加川良と語った夜 
Vol.35 1983.2号掲載 
※1
The times they are a-changing(Bob Dylan)より
As the present now
Will later be past
The order is rapidly fading
And the first one now will later be last
For the times they are a-changing
いま時代の先頭を走っている人もいつの間にか取り残されてビリになってしまうかもしてない…ボブディランが「時代は変わる」の中で語っていた言葉だ。(※1)様々な意味にとれるが、本当に時代が変わるということが言えるのは何時になることやら。
今の社会は、毎日が激しく移り変わっているように見え、近代化が実現され、何もかも便利になっているようにさえ思われる。しかし、肝心な人間にとって「大切なこと」は何一つとっても変わっていないし、決して良い方向に向かってはいない、と思うのは私だけでだろうか。これは1982年12月23日に「加川良ライブ」後の対談で感じたことです。   


                        (インタビュー:永倉章)
◆ライブ活動やレコーディング活動の予定は?

加川◆(前略)本当に僕らが信じていて、僕ら自身が楽しめることがそのままレコードになるかって言うと、もうそういう現実は無いんです。ですから、いとうたかおの様に自主制作のアルバムを作るか、好きでもないのにな〜みたいな形でひとつものを発表するかという厳しい状況です。

歌い手も歌う場所が無い、レコード出してくれる所も無い、お金も無い、ないないづくしやけども、そういう所で悩んでいる歌い手はたくさんいると思います。で、僕なんかはまだ幸せな方やと思うんですよ。言い分も聞いてくれて「ま、出してみい」みたいなことで…。一応1月21日に僕なんかが聞きたかったという音楽を。自分らで作ったアルバムを。村上律と二人で出します。その前後位から4月頃まで、村上と二人でライブ活動をやりたいと思っています。4月以降は、新しい曲のアルバム作りをやり出し、秋頃にまた新しい動き…それが実際どういう動きになるかはちょっとわかりませんが…。

◆歌い出してから現在まで10年位の月日が去りましたが、なにか自分自身で変わったことがありましたか?たとえば自分の立場とか活動とかで…。

加川◆…。鹿児島へ行きゃ鹿児島の歌い手がいて、宮崎へいきゃ、いますし、北海道行っても僕らが身内やなと思いたい歌い手ってたくさんいます。名前も知らない、レコードも出していない、世に出ていないような歌い手がたくさんいるんですけども、そういう人から比べればね、僕なんか好きなことをさしてもらってる方やから…。ただ、危機感っていうのは見えつつありますね。このまま好きなことだけやった行けるのかどうかということです。

例えば、ミシシッピー・ジョン・ハートというおじさんのブルースシンガーが大好きで、ボブディランという人が大好きで…って言っているだけで音楽っていうのはやり続けることが出来るんやろうが…という疑問はあるんです。10数年前やったら、ボブディランが好きで、ニールヤングが好きで、ミシシッピー・ジョン・ハートが好きで、ジャックエリオットが好きで、この人らが好きやから、僕うとうてられたんですよね、10数年前は。

◆10数年前には、言葉で訴えた「うた」があって、反戦とか権力を批判するものがありましたけど、それとボブディラン等々が好き…と、どう結びついているのですか?

加川◆僕の場合、未だにビデオなんかで、いろんなミュージシャンを見ますよ。英語で聞いてんのやから言葉全然わからんでしょ。それでもすごいと思うミュージシャンいっぱいいるわけでしょ。レコード聞いても、言葉わからへんのに、どうしてこんなに感激するんやろか、どうしてこんなに泣いてしまうのか…というよりも「なんやろか?」ということですよね。別に言葉をちゃんと理解して聞いているわけでもないのに、針をパッとおとして一声聞いただけでも泣けてしまう、洋楽に。洋楽で、なんでそんなに感激するんやろうかって言うたら、やっぱり、ミュージシャンの「粋」とか「姿勢まで感じてしまう」というか真剣さが見えてくるように感じる…。

◆ことば一つ(歌詞の意)で?

