手塚治氏とマンガの描きくらべ
Vol.56 1984.11月号掲載 
 昭和33年6月28日に、掛川市三笠東小学校(倉真)の6年生の子ども達だけで発行した「日刊学級新聞・みつばち新聞」が誕生した。この「みつばち新聞」の生みの親は岩崎英男先生だった。豆記者達は、先生達に怒られそうなことも、正しいと思うことは遠慮なく書いたから「先生がドキっとするみつばち新聞」として、生徒よりも先生がよく見た。6年を卒業するまで150回発行され、翌年度の6年生に引き継がれたが、20数回発行しただけで絶えてしまった。
 これを知った岩崎先生は、この年は4年生の担任だったが、4年生に引き継がせることにした。4年生になってからは、新聞の中に毎日の教室の生活を、漫画で描いて連載する様になった。
 ちょうど、昭和35年に「日本子どもを守る会」の文化会議が静岡で行われることになり、当時中心となってい動いていた戸塚廉氏が、前夜祭での企画として、鉄腕アトムなどで有名な漫画家の手塚治氏と、日刊学級新聞で漫画を描いていた少年(佐藤氏)とを対決させることを思いついた。千人以上の観客の前で、出されたテーマに沿って次々に描いていくのである。写真はその時の手塚氏と佐藤少年。