その1 ぼくの教室は三階
きまた たつしろう
 ぼくの教室は三階。いつものことで、毎朝職員室から両腕に束の教科書と資料をかかえ教室に向かう。職員室から少し離れた階段を登りきってからすぐの教室がぼくの担当する五年生の組だ。

 教室の後ろの入室戸にはめてあるガラスの向こうの教室の中に子どもたちのうしろ頭のならんでいるのが見えるまでは、自分の受け持ちの子どもたちが、今日みんな登校してきているのかどうかわからない。

 ぼくの担当する組は、廊下に響き渡る子どもたちの声や、ふざけていたり、ざわめいていたりする物音がほとんど聞こえない、というぐらいに静かな学級である。生徒は五年生、二十人。しかも、男の子が七人で、女の子が十三人。いまから十一年前のこの村に、どうしてこんなに神の摂理に反して、たくさんの女の赤ちゃんが生まれたのかは、産婦人科のお医者さんとは縁遠いぼくには、さっぱりわからない「不思議なこと」である。「不思議なこと」であって、生科学的な解明はできないことでもこの子ども集団が、ぼくの受持ちの子どもたちである以上、男の子の二倍近くも女の子がいるということは、すべての教育に影響を持つし、関係どころか大関係を持ってくる。しかも、その三分の一強の貴重な存在である男の子たちが、当然ながら、皆それぞれいろとりどりときている。

五年生になっても、体重が二十キロをすこしこえたばかりの、まだ一年生みたいに体つきが小さな男の子。ぼくがちょっとおこれば、すぐにメソつく男の子。女の子に○○をけっとばされた!と、ぼくに泣きついてくる男の子…。彼等は彼等彼で精一杯に生きていることは生きているのだが、「生彩」がほんの少したりないのである。そればかりが原因なのではないが、この朝のように、いつも教室はおとなしい。ぼくは教師としてそんな教室に不満で、いろんな手で子どもたちを燃やそうとするが、なかなかもえない。

 しかし、ある日の社会の勉強のときにこんなことがあった。いまの国内の工業地帯や、大きな都市で起こっていることを学んできた「公害」の学習も、そろそろ終わりに近づいた。もちろん、子ども達はみな公害の被害などや実際に見てきたとかの体験は無いが、学習を通じて公害のあるところと、自分たちの住んでいるところの生活やまわりの自然のちがいや、いま暮らしている所の良さを感じ始めていた。
 数分間の自由雑談をする時間をとった。さっき初めて知った事について、子ども達が後ろを向いたり横を向いたりしてし話し合っている。

「どうも公害は都市に多いようなのでみんなで約束しあって、将来もこの村にすもうじゃないか」 と男の子は男同士、女の子は女同士それぞれみんなで話し合いだした。都会は酷いとか、この土地を出ないで、みんなでここに住むんだ。ということのようだ。そしたら、きみ子が突然立ち上がって言った。

「でもねえ、私、この組の男と絶対に結婚はせんに。」
「たよりないもん。」

女の子はみな同意したようにうなずく。男の子は、にやにやするばかり。ぼくはその様子を期待しながら見守っていた。きみ子はちょっとしたリーダーの風格があるが普段は威勢を張ったりはしない女の子。こんどもいつものように言ったようなのだが、まわりから議論は始まらなかった。男の子たちは、相変わらずにやにやしている。教科書をひらきはじめてぱらぱらページをめくっている子もいる。おいこら。男の子!そこで怒って立ち上がれ。男の子たちの誰か、いや、男の子たちみんなで反論するのを待っていたのだが、時間が切れた。チャイムがなり、すこし、ざわつきはじめて、すぐに静かになった。
 これでは、男女平等の教室は、当分先の話である。