掛川大相撲大会 静ヶ嶽
Vol.50 1984.5月号掲載 
 掛川市新町出身の萩原信三氏は、昭和28年に掛川東中を卒業し、同時に力士となるべく上京。伊勢の海部屋に入り「掛川」という四股名(しこな)で練習に励んだ。
 写真は昭和30年5月3日に掛川公園で行われた「掛川大相撲大会」の時に、掛川出身の力士ということで紹介されているところです。その後「掛川」は、31年の夏場所では好成績を上げ三段目に昇進した。(相撲の番付は、序ノ口→序二段→三段目→幕下→十両→幕内となっている)この時に四股名を「静ヶ嶽」と改名。同じ年の大相撲秋場所では三段目の中で六勝二敗という好成績を残している。
 最終的にはこのままの三段目で終わったが、将来は横綱までいくだろうと期待されていた力士である。途中で身体の故障が元で相撲生命を奪われてしまいやむを得ず引退し、現在は東京でクリーニング店を営んでいるそうです。