掛川駅、のどかな日々
Vol.44 1983.11月号掲載 
明治22年に建てられた掛川駅舍(上)と乗合自動車(下)
 明治22年に東海道線の掛川駅が開設され、現在の駅は昭和15年に建て替えられた。明治・大正・昭和を経て東海道線の乗降客を乗せる交通機関もさまざまな変化を示している。乗合馬車、人力車、乗合自動車、木炭バス…と。
 乗合自動車は10数名が乗れる小さなバスで、大坂行き、森行き、堀之内(菊川)行きなどの市内循環自動車で、最初は停留所がなかったために、手を挙げればどこでも止まってくれた。
 昭和15年から昭和25年の間は、乗合自動車のガソリンが全面使用禁止となったため、替わりに木炭バスが走った。駅前の広場には山から切ってきた木が刻んで干してあり、乾いた物から南京袋のような袋に入れ、バスの後ろ外側に取り付けてあるタンクで木をくべながら走ったということである。
 急な坂道に行くと力がないので「木炭がエラがっているで、お客さん降りて押してくれ」と運転手が頼むこともしばしば。
 昭和10年に開通した二俣線は、当時から利用客が少なく、農繁期には一日に一人も乗らない日があったという。今なら問題になりそうだが乗り遅れた人を5分以上も待ったこともあったそうだ。