その75 臨教審はだれのためにあるのか
きまた たつしろう
 堅苦しいけれど、また「臨教審」。なぜなら、非行や校内暴力、いじめや登校拒否、そして、前記のようにこんなにはっきり症状は見えていないけれど、生きていくめあてがもてずに、目先のことばかりで生きている子どもたちの大群、心や体のすべてがゆがんだまま成長していく子どもたちの大群がここにいる。

 なんとかしてもらいたいと心の底から願っている親や先生や、なによりも子どもたち自身。そんな願いに臨教審の二次答申はこたえてくれているか。

 ひと言で書けば、いいことがいっぱい書かれているが理くつばっかりで具体策なし、「初任者研修」という若い先生の情熱をつぶすとんでもないバケモノがでてきただけだ。

 新聞(朝日)の解説にはこう書かれている。
……
文部省が教育の方法や内容に細かく口出しするのはやめようということだ。しかし、現実の教育行政の根幹に踏み込む内容はほとんど盛り込まれていない。規制緩和、地方分権など教育行政の?T自由化?Uを進めようとしている。だが、具体策の中身、実行の手順については、政府(文部省)にゆだねられている部分が多い。(お役人が一度手に入れた権限を決して手ばなさないことを庶民は知っている。)生涯学習社会の理想の設計図は示されていない。…… (括弧)の説明ははぼくの解説。

 とにかく、ほんとうに具体策はない。学習指導要領の「大綱化」についても、自由化や弾力化のことかと思って読んでいてうれしくなっていたら、「基礎基本の明確化、充実」とちゃんと出ている。言葉はきれいだが、これでは今まで以上に内容をしばられるものになっていくだろう。

また、新聞(朝日)にはこうも書いてある。
……
 そのうえ答申は、教育行政を支える主要な制度にはほとんど言及していない。法的拘束力をもつ学習指導要領の基本的性格、教科書検定、都道府県教育長の任命を文部大臣が承認する制度、教育委員の任命制などの論議はことごとく見送られた。

 いずれも文部省や自民党文教関係議員にとって「臨教審が踏み込んでくるのを最も警戒していた」(文部省のある幹部の発言)問題であり………具体策のうち教員の初任者長期研修制は、文部省が長年実施をめざしていた試補制(仮採用期間の研修の結果で採否を決定)に近く「個性重視」とは裏腹に文部省や教育委員会にとって好ましい教師づくりの不安が残る。
……

いったいここでいう「先生の先生」が教室にはいってきたらどうなるか。
すなわち、新任の先生一人一人に、退職した、あるいは、政府お墨付きの現職の「指導教員」が一年中つきっきりで実地教育をするのだという。
新任の先生は糸くり人形だ。若い先生はつぶされてしまう。

 なによりいやがって、個性的な若者は、こんな先生世界に入ってこなくなる。子どもだって、本能的に見ぬいて、このようにできあがってしまった先生をきっとで軽視してしまうだろう。
いやだいやだ、こわいこわい。

先生の個性をつぶして、どうして子どもの個性が育つのか。