も多く、リュックを背負って他の村に猪狩りに出かけて行く人も多かったそうである。肉は仲間で分け合ったり、たくさん仕留めた時には、町に売りに行ったので、肉屋の軒先に丸のままぶら下がっていたことがよくあったと言う。