その17 ことばの病気
きまた たつしろう
 京都の先生たちの受け売りも含めての話。ことばは、人と人とのつながりを深めたり、物事を見つめ、そして味わい、より人間的なくらしを作り出し、真実を見抜く力、思考を深める道具であると、ぼくは思っている。つまり、簡単に言えば、ことばは、子どもも大人もことばでしかくらせないし、思考もことばでしかつくり出せない。先生が受け持ちの子に、ちょっと肩に手を触れただけで「どエッチ」と叫ぶ子がいる。もちろん先生にはそんな気持ちは少しも無いのだが、この子のすべてのくらしと感じ方が、そういうことしか感じられない仕組みとくらしをしているのである。つらい言い方かもしれないがこの子自身が最も「どエッチ」なのである。

 そこで、このごろの子どもを言語生活の上から分類してみた。決して、大げさではない話である。

 その一、「カタコト病」
単語だけの会話。頭の中には、ひとつのことしか浮かんでいない。順序や関係がつながっていない。たとえば、こどもが、お茶が欲しいと思った時に「お茶」としか言わない。お母さんが「お茶がどうしたの?」と聞くとこどもは「ちようだい」と言う。お母さんは「も〜う、はっきり言ってよ。」となる。

 その二、「ブツギレ病」
ことばがブツブツ切れて、さらに、切れたことばのさいごをのばすくせのある話し方。最近は若者にも多いようだ。こういう話し方の方がカッコイイと思っていたりする。「それでぇ〜、 きのうのぉ〜〜、 …」などとブツブツ切って、のばしていく。聞いているとイライラしてくる。

 その三、「心因性ちゃかし病」
気にしない気にしない。関係ないよ。どうでもいいよ。まあね。などと、人の話を聞きながら、ちゃかしたりそらしたりする病気。困って話しかけてくる人や、くやしがって誰かに話たい人や、悲しくて話を聞いてもらいたいひとの心の中には決して入って行けない病気。

 その四、「大げさ病」
ズデライ、どアホ、どエッチ、ブッコロスゾ、ゼッタイニ…、シヌ〜、ボケナス、などの大げさなことばをポンポン出す。こんなことばを使っているうちに、心の中も大げさで単純になり、びみょうな中間のあたたかい心がどんどんなくなっていく病気。

 その五、「流行性口癖炎」
はやっていることばをすぐにまねをする口の炎症。ナウイ、シラケ、ミジメー、ナンチャッテ、ダサイ、ノーパンキッサ、校内暴力、などということばが小学生の口からポンポンでてくる。時々は人を楽しませることもあるが、一つ覚えでくりかえしていくと、おかしなことばづかいになる。それこそ、シラケてくる。

 その六、「ぜんぶ友だち症候群」
敬語失調症のこと。先生や近所の大人たちにも平気で、「ネエ」「オイ」などと話しかける。親近感があっていいのだが、どこかおかしい。

 このように、子どものことばの病気は、親だけとの会話ではなかなか見つけにくい。ましてや親の前ではあまり使わない子が多いのでよけいに見つけにくい。だがしかし、現実としてどの子も多かれ少なかれ、いくつかのことばの病気にかかっている。親は、我が娘が「このバカヤロー」などと男の子をどなっているのを決して聞いたことがないので安心しきっているのだが。