加川◆ことばって言うよりも「音」ですね、言葉って、わかってしまえるものやけど、英語で歌われりゃ、言葉がわからんのやから…。

◆音楽として捉えた「音」の表現ですか?

加川◆そうですね。僕がやっていることもそれに近いと思っているんですよね。ですから僕は、言葉うとうてると思ってるわけではないし。詩を書いたつもりもない。反戦フォークうとうたつもりもないし、皆が70年の頃やってたつうのは、歌いたいことを歌ったということだけなんです。それを誰かが勝手に反戦どうのとか、関西フォークとかをつけてみただけで、みんなが関西フォークやろういうて歌い出したわけではないし…。

僕もよく言われるんですけど「加川さん、フォークシンガーですよね。」と言われるとガックリ来てしまう。別にフォークうとうてるつもりもないし、自分の音楽やってるだけのことやから、演歌って言われてもまあええんですけど、フォークとだけは言われたくない。演歌は詩の音楽やと思うし「ま、僕日本人やから」と思うから演歌と言われた方がよっぽどええと思う。それをフォークといわれたって、僕知らん。でも、今、言われたいのは「ロック」って言われたいですね。ロック歌っていますと自分では思っているし、信じています。

◆加川さんの「ロック」というのはどのようなものですか?よく都合で音楽を分類しますよね。たとえばロックとかフォークとかジャズとか…。

加川◆僕の言葉で知っている言葉は「ロック」って言葉しかないです。僕が「いいな」と感じてしまうもの、ハートにくるもんやったらいいんです。ハート言うたらキザやけど、言葉もわからんと英語きいて、どんな音楽やるのかも知らんけども、レコードの針おとして、瞬間に泣けることは誰にでもあると思うんです。

たとえばフリージャズと言われても、何やってるのかわからんのやけど、泣いている人いるわけでしょ。それは、やっぱり、ここ(胸を指を開きながらおさえる)にきているわけでしょ。また、演歌の中にもロックがたくさんあります。僕の心を「打ってくれる」演歌がたくさんあります。それがロックなんです。

◆たとえば、ボブディランが初め一人でギター抱えて出てきましたよね。次ぎにバックバンドを加えて活動をはじめたんですが‥。

加川◆彼はロックです。僕の。(笑)

◆(最近は若い人達が)みんなロックバンドとかハードロックとか言ってバンド組みますね。彼等のロックをどう思いますか?

加川◆ドラム、ベースを入れているからロックということは全然ないんです。みんなは音量をロックつうんでしょ。でもロックは音質なんです。質の問題なんですよ。それを感じるかどうか。生ギター一本でもロックはできます。最近ロックやりたいと言っている人が、どれだけロックから遠ざかっているか、ロックをやろうぜ〜言うてメンバー集めて、やればやるほどロックから遠ざかっていくのが見えてくるんです。その中にはロックは一つも無いんです。もっとつきつめていけば、無伴奏、語りだけです。これでロックができるわけです…実際には。

◆レコード聞いたりして、詩(歌詞)が良いとか良くないとか言う人がいますよね。その辺どう思います?

加川◆…僕はことばをやっているわけじゃありません。音楽をやっているわけです。ですから、ことばがどうのこうの言われても興味ないし、僕は、自分の出したいことを吐くやろし、弾きたいもん弾くやろし…、ことばだけ取ってもらっても困ったもんやし、そんなつもりで「ことば」書いているわけでもない。僕のは詩でもなんでもないんです。ことばです。ただ、しゃべっている「ことば」です。詩を書いた意識は全く無い。詩に興味あったら詩人の詩集でも買い集めればいいのやし…レコード聞く必要ないのやし、誰も「僕は歌い手で、詩人やなんて思う人、一人もいてない」と思ってます。

◆ライブやコンサートをやるとき、仲間でPAを借りたり照明やったり互いに協力してその場を作り上げて行くんだけれど、いざ終わってみるとガッカリしてしまう場合がある。プロだからどうのとか、人をのせるのがうまいとかの問題ではなく、いったい何を表現したいのかが伝わってこないんですよね、感動が無いんです…。

