活動は社会と関わりのもてる唯一の場所
Vol.63 1985.6号掲載 
何かしていないと社会から隔離されちゃう不安が…。

長谷川千津子さんは8年前に交通事故で怪我をして以来、車椅子の生活を送っている。5月12日にライブハウス・ひょうたん島で上映された「鉛の時代」では「観る会」の実行委員に加わり、障害者と健常者が一緒になって活動している「露草の家・建設をめざす会」にも籍を置き、その他にも多方面で積極的に活動を続けている。自主上映の「鉛の時代」の上映会が終わり、実行委員の皆さんが動き回る中、インタビューに答えてくれた。

「私にとってこういった活動は、社会と関わり合えるひとつのやり方です。普段は自宅で寝ているので、人間関係を作っていくのはとても大変。きっかけがないと知り合いになれないんです。何かしていないと社会から隔離されちゃうという不安があるんです。だから、こういった活動はずっと続けて行きたいですね。いろんな人を誘ったり…。今日も新しい出会いがいくつか生まれました。」と長谷川さん。

「怪我をしてから人が好きになった。」とも言う。事故以前は、人間関係はどうでもよく、友達も少なかったそうで、関わりを持つこと自体が迷惑に感じたと言う。しかし、今はいろんな人と出会いたいという考えで活動をしている。

「怪我をしてから生まれ変わったんじゃないかと思うくらい変わりました。今の自分の方が好き。絶対に、怪我をして良かったなんて思わないけど、怪我をしてしまった以上、自分自身で人生を創り上げていかなければいけないと思っています。時にめげたり、どうでもよくなって逃げたり、疲れたりするけど、そういう時救ってくれるのは、一緒に活動している仲間であり、友達です。家族ももちろんそうなんだけど、やっぱり限界があるから、だから、これからもずっとこういった活動を続けていくつもりです。」

長谷川さんが今一番重点を置いているのは「露草の家・建設をめざす会」というグループの活動。障害者と健常者、みんなが利用できる場を作ろうというのが、当面の目標だ。

人間関係を特定な人に限ってしまうと、結局は寸詰まりになってしまうから、誰でも利用できる事が大事になる。長谷川さんの家が引っ越しをして空き家になったため、そこを開放して、今年の夏以降から使えるようにしたいそうです。

露草の会の今年の行事は、7月に講演会、8月には第3回の古本市を開く予定。売上金を活動資金に充てるので、金儲けのためと割り切って行うつもりで居る。今年の菊川町の夜店市の時出店するそうです。
                 (文:やなせかずこ)