その41 ブスと美人とかわいいという物差し
きまた たつしろう
 ここに一遍の詩があるので紹介してみたい。

「あかちゃん」       やましたみちこ
おべんじょのそうじをすると
きれいなあかちゃんがうまれるのです
おかあさんがいいました
だから
みちもおとなになって
あかちゃんができたら
おべんじょをぴかぴかにしようとおもいます
だって
おにいちゃんはおとこまえです
みちのときは
おべんじょそうじしてくれなかったんかな

 この詩は、神戸の志里池小学校一年生の鹿島先生の学級の子どものものだ。一年生がこんなに力強い詩をものにするのにも驚かされるが、まあ、読んだ大人は、一瞬の後、ふきだすにちがいない。そのほほえましさが実にかわいいからである。しかし、ちょっとまってほしい。なんだか哀しくはないか。誰にぶつけることのできないほどのせつなさはないだろうか。

 一年生の子が、もう、自分の「きれいさ」をあきらめて?T我が子?Uに愛をたくす。いとおしいほどの気持ちではないか。最近、男女平等がすすんだと言われている反面、なんだか、ますます男女差別が奥深いところではひどくなっているように思われてならない。

 女の子のまんが雑誌、若い女性のための雑誌、みんな、「男にかわいくみられるために」がテーマになってきている。心の中味なんて、どうでもいいのだ。男に見てもらったとこの勝負だ。これは、へんである。中学校では、このごろ掃除をさぼる子は、女の子に多い、という話しを聞いた。表面の現象は逆だが、底流は同じことだとおもう。
 
先日、日本脳炎の予防注射につれていくというので、教室に、次々とお母さんたちが子どもを迎えにきた。そのあとの休み時間に、廊下を歩いているとぼくの教室の女の子たちが五、六人手をつないで、それも必死の形相で、ぼくのところに押し寄せ、ぶつかってきた。

「どうしただ?」とぼく。「いやね、やっきりしちゃう。」と女の子たち。「だれかに、いじめられたのか?」
ときくと女の子たちはくちをそろえて、「A君のおかあさんて、すっごい美人ね。」よほど、本能的にうらやましかったのであろう。

ぼくは、「Bちゃんのお母さんも、うんと美人じゃん。」となぐさめてやっても、「ふん」とか「先生お世辞いってもだめ。」だの、「Cちゃんも、かわいいじゃん。」とはげましてやっても、「わたしは、だめだもん。」などとか、「この前、先生、わたしんとこに、ふっくらしているって言ったじゃん。」と、火に油をそそいだだけになってしまった。

 こんな小さい時から、「ブス」「美人」「かわいい」などのものさしがしみついてしまっている。

それもこれも、男の勝手なものさしのためにである。