その60 教育の個人主義とは
きまた たつしろう
 冒頭から引用文になりますが、ご覧下さい。
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「(日教組のいう『教育の自由』とまぎらわしいので)『個人主義』なら正しく伝わると思い、言葉を作った。『自由化』には一から百まであるが、『京都座会』の提言や、香山健一第一部会長代理の主張を『自由化』だと解するなら、『個人主義』と中身はかなり共通している。」「機会均等を否定しているわけではない。しかし、個性の尊重、自由とのバランスも考えねばならない」「学校にいかないと基本的な教育ができないのか。今は塾でも、親が教えても教育は出来る。国は学校を置く義務がある。しかし、別の形で教育する親がいればそれでいい。」「一番貧しい人、一番条件の悪い辺地に合わせることが機会均等と言えるのだろうか。日本中、北海道の山の中と同じ教育環境にしようというのは悪平等だ」
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以上は、朝日新聞に掲載された、臨教審の天谷第一部会長のインタビューである。

 ぼくらは、「行政改革」が叫ばれたときに、双手を上げて喜んだ。こんなにはいらないと思うような役人の数を減らしてくれると思ったし、みんなのもとめている福祉は一層充実されると思ったからだ。

 ところが、結果はどうだ。役人の数は一向に減らないし、税金は上がるばっかで、防衛費に金ばっかとられて、そのぶんが削られた福祉はやせ細っている。

 「電々民営化」「国鉄分割」とは何か。要するに、国民の税金でいままで買ったものを大資本や金もちに分捕られるということなのだ。電々の株式が公開されたって、国鉄が売りに出されたって、そんなものは貧乏人には手も足も出ないのだ。

 「教育臨調」の話しが出た時も、みんなは期待した。中学生を中心にした校内暴力だのいじめだのや、低学力などの落ちこぼれ、高校の格差、心の病気などの、今の親たちの悩みについてちゃんと考えてくれると思ったからだ。

 ところが会議が始まってみたらどうだ。教育学者や現場の先生たちを抜きにして、いかにも金のありそうなじいさんなどが、わけのわからんことを言い出した。

 昔は、全学連だった彼が、途中どう変わったか知らないが、今は中曽根首相のブレーンだという香山さんの考えや、「京都座会」の提言で、「自由化」(個人主義)をやるのだという。

 ぼくらは、いつも中味抜きの言葉でだまされ続けてきた。
 いまの教育をどうにかして欲しいとさけび続ける親たちは、このような「自由化」「個人主義」の言葉にはころっとだまされる。日教組も「教育改革論」をずっとさけび続けている。

 しかし、今回のは、どうもそれとなかみが、違うようだ。なぜなら、教科書の検定はやめないというし、今の学校には「政治的な偏向教育の学校もあるのが現実だ。」と言っているのだから。

 そこで、冒頭の天谷さんのインタビューの話しにもどる。学校をなんとかしてほしいと思っているお母さんたちは、この言葉でスッキリするだろうか。安心するだろうか。「京都座会」や、香山さんは、どんなことを言っているのか。みなさん、ちゃんと調べてみる必要はありませんか。