昭和9年にあった交通事故
Vol.52 1984.7月号掲載 
 昭和25年頃に国道一号線の工事が始まったが、その前までは市街地に沿って東海道があり、ここが主要道路となっていた。
 写真は喜町、仁藤、塩町と分かれる三叉路で、喜半商店前の事故現場である。現在は角の所が広くなっているが、昔は「かどや」という店があった。昭和9年2月に山梨の野口運輸のトラックと富士箱根鉄道のバスが、出会い頭に衝突した事故である。当時は車も数えるほどの台数だったし、経済速度が時速30kmと言われていた時代だったので、人身事故とか車同士がぶつかるなんてことは滅多になかった。(雨が降ればブレーキがきかなくなり、少しスピードを上げればハンドルが揺れて田んぼに突っ込んだりと、それなりの事故はあったようですが。)トラックの荷台は、空荷だと車が跳ねて飛び上がってしまうため、大きな石を載せて走った。
 掛川タクシーの創立が昭和12年で、ブルーバード級の普通自動車の下に豆タクというのがあって、市内を30銭で走った。戦争中は物資の不足で運輸業もままならなかったが、敗戦間際に、静岡日産と静岡トヨタ、静岡三菱が合併して静岡県自動車配給会社も作られた。車一つをとっても歴史の流れを感じる。