加川◆ここでいろんなライブやらはると思うんですけども、その時に、本当に「無」になって聞いてやってほしい。例えばそれは高田渡であってもいいし、いとうたかおであってもいいし、ロックでもええし何でもええのやけれども「無」になって…。

言葉がおもしろうないからロックでないとか、言葉も聞こえへんと、音うるさすぎてきこえんと、その汗見て熱いったってええのやし、もっと素直に聞き出すことを皆が持っていかなければ、歌い手も消えてしまうやろうし、ライブハウスも消えてしまうやろうし、意固地になって「ここの部分だけを聞いてんのや。」みたいなことやから音楽が全然進まんのですよ。「言葉」とか「リズム」とか「メロディ」とか小さな事言うてんと、無になってすべてを見たってほしいんですよね。

ライブにしてもレコードにしても、面白くないとか、ウケるウケないということを、聞く側ではすぐに結論を出したがるんですけど…何かを探しているときに、あった!無い!という感じで…

加川◆ウケるウケないは、僕が歌い出した10数年前とかわらんです…。さてなにやろかで、来年のやり方を考えるやろし、でなくても10年後くらいのことも考えるやろし、今までやってきたことに関して結論というのを出したことはないんです。誰でも結論やゆうてレコード出してるわけじゃないんですよね。これが結論やみたいなことで言われるのが一番困ってしまう。僕ら、毎日生きとんのやから、来年も生きたいし、再来年も生きたいんやから、そうしてレコード出来ているやんし、一枚作ったレコードに関して、さも見る人聞く人は結論じみてしゃべってしまう…。

◆ジャケットがどうのから始まって、曲から歌詞まですべて…。

加川◆それをやられると歌い手はどこへ行ったらいいのかわからない。そんなつもりでやっているわけやないのやから。生きている内の一日、たかが一日分の日記の物語ですよ、レコードの一枚なんて。それぐらいに思うてもらわなぁみんなどんどん尻つぼみになっていく…。
僕らやっぱり生きとんのやから、えらい過去の話が結論やったみたいなこと言われると、僕ら長く生きてないのか、これから生きたらいかんのかつうようなことになってくる。けど「古い曲が好きですよ」と言われるのは嬉しいことですし、それはそれでいいんです…。ただほんまにやりたいことをこれから探そうという時にきているんです。友部もいとうも。これからなんです。これからそろそろ好きな事やろうかなと思っています。

◆本当にやりたいことや好きな事をやろうという時に、例えば70年頃に「うた」の表現が政治的、社会的に何かを変革していく力があるのではと思ったり、権力に対して自分らがいろいろな反感を持っているんだということの一つの表れとして「歌」に表現したものがあったと思う。今生きているときに、自分らがどういう社会に、どういう立場でいるのか、どろどろした社会の渦の中で、何をしたらよいのかわからない若い世代に、何かを作り出せる状況を、きっかけでもいいんですが、そういうものを作っていきたいと思っていますか?

加川◆私は思いますね。あの、もう少しくずして言うと。やっぱり僕の音楽を作りたいと思ってますし、僕の音楽を…すごい音楽をつくりたいというのは常々の夢やし、毎日毎日の夢やし、それがいつできるのかもわかりませんが、生きているということはそういうことやと思う。死ぬまでできへんかもわからん。僕が思ってることつうのは、明日まで生きられるのやったら、今日はもう経過でしかないのやから、経過の積み重ねで死んでいくだけなんやから……。(中略)

別に音楽で運動をしようなんて気は全くないんです。運動するんやったら個人でだまって何かやるやろうし…。まだ自分の音楽をつくりたいという所にいる、何を歌うとかもわからへんときに何かの運動の歌うとうてくれ言われても、そんなのわからへんがな。まだそやからすごい遠いよ、ミュージシャンというと。とりあえず僕自身のものでつくれるものに関してやったら、おもしろい音楽つくりたいと思ってます。
ライブハウスひょうたん島にて