自主上映「竜馬暗殺」 蒼生舍--岡本善達さん
Vol.68 1985.11号掲載 
坂本竜馬生誕150年 自主上映「竜馬暗殺」

11月24日(日)午後2時30分〜/午後6時3
0分〜(2回上映)
会場:ライブハウスひょうたん島(¥1,500ドリンク付)
主催:蒼生舍(代表:岡本善達)


映画「竜馬暗殺」1974年ATG作品
坂本竜馬生誕150年
蒼生舍5周年記念特別自主上映
監督◆黒木和雄
脚本◆清水邦夫、田辺泰志
出演◆原田芳雄、石橋蓮司、松田優作、桃井かおり他



この映画は竜馬が暗殺されるまでの3日間にスポット当て、幕末の青春と性と政治に、大胆な仮説を提出しようとするものである。坂本竜馬を原田芳雄、中岡慎太郎を石橋蓮司、近江屋の娘を桃井かおり、幡の弟右太を松田優作が演じている。
〈あらすじ〉

11月13日、氷雨の下、京の街並を走り抜けていく男がいた。「酢屋」から「近江屋」の土蔵へ身を移す。竜馬と呼ばれる男だ。新しい時代を求めて、抗争と内紛の絶えなかったこの頃、身の危険を感じての逃亡だった。しかし、近江屋へ移った竜馬は、意外なほどノンキにかまえていた。彼は、すぐ隣の質屋・叶屋の離れに囲われている女、幡と知り合い、急速に接近する。そんな竜馬を狙わざるを得ない立場に追い込まれたのは、かつての同志、陸援隊隊長の中岡慎太郎である。慎太郎には、酢屋の娘の妙という恋人がある。竜馬のかつての恋人だ。こうした奇妙な関係に、もうひとつの青春が登場する。竜馬を狙うテロリスト、右太である。そして、この少年は幡の弟だった。

11月14日、竜馬は慎太郎に会う必要にかられ、女装して“ええじゃないか”の群れに身を投ずる。そんな竜馬に密着して、殺す機会をうかがう右太。

11月15日、この日、土蔵から近江屋の二階に移った竜馬と慎太郎は、何者かの手にかかって暗殺されるのだ。“竜馬暗殺”を目撃した唯一の証人幡は、折から叶屋になだれ込んだ“ええじゃないか”にまぎれ込んで、二度と姿を現すことがなかった。
〈坂本竜馬〉                 蒼生舍代表 岡本善達


幕末という激動の時代を駆け抜けた「早すぎた革命家」坂本竜馬は、1835年(天保6年)11月15日土佐藩高知城下に生まれ、1867年(慶応3年)11月15日33才の誕生日に暗殺されたのである。この年の竜馬の動き追ってみよう。

竜馬は、土佐勤皇党を弾圧した後藤象二郎と結び、「亀山社中」を「海援隊」と改名し、隊長となる。そして中岡慎太郎と共に「薩土盟約」を成立させ、後藤を通じて山内容堂に、幕府に対して「大政奉還」を建白するように働きかける。この間、大政奉還後の新政府綱領たる「公議政体」を基本とした、「船中八策」を書く。同じ頃「薩・長」は倒幕の密勅を得るが、徳川慶喜(第15代将軍)は、大政奉還を行い、討幕派の先矛をかわす。それから一ヶ月後、京都の近江屋で中岡と共に、暗殺者の凶刃に倒れる。

その後、討幕派は王政復古のクーデターを成功させ鳥羽伏見の戦いの勝利へと歴史は動いていくのである。竜馬は33才の若さで生涯を閉じた。だが、幕末の志士達は多くが若くして倒れていった。例えば吉田松陰(30才)、橋本佐内(26才)、高杉晋作(28才)、久坂玄端(24才)、中岡慎太郎(29才)と。幕末という動乱と変革の時代は、青年達が熱い想いと、若いエネルギーを燃焼させ、旧体制に激突し、傷つきながら、新しい思想と社会を引き寄せていったのだ。

ところで、竜馬は何故、暗殺されたのだろうか。残念ながら現在のところ“真実”は霧の中でハッキリしないといったところだろう。だが歴史学界では、定説というものがあり、一応「見廻組説」が有力である。しかし、他にも諸説があって、例えば「薩摩黒幕説」「新撰組説」「紀州派説」、最近では、「土佐内部説」(後藤象二郎黒幕説と佐幕派上士説)がある。これらの事からもわかるように、当時の状況では、竜馬が佐幕派、倒幕派双方から、あるいは攘夷派からも狙われて、不思議ではなかったということである。

孤独の長距離ランナー・坂本竜馬は、権力争いのみにとらわれている者達にとって危険な思想家だったのか?常に時代の先を歩んでいた先覚者の悲劇だったのか?郷士の分際でやり過ぎたのか?それとも彼の思想は余りに民衆に近づき過ぎたのか?多分これら全ての要素が彼をして暗殺にいたった理由ではないだろうか。

竜馬にとって、大政奉還も、新しい時代(近代的民主制統一国家)を建設する為の手段であって、目的ではなかったのだ。竜馬は、大政奉還をしたからといって、単なる平和革命論者という事にはならない。実際、彼は海援隊の手で、新型ライフル千三百挺を買い込み、土佐に送りつけ武装を要求しているのである。その上、薩長同盟・薩土盟約に見られるように「薩長土」を連合させて、軍事的圧力を、幕府に向けているのである。このような背景があったればこそ大政奉還も実現したのではないだろうか。だが、竜馬は大政奉還の中味に満足してはいなかった。討幕の密勅がバレて、大久保利通らが京を逃げ出す頃、すでに討幕後の新官制を討論し、文書化していたのである。竜馬の構想として、「大政奉還」→「王政復古」→「討幕」という戦略があったのではないだろうか。坂本竜馬の思想と行動、そして死は現代の我々に何を問いかけているのだろうか!?