その2 がんばれ五年生
きまた たつしろう
 二月、三月と小学校の五年生は目の玉のとびでるほどいそがしい。この春卒業していく六年生から「学校」を引きついでいかなければならないからだ。

 ぼくの学校の五年生は二十人。卒業して行く六年生は三十七人。したがって、小さなたよりない五年生が、大きな声がわりしたり胸の出はじめた六年生から、一人で二人分の「学校」の荷物を受け取るというカンジョウなのである。

 ぼくは「学校」を引きついでいく事の重大さを折にふれ時にふれ説明していったが、なかなかズシンと子どもの心の中におちていかない。みんな、のんびりとしたものである。

 七人の男の子たちは、冬のからっ風が大きらいな風で、太陽が輝いていても外には出ないで、休み時間のたびに、教室のうしろの狭いところで、「いっぽさんぽ」(石けり)の遊びをやっている。地面なら石を投げても土が力を吸収してくれるが、床だとそうはいかない。石は床に当たり跳ねるのでうまくいかない。試行錯誤で石をくさりに代え、くさりを投げつけている。線は書かなくても、木のタイル床のつなぎ目がそのまま役立つ。十三人の女の子は、机のまわりをとりかこんで、こちらは元気よくトランプである。

「それ。いくぞ。」「やられたあ。」てな具合である。
女の子は、男の子たちが夢中になっているいっぽさんぽなんていう昔の女の子の遊びには見向きもしない。ぼくは、事務をしながら、どなる。
「やい、女の子、もっと静かに遊べ。やい、男の子、もっと大声でどなって遊べ。」
そうすると、女の子の何人かが、期せずして、ぼくをにらみつける。
「いいだあ。そういう男の子を育てたのはだれですかあ。」「男女差別反対!」
それでも、なんでも、六年生の卒業は近づいてくる。三月がすぐそこにやってくる頃になって、ぼつぼつ、エンジンがかかりだした。
「先生、六年生を送る会のお花をつくる紙、買ってくれたかね。」とか、
「こんどの通学区会の区長はだれにしたらいいと思う?」などという話かふえてきたのである。

 五年生は六年生からもらう荷物はたくさんある。学校によってのちがいもあるが、ぼくのところでは児童会や奉仕活動的な委員や、通学区の役員などの仕事をおぼえて、四月からすぐに最上級生として動きまわれるようにしておくこと。六年生を送る会などいうような行事を組織して、六年生に、卒業おめでとう、お世話になってありがとう、これからもいっしょにがんばろうね、などという気持ちを伝えること。卒業式の式場などの準備をしてやって、式には在校生の代表として参加していくこと。などなど。たくさんの荷物がある。

いまの五年生がこのような実にさまざまな仕事をやりとげていくうちに、「かっこいい小さな六年生」が出来上がっていき、四月から小さい子どもたちを引っぱっていける、というしくみであるが、理屈と現実はなかなか合致しないのである。六年生に送るプレゼントひとつ作るにも大さわぎ。一人が二人分用意しなければならない。会場にとりつける折り紙のくさりや花などを作るにも、去年なみにしてあげるとしても、人数がすくないので、去年の倍の時間がかかる。事の重大さが日に日におしよせてきて、やっと気がついてようやくかかったエンジン。その中で、ふうふうしながら、
「わたしら、不幸な星の下に生まれてきたやあ。」と、なげくはめになったのである。