その20 地域の秋祭り
きまた たつしろう
 秋が近づくにつれ祭りの準備がはじまる。今年も同じように事が運び時が過ぎて行く中、「掛川市街のお祭りの見物客が、年々減っている」という話をきいた。う〜ん、なるほどと思った。ここ数年、どこの地区でも地元で祭りをしたくて、こっちあっちと屋台を造っている。そして十月十日の体育の日あたりにお祭りをやるようになってきた。地区の祭りはだいたいが街中と同じ日程になる。「祭り見る馬鹿、やらぬ馬鹿」その言葉のように多くの地区がなってきた。

 四年に一度の大祭の時には全国から見物客が集まりにぎわいを増すが、その間の祭りは市内や近郊からの見物客がほとんどなので掛川の街の中のお祭り見物をするひとが減っていく道理である。「伝承遊び」などを重視するようになってきている学校の職員室から見れば地区ごとに行われる祭りはうれしいことである。

 ぼくの勤めている学校のまわりでも、ここ三、四年の間にどんどんと屋台が造られて、今年はとうとう全部の地区にそろった。早い所では、九月になってすぐに、太鼓の練習がはじまった。

 祭りと同じような時に行われる体育大会の直前の子どものスケジュールは、超過密である。体育大会の準備と練習で、いつもより遅い下校時間。日によっては、ピアノやそろばんや習字のおけいこ塾が二つもかさなる子がいる。

 家に着いたら次には学校から出される家での勉強。そして、夕食をかっこんで、すぐに地域のお祭りの太鼓や踊りの練習に出かけて行く。学校から出された勉強を明るいうちにやりそびれた子は、祭りの練習から帰って来て九時半すぎになって、やりはじめる。この時期、学校での子どもたちは、あくびばっかり。先生は、うっかりしていると、吸い込まれそうになる。たまに、子どもたちに元気が出て来たと安心していると学校でも祭りのことから離れられないので授業中でも、便所の中でも、給食時間でもところかまわず机や壁が太鼓代わりになって、やかましくてしかたがないということがよくある。

 ぼくは、太鼓の練習がはじまった九月から、子どもたちの書くお祭りに関係した日記を、お祭りが終わるまでに何百も読ませてもらった。

 子どもたちなりの生活のいそがしさや、太鼓のリズムのとりかたのむつかしさや、家での勉強をへらしてほしいという要求などは、たくさんの子が書いていた。お祭りが終わってから、他町内と屋台がすれちがう時は、緊張しただの、屋台を曵いてねっているうちに、田んぼに落ちただのというような話はどの子も書いてあった。

 しかし、「お宮さん」「みのりの秋」「何をおまつりするのか、何をお祝いするのか」などについては、だれ一人書く子はいなかった。お祭りもまた画一化してしまったのである。

 地区の屋台を造って、太鼓をたたいて、ねってただ大騒ぎするだけになってしまったのではないだろうか。日本全国、どこにいっても同じ番組を見ているテレビのようになってしまったのではないのだろうか。
「今日は、あのお宮さんのお祭り」などという感覚はなくなってしまってきている。テレビもこの感覚といっしょ。などなど…となると、できあがっていく子どもとしての人間もいっしょということになる。極端にいえば、校内暴力でさえも全国画一化されて、いっこうに不思議ではない。いや、実際にそうなっている。

 地域の祭りから大人たちや子どもたちが見えてくる。本来の祭りが姿をどんどん変えていく。これも伝承されて行くのだろうか。