その3 春、一年間の仕事のはじまり
きまた たつしろう
 小学校教師の春休みはほとんどの教師が胃が痛いのではないだろうか。ぼくもいろいろ考えたり悩んだりして、この時期は何時にも増して、胃が痛い。前年度に受け持った子どもたちには、修業証書 (このごろは形式的になっていて、通信簿のうしろに刷りこんであるのだが)をわたして、「さようなら」を言う。子ども達と業務的なお別れをしてから直ぐに学内の教員異動がひかえている。その暫くの間、次の「おまんま」のたねの子どもたちが、いったい何年生なのかさっぱりわからないのである。だからぼくは胃が痛むのである。

 ぼくが教師になりたての十数年前は、受け持ちの決定は、まだ、職員室のみんなで話し合ってしていた。みんな、それぞれの強い思いが有り、かんかんがくがくで、話し合い、要望を述べて徐々に妥協し納得しながら決めて行く。それだけで一日かかった。

今はちがう。一応、希望はだすのだが、校長先生が「お決め」になって、四月はじめに「発表」されるだけである。だいたい、同じ子ども達の担当は二年間位だとか、人間関係だとか、男の先生や女の先生のことだとか、いろいろ考えてはくれるのだろうが、こうして、まあ「発表」されてしまえば、もうそれは「決定」なのである。

 その「決定」があった。ぼくはとにかく、こんどは四年生を受け持つことに「決定」した。その「決定」にはいろいろ言いたいことはあっても、いざ始業式の日、子どもたちの前に立って、「よろしくね、なかよくがんばろうね。」とあいさつしてしまえば、もう、心の中は、その子どもたちのことで頭いっぱいである。イッパイやりながらでも、ねかんべでも、「ああやってみようか、こうやってみようか。」と。もう、その子どもたちのことだけである。前の子どもたちと泣きながら別れたとしても、四月になってしまえば、もうつぎの子どもの事であたまがいっぱいになってくる。冷たいものである。教師とはつくづく因果な商売だと思う。今年担当するのは四年生。会った子どもは三十人。この組も男の子たちが、前に担当した組と同じように、ぐんと少ない。

 毎年のことだが、始業式の子どもたちの前での受け持ち発表はおおさわぎであった。

発表を聞いて思っていた先生だとおおよろこびする子、
「なあんだ。またおなじ。」とか、
「おら、いやだい。」などと残念がる子。
くわしいことを書くと、他の先生方との関係もあるので、さしさわりがでてきてしまうので書けないが、やっぱり、受け持ち発表を聞きながら子どもたちが一喜一憂するのはいいことだと思う。

 なかにはつらい先生もでてくるだろうが、このことは、子どもたちの思っているぼくたちへの「ほんものの勤務評定の一つ」なのである。
 ぼくたちはどの組を受け持つのかはとっくにわかっていたが、きょうまでわからなかった子どもたちのこれから一年間暮らす担当がこの始業式で決まった。
 四年生の教室へ子どもたちを先に入らせる。
 ぼくは職員室に寄って、少し後から遅れて教室にいって見ると、子どもたちはおもいおもいに勝手な所にすわっている。男の子は明るい窓側に、女の子は暗い窓側である。

 いつも廊下で会う元気のいい子は前の方に、運動場のすみの方でさみしそうにしている子は、やっぱりうしろのすみである。

 この子どもたちの心の中を、一年かかってどこまで解き放つか、このあきらかな男女差別にどういどむか。これが、これからのぼくの一年間の大きな仕事なのである。