その44 中学生とお祭り
きまた たつしろう
 雨ばかりふり続いて、一年生や二年生の子どもたちが、練習で一回もとびっこをしないまま本番になってしまった運動会も終わった。雨でスケジュールが少し狂ったけれども、秋祭りも過ぎていった。子どもたちはまだ、授業をしながら、机の上をドンドンなどとたたいていて、ぼくに、「きりかえ!」などと小言をもらっている。あのお祭りのさんざめきが、頭の中から消えないのだろう。まあ、それはそれでしかたがない。「夢中になる」ということはすばらしいことなのだ。

 子どもたちに、お祭りの前に、「あんたの地区のお祭りは、どこの神社のお祭りなのか家の人に聞いてきなさい。お母さんが知らないと言ったら、おじいさんや、近所の年とった人に、ぼくの家はどこの氏子(うじこ)かねって、聞いてきなさい。」という課題をだした。

 もちろん、子どもたちはこの時点で、だれ一人として、自分たちの住むところの「お宮」を知らなかった。伝承は完全にストップしているのである。子どもたちでなくとも、若いお母さんたちの中にも知らない人もあったが、引っ越してきて地元に深い縁のない団地に住んでいる人たちにはこんなことは関係のない事なのかも知れない。お祭りと言ったって、小さい子どもたちにとっては屋台より、参加すればもらえるお菓子のほうである。それでいい。

 近年は、掛川の各地のお祭りが十月十日を中心とした日にどこもそろってきてしまったので、掛川の町中に見に行くということが少なくなった。見に行くのは、推測ではあるが中学高校生くらいのものではないだろうか。ぼくの住んでいる団地も、ここ二、三年のうちに、お祭りがすっかり地元の行事としてできあがってきて楽しいものになってきた。神社もないけれど、それとは関係なく、子どもたちのためだということで、賑やかになってきた。

 ところが、子どもたちのためといっても、それは小学生までの話しで、中学生はさみしい。ことしの祭りは中学一年生の女の子が参加してくれただけで、男の子たちはさっぱり寄り付かなかった。

 お祭りの最終日の夜おそくなって、みんながまだひいている屋台のそばを自転車で通りがかった中学生をつかまえて、
「おい、おまえらもはいれ」とさそったら、
「ううん」というなんとも覇気のないなまへんじがかえってきた。
「でたあないだか」と聞いたら、
「別にぃ」という返事。

 これにはがっかりしてしまった。中学生も高校生も、地元の祭りに出たくてうずうずしているのかと思ったが、そうばっかりでもないようだ。くだんの中学生は、町の祭りを見に行ってきたのではなく、町の祭りのまわりをのぞきに行ってきたのだという。ぼくは、苦笑してしまった。

 となり町の中心部の中学生も、わざわざ農村部の方のお祭りにわざわざ参加するのだということをこの前知ったばかりだった。いったい、中学生や高校生は、祭りそのものに(ここが大事)参加したくてたまらないのだろうか。太鼓や笛の音が聞こえてくると、腰が浮いてしまうということがあるのだろうか。

 現代の若者の特徴は、自我の喪失無気力、甘えだと聞いたことがあるが、どうもそのあたりからもう一度考えなおしてみたい。