掛川で初めて水道が引かれた日
Vol.55 1984.10月号掲載 
水を汲む商売が繁盛

 人間の生活に欠かす事の出来ない水。掛川の水は鉄分が多すぎて、先人達は大変苦労した。洗濯は川まで行かなければならず、飲み水や風呂水は町内に一つあるかないかの井戸までバケツを提げて汲に行く。
 井戸のある家には、毎日大勢の人が押しかけた。早い者勝ちだから、夜中に来て汲んでいく人も増え、朝になるとすっかりなくなっていることもあったそうだ。中には蓋をして汲めないようにしてしまった家もあったとか。また、水を汲んで運ぶのを商売にしている人もいて、風呂水になると一軒で10〜15回ぐらい往復する。大正時代で一回につき二銭位だったそうです。

蛇口のかわりに鍵で開閉

 紺屋町の永田又三郎(故人)宅には、大正10年10月に、掛川では最初に水道が引かれた。県下でも一番早かったのではないかと言われている。水源地は下俣の西中近辺だったそうです。当時は鉄が高かったので、水道管は木を使った。水が出た時の感動は言葉では言い尽くせないものがあったそうです。
 又三郎さんの奥さんは、昭和2年に静岡から嫁いできた。実家では井戸水を電力で汲み上げていたが、水を止めると機械の調子が悪くなるので、朝から晩まで出しっぱなし。そんな水の豊かなところから嫁いできたので、嫁いだばかりの日に、朝の5時頃から近所の人達が両手にバケツを提げて、家の前からずっと並んでいるのを見てびっくり。
 ひとりひとり、それ俺に鍵を持っていて、鍵で水道を開け、また閉めて帰って行く。(蛇口の代わりに鍵で開閉していた。)

掛川の水道料の高いのは昔から

 水道を引くには相当なお金が掛かったようですが、水道料もまた高く、東京の方が定量で月70銭位だったのが、掛川では3円位だったそうです。(掛川の水道料が高いのは今も昔もかわらないようで…)その後、徐々に水道も普及してきたが、ちょぼちょぼ(細〜く)出して、水瓶に溜めておく家も多かったそうです。こうしておくとメーターが回らないからです。
 そんなわけで「掛川に嫁に行くと水で苦労する」と言われた。又三郎さんの奥さんも永田家に嫁いでくる前に、母親と祖母が「掛川は水の無いところだから、水を担がにゃならん様な所なら、とても嫁にはやれん」と、わざわざ見に来たほどでした。その時、永田家には、5年位前に水道が引かれていたので、無事結婚の運びとなりました。めでたしめでたし…。