その23 デジタルゲームに思うこと
きまた たつしろう
 正式にはなんと言うのか知らないが、世間ではデジタルのゲームが流行っている。教室の子どもたちも、三人に一人位の割合でこのゲームを持っている。お正月にもらったお年玉で買った子は、女の子に多い。男の子の多くは、正月前に親にねだって買ってもらったようだ。中には、二台目、三台目という子も出て来ている。少し前に大人たちに大流行したインベーダーゲームみたいなものが、いまでは子どもの勉強机の上や、休み時間の教室の中にやってきたというわけである。

 このゲームは、一台が四千円、六千円、中には一万円というものもあるのだそうだ。日本の「科学技術」、「エレクトロニクス」のおかげで、たったの二年くらいのうちに、二十万円のインベーダーゲームが子どもたちのランドセルの中に入ってしまったのだからそれはびっくりする出来事だ。これは、パチンコ屋もつぶすにちがいないとか、今度のゲームのブームは今までのものと根本的に違うから長続きするとか、東京の評論家のセンセイたちがおっしゃっていたインベーダーゲームもなんのことはない、いつものはやりのゲームのように潮が引くように去って行った。だから、今流行っている今度のバクダンマンやその他もろもろのゲームもいままでの例に習って、同じ運命をたどるに違いない、と思っている。

 大人たちやぼくが、どうやっていいか解らないうちに、十点だの三十点だので終わってしまうこのデジタルゲーム。子どもたちは苦もなく何千点だの一万何千点というレベルでこのゲームをやっている。何の事は無い。このゲームで高得点を得るには脳みそはいらないのである。電池代を出して、指が覚えるまでやっていればどんどん点数は進むのである。ICチップの中の世界の中だけでおどらされているのだから、何千回やろうと、きっと決まった動きしかしない。その動きを、何回も何時間もやってからだ(指先)でおぼえていくだけなのだ。

 そこでぼくは、教室にオセロゲームを持ち込むことにした。オセロは二人で行うゲームだ。単純だがゲームとしてはなかなか奥が深い。数字で言えば、シェーマである。いわゆるタイル図である。ほんらいなら数字の理解の助けになるようなものなのだが、助けになるどころかオセロはそう簡単ではないことに気がつく。大人のなかには、「あれは打ってはいけないところがあって、それさえ気をつければ簡単なゲームだ」などと物知り顔で言う人もいるが、どうしてどうしてそんな簡単なものではない。脳みそを動かすほど、深く広がる。

また、教室でのこのゲームは、費用もさしてかからない。紙に鉛筆と定規で升目を書く。それをコピー印刷してやって子どもたちが毎日給食で飲んでいる牛乳のふたをためておけばゲーム材料は何組でも用意出来る。簡単だ。この牛乳瓶のふたは丸くて表と裏がはっきりしているのも好都合だ。

 ということで、教室に升目を印刷した紙を用意した。牛乳瓶のフタは、学校で一日に二百個以上捨てられていたのを子どもたちが各教室からもらい歩いて集めた。そして、ぼくの教室は碁会所ならぬ「オセロの会所」とあいなった。

 子どもたちははじめてのもの、特にゲーム性のある遊びにはめがない。オセロも単純でだれでもわかるルールなので遊びやすい。自分だけの世界ではなく相手があるので、教室の中がむきになってくる。

 さいしょは赤子みたいなもので、何連勝もしていてハナを高くしていた子が教室では一番弱いといわれている子に、ころっと負けたりしていた。子どもたちは熱中し、脳みそがどんどん動きはじめた。そのうちに、とてつもない差がつきはじめた。どんな子が強くなったか、どんな子が「デジタルゲームなんか、ばっかみたい」と言うようになったか、みなさんには、見当がつくとおもう。