その16 あっけらかんの男の子たち
きまた たつしろう
 教室の男の子たちは、あっけらかんである。もちろん、学校だけではなく、家出も遊びでも毎日の生活そのものが、あっけらかんなのである。だから、思ったことを思ったとおりに、実行する。

 今の世の中、男女差別そのものであるから、へんにフィルターを通して物を見る必要など男の子たちには、さらさらない。先日も、テレビドラマで人気のある俳優にファンレターを出したというある男の子の日記があった。友だち同士で出したようだが、その内容は…

「歌手の水谷豊にファンレターを書きました。電話をかけようとしたら、出なかったからです。お父さんは、水谷豊なんかにファンレターを書いても返事がこないから、きまた先生に出せばいい、と言っていますが、ぼくたちは、ハンカチにサインをしてもらいます。サインの入ったハンカチを楽しみにしています。」
「ぼくたちは、四人でファンレターを書きました。いろんなことを書きました。がんばってください、とか、ファンの人数とか、そういうことを書きました。さいごに、ハンカチにサインをしてください、と書いておきました。書いてしまったので『熱中時代』を見ました。」
ずいぶんと、あっけらかんである。水谷豊から返事も、サインも当然くるものと信じているのである。

 でも、子どもたちは、心のどこかで、「熱中時代」のテレビドラマの中の水谷先生と、現実に教わっているぼくとを重ね合わせて見ているのではないのか。テレビに出てくるあんな先生であってほしいなぁ、と思っているのだろう。子どもたちには、本当に申しわけないことである。でも、ぼくは、「熱中時代」の水谷先生は、「好きだが、あんなふうにはなりたくない」のである。子どもたちにはこのことは話していないが、これもまた申しわけない。

 それでは、女の子たちはどうなのであろうか。女の子は、いまは娘時代の入り口でもあるし、さっきの男女差別の今の世の中の反映としても、当然のこととして、もっともっと、ビミョウなのである。男の子と同じように、その辺が日記や会話にでてくる。たとえば…

「私が、松田聖子スキ!」と言ったら、○○ちゃんは
「よくじゃん、聖子なんてキライだやぁ。ポスター持ってるで、やるよ。」と言ってくれました。
「私は、松田聖子がキライです。」
「なんか、顔を見ていると、悪口を言いたくなってきます。」
「ピッタシカンカン(テレビ番組)を見ていたら、ゲストで松田聖子がでていた。お父さんが、かわいいねぇ。と言っていたので、わたしはむかむかしてきた。なんにもかわいくないじゃん。かわいくなんかないよう、ふん!お父さん。なんだ、聖子ぜったいにかわいくありません。かわいいね、かわおくないねでもめごとになっちゃった。ふん、だ。」
というぐあいに、男の子たちとは正反対な感覚。

 たとえば、今を席巻しているピンクレディのように、マス媒体の中で、完全に「からくり人形」や「こどものおもちゃ」のように扱われてしまえば別だ。そこも見抜いている。しかし、そこまでは行き着いていないアイドル歌手といわれる歌手たちは、どうも女の子たちに反感をかってしまう。あたりまえのことである。だれが、アイドルとして扱うのか。男に、なのである。それを、小学生の女の子たちは、本能的に感じている。みんなが、いや、男が、ちやほやするたびに、「やきもち」をやくのである。そして、そのことがおこれてくるのである。

ちゃんと、理屈の立つ、正しい話である。