その33 ちいさな考古学者たち
きまた たつしろう
 ぼくの学校がある上内田には「岩穴」というめずらしい地名がある。読み方は「ゴモウ」である。漢字の使い方もめずらしいし、読み方もめったにない。土地の人たちは「ここには、大昔の人の住んだ岩穴がある。」と言っている。人類が洞穴に住んでいたのは何十万年も前のことで、そのころ、ここの上内田なんかは海の底だったに違いないし、「日本の国」だってあったはずがない。しかし、土地の人たちの話では、山の中腹にいくつもの穴があるということである。古代史に詳しい先生に聞いてみたら、「それは、きっと横穴古墳だろう」と言う。古墳なら三世紀から七世紀ぐらいの古さだ。お墓ということなら人が住む空間は無いように思える。岩穴地区の東は、すぐに菊川町になる。菊川には「ばくち穴」とよんでいる横穴古墳がたくさんあるということである。

 県の文化財の分布地図を調べてみた。ここの上内田地区は、なんと調査されていない空白地域であった。それなら、古墳を探してみようということになり、授業として子どもたちと一緒に出かけてさがすことした。子どもたちは大はりきりである。しかし、古墳に関しては先生も子どもも、まるっきりのシロウト。どこにあるのか、どういうものなのか、全くもって雲をつかむような話のなかからの行動がはじまった。

 この土地に生まれた時から居るおじいさんは、「わしゃ、子どものころ、その穴の中に入って遊んだことはあるが、いまはそこまではとてものぼれんなぁ」という。おなじ地元の人で山歩きや畑仕事をしているすこし若い元気のいい人は「そんな穴なんか見たこともないなぁ」という。いろいろ聞き込んで、これは一度や二度ではとても見つからないと思った。

 体育の時間を利用して、何度も出かける。山の中を歩き回る。草が多くて地面さえ見えない。ましてや穴などはまずそのままでは見えない。これは大変なことだ。山の下草を刈った頃でないと見つけにくい。そのため、地区の草刈りがはじまるまで何ヶ月も待った。

 下草が刈られたある日、ようやくのことで一つ見つけた。山の斜面の穴を探すのがこんなに大変だとは思わなかった。始めの頃は、山芋掘りの穴でさえもみつければ真剣になってしまう。でも、今回は山芋の穴ではない。何となく違う感じがした。穴は大きいし、手前にはテラスらしく感じるものもある。続いてもう一つすぐ横で見つけた。写真に撮って、専門の先生に見せて、様子を聞いてみる。

「これは、間違いなく横穴古墳です。」

子どもたちは大喜びである。千五百年もの前の人のお墓を見つけたのだから、あたりまえである。古墳の作られている状況がしだいにわかってきた。山の中腹で、下には田んぼが見えて、南向きで、手前はテラスみたいになっていて、人が入れるような穴でと、なんとなく、子どももぼくも見つけ方のコツがわかるようになってきた。その後は、トントン拍子に、いくつも見つかるようになった。「岩穴」から、学校の近くにと、さがしながらせめてくる。校舎のすぐ裏でもあったらしいが、その穴はもう埋められているという。しかし、当時掘り出された土器は、近くのお寺にあるという。

 その話を調べたり聞いたりして、お寺に行ってみた。子どもたちと一緒に土器を見せてもらって、みんな感激して学校に戻った。

 そんなことでいよいよ力が入ってきた。こんどは、学校の裏山で探索開始。このごろでは、子どももイッパシの考古学者のつもりで、山の中腹を鉄の棒でつついている。子どももぼくも、まだ掘り返されていない、なにもつぶれていない横穴古墳を一つだけでもいいから、見つけたいとはりきっている。

この子たちが卒業前に見つけたいが、果たしてどうなるだろうか。