その57 見えなくなる子どもたち
きまた たつしろう
 先日、小笠町で開かれた、子どもを守る文化会議で、「小学生の言い分を聞く会」という分科会があった。ぼくは司会をやって、集まってくれたお母さんたちの要望にそって、小学生に言い分を披れきしてもらった。マンガについての話しがでているとき、たまたま、五、六年生の女の子の買っている雑誌が話題になった。「リボンコミック」や「なかよし」とならんで、たくさんの子が「明星」や「平凡」を買っていると聞いたお母さん方がおったまげていた。

 ぼくは、このことは知っていたのでどうこう思わなかったが、子どもの実態や様子とこちらの考えているそれの波長が合わなくて、びっくりしたり、あたふたさせられることがこの頃多い。先日も、理科の授業で「雨の降る確率」(降水確率)のことが話題になった。話しをすすめているうちに、どうもおかしい。それでもとにもどって子どもたちに聞き直してみた。

「雨の降る確率五十%というのはどういうことだ?」
「半日降る」
「降ったりやんだりする」
「一日に五十回降る」
「ふるかふらんかわからん」
などなど、子どもたちの解釈はさまざまでびっくりした。五年生なのだが、続いて「何%から傘を持って行くか?」との答えが、十%なら持って行く子から、七十%でも持って行かない子まで、これまたさまざまな答えが返ってきた。

 一年生の教室では、道徳の時間に、くまとありの話しをしたあと、先生が、「くまさんは、どうしてありさんを助けてあげたのでしょうね?」と子どもたちに聞いたら、
「女だもんで」
「あいしているもんで」
などという答えがでてきてしまって、その先生はあわてたという。

 四年生の図工の時間でもこんなことがあった。女の子がぼくのところに二、三人やってきて真面目な顔で、「先生、エロ本って知っている?」そして、となりの子が「ビニ本は?」ときた。ここまではよくある話で、ぼくがどぎまぎしていたら、近所の店の名前を出して「あそこで買ってきてやあ。」と言う。「どうして先生が買うんだ、そんなもの」とぼく。すると「だって、子どもじゃ買えないだよ。先生は中年だもんでかえるじゃん。」さすがにことわったら、すかさず、「先生、あかい顔している。純情。」とごたくをならべたあと、「わたしら本当に見たいやあ」と帰って行った。

 女の子の便所をのぞきにいく男の子が時々いて大騒ぎしたのは昔の話。これは少年期をむかえる子どもたちの正常な精神のなせるわざみたいなものだ。ところがこの頃「わたし、今からトイレに行くのでのぞきにきて」とさそいにくる女の子や、男の子にオチンチンを見せてとせがんで、しげしげと見ている女の子などの話しも聞く。

 幼稚園の子から高校生まで、同じ「キン肉マン」がアイドルになってしまい、園舎の中でも小学校や中学校や高校の教室の中で、日本全国同時に、「キン肉マン」のプロレスの技をかけっこしている。これも異常だ。六千円も八千円もするゲーム電卓を八十台も持っている小学五年生もいる。
子どもたちがどんどん見えなくなってくる。