その64 一泊の修学旅行
きまた たつしろう
 先月号の「あれも言いたい・これもイイたい」欄のぼく宛への投書。「教師も十全ではない」とか、「人は多数の人に会ってその人の長所に感銘し成長する」などは、ほんとうにその通りだと思います。

「教師のタイプに合わない子どもも居るはず」も、ほんとにそう思います。
 でも、だからといって、「毎年新しい人、持ち味のちがった人に教えてもらう方が合理的」という考えをぼくはとりません。

 「君に、六年間持たれたらたらどうなるかどうなるか考えたことがあるのだろうか」。(投書より)
六年間どころか、一年間でもいつも考える。子どもをだめにしてしまっているのではないだろうか、つぶしているのではないか。ぼくはいつもその悩みの中にいます。

 ぼくがはっとしたのは、「ひとつ組をずっと持ちたいというのは、教師のうぬぼれか怠慢の現れ」というところです。
 “一年で勝負”という意気込みと、計画性と、自分で担任を決定できない見直し性の中での言葉ならわかりますが、子どもへの愛情への中での言葉なら、とても承服できません。

 つぎも先月号。
 給食ででる牛乳びんのふたを「なんで学校で処理できないのか」と書きましたが、原稿を渡したあとでずいぶん悩んだ。さらに「真実を見ぬく目をみがきたい」などと、かっこよい文章を書き加えただけに、よけいにかっこうがつかない思いだった。牛乳のふたは、牛乳会社に処理してもらうべきかもしれない、その方が本筋かな、と思ったからだ。

 さて、今月はこの間、子どもたちと修学旅行に行ってきた。修学旅行も、この頃はずいぶんとお金がかかる。二万円では行けない。大人の一泊旅行にくらべれば安いものかもしれないが、お金を集める側とすると心痛むことである。

 掛川市の小学校の修学旅行は、はごく最近一泊旅行になったばかりだ。神奈川県などは、小学生でも二泊旅行だと聞いてびっくりした。

 何ヶ月も前に、行き先をしぼるために、「どこがいいか」とか、「どんな所を見たいか」などと子どもたちに聞いてみたが、やっぱり、「東京に行って、東京タワーを見学して、後楽園ゆうえんちで遊びたい」という子が多かった。科学万博やディズニーランドもだしてみたが、ぼくの子どもたちは少数意見だった。

 大阪や京都の話もしてみたが、「中学や高校で行くのでいや」ということで、結局は修学旅行おきまりの東京コースになった。でも、時間をかけて充分に事前に話し合いをして決めたことなので、子どもたちも満足した上で出かけた。

 東京で頼んだバスの代金などは、三十五人という少人数なので一人あたりの料金は割増になったりする不便さはあったが、小回りのきく旅行で、時間もたっぷりあって、ほんとうに楽しめた。旅館でまくらを投げたりする子どもたちを見ていると、ほんとうにほほえましかった。子どもたちの持ってきたこづかいはほとんど、おみやげに消えてしまったようだ。女の子はちょっと残してくるし、男の子の何人かは、一日目でほとんど費やしてしまっていた。

そんな修学旅行、みんなが楽しめた。