あゝ無情……北池伝説 
Vol.19 1981.10号掲載 
国道一号線沿いにある北池に伝わる話を調べたら意外な事実が…。
他の記事を取材中、北池の伝説を小耳に挟み、非常に興味の有る話だったので、78%が独自に調べてみました。これは北池にあった「親子地蔵」にまつわるお話しです。いつの間にか忽然とこの親子地蔵が消えてしまっているとのことで、現在どこにあるのかわかりません。どなたか行方を知っている方がいましたら78%までお知らせ下さい。
           
(文:やなせかずこ イラスト:こまいやすこ)


時は明治、夏のことである。掛川の街はもう十日以上も日照りが続いて、蒸し暑い夜であった。ここに喜ェ門という鳶(とび)職人が居た。喜ェ門は仕事を終わって、妻が入れてくれたぬるま湯のたらいの中で、ひと風呂浴びた後、ゆかたに着替えて裏の縁側に出た。風鈴も鳴らない、風もない、とにかく蒸し暑い夜であった。

喜ェ門は、愛用のキセルで煙草に火を付けて、ふと見ると、自分の家の前の空き地で付近の若い者が、縁台を持ち出して将棋をさしていた。それを見て喜ェ門は煙草を吹かしながらその若い者達に言った。

「実は今日、北池に身投げがあった。その死体の検死がこれから行われるんだけど、まだそのまま置いてある。どうだ、俺が五円やるから、その女の髪の毛を持ってこないか?」

このふたりの若い者は気が強いことで近所でも評判の若者である。しかし、いくらなんでも、こんな夜に死んだ女の髪を切ってくるなんてとんでもない。

「いやぁ、それはできないよ。と断った。

「そうか、できないか…。」

五円と言えば、当時では首の飛ぶような大金であった。だから喜ェ門も冗談であった。「切ってこれるわけはない」と思っていたら、「今の話は本当でございますか?」と言う声が、裏庭の垣根の向こう側から聞こえた。ひょっと見ると、垣根の向こう側に若い人妻が子どもを背負って、野良着の格好で鎌を持って立っていた。

「いや、本当って?本当の話だよ。今、こうこうこいう事があって、北池に女の死体があるんだよ。」

「いや、そうじゃありません。その死骸の髪の毛を切ってくれば、五円くれるという話は本当でしょうか?」

「ああ、本当だよ。」行きがかり上、喜ェ門がそう答えると、

「本当にくれますか?必ず私が切ってきますから、必ず下さいね。」と女は言った。喜ェ門も若者もびっくりしていると、その女は小走りに駆け出して行ってしまった。

折から、ずっと降らなかった雨が久方ぶりに降ってきた。そして、雷鳴が轟いてきた。日はとっぷり暮れ、夕立のように激しく降る中を、その人妻は北池に向かって走っていた。

この女性の主人は長いこと結核をわずらって寝込んでいる。明日の命もわからぬ重体である。早く直してやりたいが医者に診せる金も無い。聞くところによると朝鮮人参が良く効くと言うが、買うには大金がいる。ちょうど、今、聞いた話によると五円くれるという。五円あれば主人に朝鮮人参を飲ませてあげることができる。

恐いのも忘れて夢中で北池に駆けつけてきた。駆けつけると土手の下の葦のそばに女の死体が横たわっていた。長い髪がまるでヘビの様にうねっている。暗い中で黒髪が一層光ってみえる。恐いけれど、主人を助けたいばかりにその髪の毛の一部を、持っていた鎌で切りつけるが、雨に濡れた髪の毛はなかなかうまく切れない。やっとの思いで切った髪を持って土手を這い上がろうとした時、雨で濡れているためズズズーッと下に落ちてしまった。

その時、死人の女の手が伸びて自分の足をつかまえた。(実際は木の枝か、草の一部が足に絡んだのに、自分が恐い恐いと思っているので、女の手が伸びたと勘違いした。)その人妻は思わず、自分がもっている鎌でなぎ払った。そして後ろも振り返らず、土手を這い上ってやっとの思いで喜ェ門の家にたどり着いた。全身ずぶ濡れであった。

「お金をください。この通り髪を切ってまいりました。」

その時、喜ェ門と若者達はびっくりしてしまった。髪の毛をもってきたこともさることながら、ひとつはおぶいひもの一部は残っているが子どもの姿がない。

「お前さん、子どもさんはどうなすったんだね?」と問うと、

「えっ!」と言って後ろを見ると子どもがいない。女は半狂乱になった。喜ェ門と若者がすっ飛んで北池に行ってみると、そこには鎌で切られた子どもの姿があった。足をつかまれたと思って鎌で振り払った時に、おぶいひもと一緒に子どもまで切ってしまったのである。子どもは死んでいた。

その後、若い妻は子どもの後を追って身を投げて死んでしまった。そして喜ェ門もまた「冗談で言ったことがとんでもない事になってしまった」ということで。出家(家を出て仏門に入ること)となってふたりの菩提を弔(とむら)った。



実はこの話、ある浪花節の広沢(?)某氏が掛川に来たときの作り話である。信憑性を出すための演技として、公演前に親子地蔵を祀り、いかにも真実らしく語った因果話である。掛川住民の間で、まことしやかに受け継がれている伝説も、真実を追っていけば意外な面を知ることができる。