その47 子どものもたされる文化
きまた たつしろう
 我家の御世継ぎの小僧は、正月の休み中、キン肉マンの絵ばかり描いていた。ある夜などは「ラーメンマンが脳みそをえぐられて考える力もなくなっちゃっただに。」と、涙をこらえながら飯を食べていた。

 次の日、冬休みに子どもたちが書き続けた日記帳を、始業式の日の午後の教室で読んだ。法多山や小国神社へ「行った」ことを、たくさんの子が書いていた。すごい人出だったらしくて、どの子もびっくりしたようすだった。でも、「初もうで」という言葉は出てこない。

 近所のお宮さんはすたれてしまったらしい。自動車で、みんなと一緒のところへ行く。「お年玉」をもらいに親戚に行くのも「お年始」の雰囲気はない。まだ農村部のことなので、もちつきの話しは少しでてくるが、うらじろとりだの、しめかざりだの、書き初め、竹馬、羽根つき、そして凧揚げなどは「死語」に等しい。

 そんな日記帳のなかに、つぎのようなものがあった。
「午後から、たこづくりをやりました。はじめに、たけで、ひごを作りました。
でっぱっているところをけずるのがむずかしかったです。
そして、ほねぐみを作って、かみをはりました。
かみは、しょうじのかみをつかいました。
そして、つぎの日、たこをあげました。
そしたら、なんとかあがりました。
そのえは、しょうぎのばんとこまのえです。
えは、かわっているけど、たこはあがりました。」

これともうひとつ、七草がゆを食べた日記があった。こんな文は、もう貴重な部類にはいる。

 お正月という行事を、文化と考えてみたとき、今確実に、お正月が新しい形のものになってしまっている。お正月らしい「ことば」が子どもたちに風習と実体をもって、受けつがれていないのだ。これを、悲しいとかいけないとか評論家ぶっていてもだめなことで、日本の伝統文化そのものが庶民の段階で根本的に変えられているのだということを知る必要がある。

 年の暮れの新聞に、文部省が子どもたちの生活能力の点検をする準備をはじめたということがでていた。このことは、興味があったので、学級だよりにもとりあげた。教室で、その点検項目の案のいくつかを子どもたちにはなしてみた。

「自分の背の倍くらいは、木登りができるかな。」
「ぼくできないよ。だって、お母さんにおこられるもん。」
木登りなんてものは、近くの山に散歩に行ったりした時、先生がやって見せて、子どもたちは、下でうらやましそうに見ているだけのものになってしまった。学校の木に登る子なんていたら、それこそ、どやされる。
「ナイフでリンゴやナシの皮がむけるかな。」
「先生、そんなことするとあぶないに。」
「ふとんの上げ下ろしは、自分でやるかね。」
「先生、ぼくのうちはベッドだもん。」

もうだめ。世界がちがう。
ぼくの文化と、子どもの文化がちがうのだ。
でも、ぼくは、ぼくの持っている文化を、だいじにしながら、ひとつでも多く子どもたちに伝えたい。