その42 子どもたちの「あれ」
きまた たつしろう
 「ひと」という雑誌がある。この雑誌の九月号(1983年)に、登校拒否の体験を語るということで、中学二年生から十九歳までの七人の子どもたちの座談会がとりあげられている。登校拒否を経験した本人の座談会というのやその記録が全国に流通する雑誌に載るのは、日本ではじめてのことだろう。

 それはともかく、「登校拒否」というものを、「ずる休みのひどいもの」位に考えている人も多いと思うが、それは全然違う。

 登校拒否は、現代の学校教育体制がつくり出した、人間の心をつぶしてしまうおそろしい病なのである。いまの学校体制がいまのようでなかったら、この病は絶対に日本には現出していない。

 この座談会の記録を読むと、「いかに先生に原因があるか」がはっきりとする。つらいことだが、登校拒否児は、先生やいまある学校体制が主としてつくりだしていることがはっきりする。興味ある方はぜひ読んでいただきたい。

 これまた雑誌の話しだが、今月号の「世界」が、教師の暴力について特集している。おぞましいほどの教師の暴力が、これでもかこれでもかとならべたてられている。

 学校の「あれ」について問題にするとき、今の学校のしくみと、そのしくみを「いやいや」だろうと何だろうとささえている先生たち(当然の事としてぼくも含めて)をぬきにしては語れない。

 先生たちの大部分は、いまの子どもたちの「あれ」は、自分たちに責任はない、またはあったとしてもいやいや加担させられているのだと思いこんでいるふしがある。

 このことの裏返しとして、教師の暴力はこの地域にも数限りなくあるのに、「当然のしごき」「故あるおしおき」「暴力とはちがう教育方法のひとつ」と見ていて、教師の暴力などないと思ったり、あってもごく一部のことだと信じている節がある。

 子どもたちの「あれ」についても、世間や政府も勘違いして信じている向きがある。自民党と文部省(とあえて書くが)は、今の子どもたちがあれているのは、日教組(日本教職員組合)のせいだとして、これまた信じ込んでいる。
 そして、「戦後教育」のせいだと言いはったりもする。日教組のせいだと言うのなら、二つの矛盾がでてくる。

・矛盾その一
 日教組のない、またはほとんどない栃木県や愛媛県、香川県などには、校内暴力や登校拒否や、その他子どもたちの非行は無いということになる。また、日教組の力がが弱い静岡県や愛知県などは、子どもたちのあれは少ないことになる。こんな子どもじみた理屈が見破れない大人はいないだろうに、信じている人は案外多い。

・矛盾その二
 子どものあれが、日教組のせいだというなら、教育は今、日教組に支配されていて、文部省や自民党には手出し出来ないはずである。このこともまた、事実は反対で、いままでの教育が文部省や自民党の意のままにゆれ動いていることは、多少なりとも戦後の日本の歴史や、教科書や教育制度のことを勉強した人なら、すぐにわかってもらえるだろう。