丁稚奉公
Vol.54 1984.9月号掲載 
 江戸時代から商工の町家に年季奉公する幼年者丁稚と呼ばれた。だいたい10才前後で丁稚奉公に出され、給金は無く、衣食住だけは保証されていた。明治・大正時代の工業と言えば、掛川では葛布が一番盛んだった。この写真は葛布が最盛期を迎えつつある明治の終わり頃のもので、砧(きぬた)打ちと言って木槌で布を打ち、和らげているところ。
 当時は今のように仕事も無く、子だくさんの家では口減らしとして、10才くらいになると葛布業者に丁稚として出した家も少なくない。一時は衰退してしまった葛布業界も、窓掛け、壁布、ふすま地などの輸出が順調に伸び、日の出の勢いにあったため、「子守でも何でもいいから使ってほしい」と、親が頼みに来る。10才と言えば遊びたい盛りなのに、家族のために辛くても辛抱せざるを得ない状態にあった。家族にとっては一人でも食いぶちが減れば、それだけ助かる。
 仁藤の川出さん(川出幸吉商店)のお宅には、当時家族や番頭さん等を含めて43人も居たという。男子はだいたい17〜18才で手代になり、女子は女中として働く者もおり、お嫁に行くときは、嫁入り支度をしてもらいその家から出て行ったという。