長谷川きよし
Vol.70 1986.1号掲載 
昨年12月7日に盲目のシンガーソングライターの長谷川きよしさんが、掛川で初のライブコンサートを掛川のライブハウスひょうたん島で行った。尊敬している浅川マキさん(掛川座でのコンサートを何回も開催している)から、掛川の話を聞き、ぜひ掛川でやってみたいと、今回のライブが実現した。
長谷川さんは2歳半で失明。両親は父親が豊田町、母親が磐田市見付の出身ということもあり、生まれ故郷に帰ったようだと、しきりに懐かしがっていた。ヒット曲には「別れのサンバ」「黒の舟唄」「透明なひととき」などがある。特に「男と女の間には、暗くて長い川がある…」という黒の舟唄は、いまだに隠れたヒット曲となっている。1973年から二人でひとつのリサイタルを作ろうと「ふたつの顔」シリーズコンサートを開始した。愛川欽也、加藤登紀子、中山千夏、五輪真弓、永六輔等が共演。(敬称略)
長谷川さんと会う前は暗いイメージを抱いていたが、話してみると、とても明るくて、ざっくばらんな人柄でした。   

                         (文:やなせかずこ)
78%◆芸能界に身を置くようになったきっかけはなんですか?

長谷川◆僕らの場合、無難に飯を食える職業と言ったら限られていて、マッサージ、針、灸位しかないんですね。僕の場合、幸か不幸かそういう仕事をする気は全くなかったから、他に飯を食う手段を探さなければならない。そうなると自分には小さいときからやってきた歌しかないわけだから、歌でやっていこうと、割と安易に考えていたんです。高校の時友達から「シャンソンコンクール」があると聞いて出てみたら、入賞しちゃったんです。それからシャンソン喫茶で歌い始めたんですが、学校へ行きながら夜は掛け持ちで歌って、結構忙しかったですよ。これならいけると思って、さっさと学校やめちゃったんです。

その頃はまだ、自分で作詞作曲する歌手はいなかったですね。僕は高校生の頃から曲を作っていましたから、自分の好きな曲でやっていきたいと思っていました。その頃からレコード出さないかという話がいくつかあったんですが、レコードシンガーになるつもりはなかったので、断ってたんです。ところが、オリジナル曲で出してくれるという話があったので、一枚位ならいいなという気持ちで契約したんです。
当時、新人というと短くても10年位の契約だったんですが、「長い契約はいやだ」と言って一年契約にしたんですが、全く異例だったみたいですね。

その後、アルバムの中から「別れのサンバ」を出したんですが、4ヶ月以上たっても売れなくて半ばあきらめていた頃に、深夜放送でかかり始め、グングン伸びてきたんです。それからこの世界に入り込んでしまったんです。

78%◆これからの目標は?

長谷川◆もともと物事を計画立ててやれる人間じゃないんです。その時に何をやりたいかで生きている人間なので、ほとんど先の計画はないですね。

78%◆すきなミュージシャンは?

長谷川◆浅川マキさんとサザンの桑田さんですね。(自分の子どもにもマキという名前を付けている)

78%◆サザンの桑田さん?

長谷川◆彼に対しては尊敬に近いものを持っています。人間的にも音楽的にもすごいと思うし、大好きです。

78%◆ところで、障害者の立場として日本は住みやすいですか?

長谷川◆設備とか施設はまあ、そこそこ整ってると思ってますが、入れ物はいいけど中身、ようするに精神的な部分においてはすごく遅れていますね。世の中いろんな種類の人間が一緒に生きてて当たり前だと思うし、悪い人が居れば善人も居る。不得意な部分を持っている人もたくさんいるわけだし、障害者と言えどもその中の一人だと思うんです。そういう人も一緒に住んでいるのが自然で当たり前の姿だと思うんです。

日本の場合は根本的に国の考えが違いますね。たとえば学校にしても、障害者は障害別に分けて区別してるでしょ。そうなれば当然、世の中に出ていく機会が少なくなるわけだから、社会で触れ合ったり知り合ったりする機会がない。皆んなどういう風に接したらいいか、理解したらいいかわからない。設備とかだけ良くても根本的解決にはならないですね。

78%◆実際この近辺でも、施設と名の付くものは山奥にあったりしますね。それと取材なんかしてるとなにかおかしい。口だけで終わっちゃっている気がするんです。「その身になってみないとわからない」って言われると困ってしまうんです。

長谷川◆その身になってみなきゃわからないというのもおかしい。お互いその身になれるわけないんだから。言ってもしょうがないと僕は思う。ただ、そういう風に隔離されてしまってるという怒りとか不満は、当然有って然るべきだと思いますよ。毎日接していれば、どういう所で手を貸してあげたらいいか、ほっぽいとってもいいか、というのがわかってくる。いきなり出会うと何をどうしていいのかわからない。

78%◆小さい頃から接していれば、いろいろな人間がいるのが理解できて、一人の個性として考えられるんですよね。

長谷川◆知恵遅れのこどもの世話をしていた70才の老人が「世の中ひっくり返る時が必ず来ると信じてる」と言っていましたが、何十年、何百年先になるかわからないが、信じて生きましょうと話し合いました。

78%◆そうですね、私たちもそれを信じます。

1985年12月7日ライブハウスひょうたん島にて