その30 いろいろな夏休み
きまた たつしろう
 ことしは妙な天気の夏休みである。本来の感じなら真夏だというのに、秋の空と暑さがいっしょにやってきている。赤とんぼのアキアカネが夏休みのはじめから舞っている。本格的な夏の暑さがこないと、大人たちは田んぼの稲の生長を心配したり、宮沢賢治を思ったりするが、子どもは、暑かろうが稲の生長が悪かろうがそんなことはどうってことない。気のおもむくままに毎日の夏を楽しんでいる。近所の友だちが、りっぱなカブト虫を持っていれば「そのカンブー(カブト虫のこと)はいくらしたぁ」といった調子である。笑ってはすませれないが、その会話の続きが悲しくも面白いので書いてみる。

「これ買ったんじゃないよ!」「そいじゃ、どうしたんだ?」「採ってきたんじゃん。」「どこで?」「ばっか、山に決まっているじゃん。」「へぇ、カンブーは山にもいるのかぁ。」これはほんとうにあったお話ですよ!。

このごろでは、カブト虫の幼虫も売っているのである。幼虫どころではなく、落ち葉のいっぱい入った土や、ご丁寧に木を短く切って、上に穴をあけたものまで、ちゃんと売っている。この穴には蜜をおくのである。なんとまあ、あいたくちが…。いたれりつくせりなのである。

 ぼくの学校の校長先生は、木の根元に枯れ草をいっぱい積み上げて、カブトやクワガタにいっぱい卵を生ませて、学校に自然をとりもどそうと努力している。「学校を草一本ないようにきれいにするのはまちがっている」と主張している。ぼくもこのことは大賛成である。しかし、子どもたちは校長先生の大演説(!)を聞いても、あまりのってこない。そればかりか、木の根元の積み上げられた草をのぞいてカブトが卵を生んだかなとさがしている子はいない。一年がかり二年がかりで自然をとりもどすのより、町のお店に行けば一度にして幼虫から土まで買い込めるのである。さみしい話である。

 しかし、希望はまだあった。先日、ソフトの練習をしていたら、ベンチの横で、セミが脱皮をしはじめた。子どもたちは次々と集まりセミのまっ白な羽が見る間に色づいていくのを、目をきらきらして見ていた。そしてそのおどろきを、感動をもって話し合っていた。

 夏休みのはじめに、五年生と六年生を集めて今年もまた学校で宿泊訓練をやった。その中で、半日をつかって「手づくり工作教室」を開いた。グループに分かれて、何を作るのかを決めてもらうようにした。ミニチュアのいかだをつくるというグループがあったので、ぼくはその計画があまりにもちいさかったのでハッパをかけて、「人間がのれるいかだを作れや」と言ってやった。そうしたら、子どもたちは「どこに浮かべるんだぁ。」と不思議そうにたずねた。「プールに決まってんじゃないか。」とぼく。子どもたちはいぶかしげに、「プールに浮かべたら、校長先生におこられやせんかねえ。」という。ぼくはすかさず「ば〜かぁ。先生がやれと言っているんだぞ。」ふたたび子どもたちは「ほんとうにいいかや〜」と、まったくしまらない。

 こんな雰囲気で、なんとかいかだの設計も終わり、お父さんたちが小型トラックで竹を持ち込んでくれた。しかし、こどもたちは竹がうまく切れない。ようやく切ったと思ったら、こんどは竹に穴をあけようとした。ひもを通すためだという。おいおい、そんなことをしたらせっかくの浮かぶ竹に、水が入ってしまうではないか。あわてて、やめさせて、ひもでしばるように工夫させた。

 おおさわぎの連続で、ようやく完成。みんなで担いでプールに浮かばせた。さあ、だれが先にのるんだ?というと、子どもたちは最初はいやだとかなんだとかいってこわがって誰ものらない。ここでも、最初は先生がためしに乗るはめに。大人が乗っても上手く浮いている。それからあとは大喜びである。子どもたちは自分たちで作ったはじめての竹のいかだに交互に乗り、もちろん大騒ぎ。こんな時間はほんとうに楽しい。
いつまでも歓声がプールに響いていた。