その48 白いくつ下、黒いくつ下
きまた たつしろう
 毎号毎号、こんな個人的な、しかも、「先生」という特殊な職業のなかの、そのまた風変わりな人間の個人的な想いを書き続ける必要性があるのだろうかと悩みつつも、編集部(これもフルイ言い方だな!)の催促電話で、しかたなしに書き続けている。こんなくだらん奴にたのまんでも、もっとナウイヤツがいるだろうにと思う。こちらも、もうタネぎれだ。でもこのタウン誌78%のもっている本能を愛しているから、しかたなしに、あと何号か書き続けることにしよう。

 二月の初めに、「全国教研」というのに出かけた。正式には、「日教組第三十三次・日高教三十次教育研究全国集会」という。右翼もおしかけてさわいだりするし、新聞やテレビなどでも連日とりあげるので、少しは知られているのかも知れない。

 ぼくは、「命の洗たく」だと思ってよく出かけるのだが、この集会に出かけるのには、三、四日は学校を休む必要があるので、子どもたちにも職員室の先生たちにもめいわくをかける。勇気がいる。でも、全体の集会で一万人以上の先生たちと「緑の山河」を歌うと、いつも感動する。だからでかける。

 ここ十数年、ぼくは、この全国教研に出かけるたびに、いっしょに参加する先生たちに申しわけないと思いながら、無理を言って、「人権教育」という名のついた分科会に、四日間通いつづけている。こむつかしく言えば、ここが教育の原点を問いつづけ、追いもとめ、話しつづけるところだと思うからだ。

 子どもを平等に愛しつづけるということは教育の原点で、出発点で、終着点だが、実はこれほど守られていないことはない。
 小学校二年生の子どもが「先生、ヒイキ。」と叫ぶ。中学生くらいになると、先生が子どもたちを平等に愛してくれているなんてこれっぽっちも信じていない。

 親の中にも、学力で子どもを“区別”してほしいと望む人もいる。区別は差別だ。差別は人間を平等にあつかっていないことだ。人権無視だ。その最もひどい例が、部落差別だ。

 今年の集会で、もっともショックだった話しを書いてみる。

山梨県のある中学校の話し……
その学校では、くつ下は「黒」という規則だった。全校生徒が、みんな黒いくつ下をはいていた。

ある年のある日、ツッパリの生徒が白のくつ下をはいてきた。
先生たちは、もちろん大騒ぎしてやめさせようとヤッきになる。
ツッパリどもが、「白いくつ下をはかせろ」と生徒会に提案する。
いいこちゃんの生徒会はすったもんだする。
生徒大会で、白いくつ下が可決される。
子どもたちはみんな白いくつ下になる。

先生たちは、「こんどは、ツッパリたちが黒いくつ下をはいてくるにちがいない」と身構える。
一年たったが、何事もおこらない。
その学校の先生が、「ぼくらは、ほんとうに正しいと考えていることが、ほんとうに正しいのだろうか」とつぶやく。
……という実際にあったできごとである。

そうだ。ここが、ぼくらの出発点だ。