その55 子どもたちの朝ご飯の中味
きまた たつしろう
 二学期が始まっている。九月しょっぱなの気の狂ったような暑さで、子どもたちは毒気をぬかれたのか、またまたぐんにゃりしている。「今から二階に上がるぞ」と大声で合図を出すと、「ええっ、階段をあがるだあ」と、たんよりしている。まさに世紀末の様相だ。

 保健室で、七月のある日の二日間の子どもたちの起床から登校までのようすを調査した。その結果がまとまって、先日見せてもらった。二つの学校の百二十人位が調査対象である。

 ぼくが興味を持ったのは、そのうちの「朝ごはん」についての項である。ぼくの学校は、大都会ではないので、「朝ごはんを食べない」という子は、ほんの少しである。

 類推してみて、学校全体で五人から十人位だろうと思う。しかし、「食べたくない」「朝いろいろやり、食べたくなかった」という食べない理由には考えさせられる。
 
朝ごはんの献立の中味がおもしろい。子どもたちの中には、次のような「朝ごはん」「朝食」をとっている子がいる。

「おにぎりとカルピス」
「パンだけ」
「パンとバター」
「ごはんとポテトフライ」
「そうめんだけ」
「やきそばだけ」
「ごはんとのり」
「ごはんとふりかけとスイカ」
「パンとメロン」
「ごはんと卵」

この他に、ごはんの日には居なかったが、
「インスタントのラーメン」「パンとそうめん」「パンと缶ジュース」
「コーヒーだけ」「コーラだけ」という例もあるという。はたして、このような朝ごはんを。「朝食をとった」とか、「朝ごはんを食べた」という日本語で表していいものだろうか。もちろん、先に書いた例は、例外の例である。「主食と副食ともにとれている」のが六十パーセントくらいである。すると、あと四十パーセントが、主食のみとか副食のみということになる。しかし、コーヒーだけコーラだけというのも副食に分類してもよいものなのか。

 この前の、NHKテレビで、「大人が参加しない夕食」についての問題が放映されて話題になった。食べるという人間の本能については、栄養と食べている時の楽しさの二面から考える必要がある。そうすると、いくら両親と楽しげに食事をとって登校してきたにしても、「おにぎりとカルピス」の朝食がいいとは言えないように思う。

 もちろん、栄養士さんが考えたような、いろどり豊かな朝食をとったにしても親がいない食卓だったとしたら、これもまたいいとは言えない。もっともこんな理屈をならべて、子どもたちの朝食にびっくりしているのはぼくだけで、近ごろの若いお母さんたちは、そう思っていないのかもしれない。

以前、「パンとコーヒー」の朝食にびっくりしたら、子どもは、びっくりしたぼくにびっくりしていた。